27話
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それは確か、水泳の金メダリストの話だったと思うのだが、そのメダリストは老齢で、ある日、教育テレビの子どもたちが、その金メダリストのもとに子ども向け幼児番組かなにかで、インタビューをしにやって来たことがある。おそらくアポなしだったのだろう。当初その子たちは、そのメダリストから快い意見が引き出せるものとばかり思っていたらしい。
だが、自宅についてみると、開口一番、氏からこう言われた。
――「帰れ」
そう言って、メダリストの氏はそれからにべもなく彼らを追いかえしてしまったそうなのだ。
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――「誰かメジャー取ってこい! ロッカールームに置いてあるから!」
翌日はその続きからだった。終えるべき作業は、いくらでもあった。ロッカールームはプールの外、建物の入り口付近にあった。部員の半数はカヌーが何艇も並んでいる、裏手のカヌー置き場へ回されていた。
そこには一艇のカヌーが台の上に置かれていた。《先生》が昔ヨーロッパで手に入れた一品だ。《先生》は幸平と平にその船を押さえておくように命じると、工作器具を使って、その先端と尾の部分をいとも簡単にちょん切ってしまった。そしてその切った部分に木の枠をはめ込み、穴をふさぐように接着していった。その作業に午前いっぱいをついやした。
そして午後からは、《先生》は穴をふさいだその船を、部員全員をつかって、小さなプールの昨日作業して作った、鉄の枠のあるところまで運ばせた。
カヌーは四人乗りで、木製なので重かった。カヌー置き場とプールの入口の間には段差があって、そこが難所だった。
急な階段が八段。その間《先生》は怒号を飛ばしまくった。
どうやら小さいプールに《先生》が作っていた骨組は、カヌーをはめ込んで動かなくするためのものだ。カヌーの前後を切り取ったのは、船の長さを調節するためだった。プールの水は抜いてあった。切り取られたカヌーの両端にはめてあった半円形の板は、スポッと嵌まり、どうやら上手く機能したようだった。それから更に数日かけて、カヌーを固定する鉄の枠組みをさらにいくつか作った。
設備としての形がその小さなプールに見えてきた。
が、自分にはまだ用途が分からなかった。改造は日が暮れるまで続いた。
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それから、最後の日にプールに水を入れると、カヌーの横に重たい仕切りを一つ沈めて置いた。それを中心に右のパドル側と左のパドル側の水流は、円を描くように流れるようになっている。そして手前にポンプを設置し、消防署から貰って来たホースにつないでその水が回るよう、ポンプを起動した。
――「どれ乗ってみろ」
使い方を教わった。カヤックは中心に据えられた船に乗り、漕ぐ。カナディアンは左右に自分の膝当てを置き、そこに膝を立てて、延々と漕ぐのだという。水を流しているのは抵抗力を作るためだ。
どこでこんなものを思いついたのだろう?(けど何でもヨーロッパに行けば、もっと凄いものがあるそうだ。《先生》曰く、ヨーロッパに行けば、野球よりもカヌーの方が、競技人口が多いとの事。)
それから里中センパイと平は《先生》と車に乗って、何かを買いに行った。他の部員は後に残されて、出来あがったばかりの施設を味見したり、杉田さんと話し込んだりしていた。
――「何を買いに行ったんだろ」南が言った。
――「んー、わからん。工具?」《コナン》が言った。
里中センパイが遅れてきた時には、作業はこれで一段落ついていた。それから四時の鐘が鳴り、五時までに作業は止んだ。
《先生》は時間を守った。
五時終了と決めていれば、必ず(大体は)仕事は五時には終わった。延長はまずしなかった。明日に仕事を残しておくのも仕事の内だと本人は言っていた。もの創りだってそう。「仕事は一気に終わらせないことだ」とも言っていた。きっと仕上がりが雑になるからだろう。
部活の練習が始まるのはそれがすべて終わってから。(その頃には、仕事の疲れで皆ヘトヘトになっている。)ぼくたちはその夏、サーキットトレーニングというのをやった。ダンベルや懸垂やスクワットをサーキットを回るように移動しながら、延々と繰り返すトレーニングで、なかなかつらい。
しばらくすると照明が必要な時間まで練習を行うようになり、その時間はだいたい午後六時か六時半だった。照明には大型ホームセンターで買い入れたドデカい明かりを使った。かなりの光量があり、虫がわんさと寄ってきては焼け死んでいく。
先生は働いていた。その日も。その次の日も。先頭に立って。




