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習作時代  作者: 中川 篤
青春の終わり
26/45

25話


 翌日は、大きく風が吹きあれた。

 ぼくは朝の陽を背に受けながら何とかして学校に向かった。

 先日からサトウ先輩からもらった部室の合鍵を使い、朝練を行なうようになっていたのだ。と言っても、練習の大半は、ベンチプレス用のベンチで横になることで費やされてしまう。その朝寝が九割、ダンベルが一割ぐらいだ。

 誰もいない部室で、ベンチプレス用の机の上に横になって眠るのはいつでも気分がいい。艇庫の前は人の通りも少ない。静かだ。

 当然だけれど、そんなことばかりしているので授業中は眠くてたまらない。

 それほど筋肉を使った覚えはないのだけれど、ぼくの午前中の授業時間は、こうして睡眠についやされてしまっていた。



 早朝に駅から京急線に乗ると、空に朝焼けが見える。山は光の影になっており、黒い影だ。

 その下の平作川の水面はいつにも増して穏やかだった。

 表面を時おり、風が走り、波紋的な波風が立っている。平作川では、駐屯地所属の選手が練習をしているのを見かけることもあった。



 そして今日も作業実習があった。

 実習はいつもと同じく作業場で行われる。ぼくの班は未だに旋盤の授業を受けているところだったが、内容は変わり、膨らんだお餅のような、印鑑状のものを今のところ作らされていた。

 出来上がるまで、何を作っているのか、自分たちにも分からなかったし、それほど実用性のない、ヘンなものばかりぼくたちは作った。切りくずや油にまみれ、ようやくその工程を半分ほど消化したところだった。



       ☆



 この鉄のかたまりは、出来あがりののちは廃棄されるのかもしれないし、どこかの工場が買い取ってくれるのかもしれない。

 というか、どうしてこんなものを作らせるのか、まったく持って理解不能だ。(どこかに売るのかもと思うことが偶にある。)

 それから授業の合間に手をいったん止めて、ぼくらはノートを付ける。どこもかしこも油じみだらけだった。

 そしてそれから、作業が終わる。

 工業用の石鹸でチャッチャと手を洗うと、教室に戻り、ロッカーにくしゃくしゃの制服をぶち込んだ。機械科には衛生観念というものは存在しないに等しい。



 次の時間には、国語科の岩智先生がやって来た。元エステティシャンかなにかで、どうやって学校の教員免許を取ったのかまったく謎の人だった。

 岩智先生は、何より、人当たりが強かった。しかし、これは先生のいい所で。しかも人生経験に満ちた面白い話をいつもしてくれるので皆は授業そっちのけで、毎回そっちの方をきき入ってしまう。というわけで毎回なるたけ話をさせようと策を練った。

 授業がつぶれるのは、嬉しいことに違いない。

 岩智先生のことをぼくらは好いていたと思う。向こうはどうだか知らないが。

 そのため、国語の授業だけはひどい妨害はなかった。ただ先生に何度も話をせびるのも、言ってしまえば見え透いた妨害行為なわけなのだけど。岩智先生は若い教師で、皆、先生のことを元ヤンだと決めつけていた。確かに、話を聞いていると、そういう感じでもあったのだ。

 おそらく岩智先生が好かれた一番の理由は、多少のやんちゃに(この教室の中では、だが)目をつぶってくれていたところだった。



 その岩智先生が、「二十七って、俺と同い年じゃないか!」と、叫ぶ。

――「あー痛い、痛いから言わないでー」北原が(その話は止せよ)というように言った。

 追及の手は緩めない。皆が聞きたがっている。杵山が、「一体、どこで知り合ったの?」

――「え、さあ?」

――「さあ、じゃねえよ」岩智先生がオラついて言った。

 さっきから教室は北原の女性関係の話で持ちきりだった。機械科のクラスには女子がいないから、話が卑猥な方向に脱線してもなんの問題もなし。事実、そっちの方によく脱線した。

 話を北原からよーく聞き出すと、彼はほぼ(飼われている)という状態にあることが分かった。北原の腹部はかわいそうにベコンとへこんでしまって、北原は出るとこに出たら、その二十七の女に裁判で勝てるんじゃないかとさえ思った。

――「別れなさい。そんな女に付き合わされて、どうするんだ、お前」

――「別れたいんスよ」

 北原は悲痛に言った。

――「別れろよ」

――「まあ……別れたいんすよ」

――「とっととわかれればいいじゃないか」

――「それが出来ない」

――「何で?」

――「怖い」

――「ばかっ! その女は危険だから直に別れろ!」

――「すぐには無理です」

――「何で?」

 さらにオラついて言った。

――「無理なんです」

――「何で?」

――「無理ッス」

――「どういうことだよ?」

――「だって怖いから」

――「ばか野郎」

 こんなふざけた講釈師が、機械科には掃いて捨てるほどいた。いつもこういったやり取りを、ぼくは部室に持ちかえって、部員の皆に聞かせてやりたいと思っていたが、教室から部室までの移送中に大事な点が二つ三つ、抜け落ちてしまうのだった。北原と岩智先生の話はつづいていた。岩智先生はこういう女がいかに危険かをビシビシ北原に説いた。先生の話には説得力があった。リアリティに満ちていた。そしてしまいには、

――「まあ、恋愛は個人の自由だから、好きにやればいいけど」

 と、面倒になったのか北原を突っ放した。

――「助けてくれないんすか?」

――「好きにしろよ」

――「うわっ! ひでえ……」

 岩智先生は怒気をみなぎらせて言った。「何が。こんなこと、個人の勝手だろうが! 俺が、その二十七の女性に、どうして口を挟まなくちゃならないんだよ」


 岩知先生はプンスカしながら授業を終え、教室を出ていった。


 岩知先生の口は悪いが、口を悪くさせるだけのものがぼくらにはあったのだ。


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