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習作時代  作者: 中川 篤
万事順調①
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1話





 これをあなたへ





 秋の風、夜、太陽。

 そうしたものが与えてくれる一瞬のなかのものをぼくはどうしても書き残しておきたいと思うことがある。

歳をとるにつれて――どんどん歳をとるにつれて――感動とか、新しい手ざわりというものは出会いが少なくなってくるものだ。それがどれだけ細かなことであっても、そうした一瞬はとても貴重で、書き留めておく価値があると(おそらくは)ぼくは思う。



     ☆



 毎日は繰り返し、同じことの、単調な積み重ねが力だ。


 カヌー部のカヌーがつまっている艇庫で、ぼくは部員の白瀬と一緒に《先生》を待っていた。艇庫のシャッターは少しだけ開いた状態で、薄い暗がりの中からは、これから帰りにつくS高の生徒たちの姿をのぞくことが出来た。

 これはまるでスパイ行為をしているようで、ちょっと悪いいい方をすると、のぞきのようでもあって、そして妙に興奮する。

 今のところ、一度も帰りのほかの生徒にバレたことはない。

 艇庫のなかは生活感にあふれていた。

 カップ麺や紙パックのジュースが、分別もされないまま山盛りになって捨てられているきたないゴミ箱。当時コンビニで売られていた海洋堂のフィギュアの空き箱。くだらないおもちゃだけど、二百円の恐竜がロッカーの上に鎮座している(海洋堂のチョコエッグだ)。すぐ傍には裏門があり、そこからコンビニがすぐ近い。ミネラルウォーターの種類が豊富でさ。

 野球部でつかう軍用トラックが、幌の中に野球部員をつみ込んで、出発の時をそこで待っていた。

 彼らは今日も練習に向かう。引き締まった体つきの野球部員は大々スポーツ科の連中だ。

 野球部の監督は自分たちがよく知っている、科学科の先生だった。甲子園には出たことはないが、そこそこ強い。

 白瀬は太っているから、今のうちに走りこみとかで絞ってやらねばならなかった。競技用のカヌーの技術を、覚えさせてやる必要があったんだ。

《先生》が作ったシーカヤックを野島まで運んでいくための台車が艇庫にはゴロンところがっている。

 シーカヤックはどれも重いから、台車も頑丈にできてる。

 隅っこにスペースを大きく取って、無造作にごろんと置かれているこの台車がぼくは気にくわなかった。何よりまず、格好がわるい。

 もし《先生》にボコボコに叱られて、逆に感謝するようなひとがいるならちょっとどうかしている、とは思う。(……が、実際には感謝する人間がいる……、ぼくもその一人だった。)

《先生》はそれくらい、きつく人をしかり飛ばす。



 そしてぼくは、この文を書いてる今も《先生》に対してあまり疑いとか、やっつけてやろうとかいった考えををさしはさんでいない。

 もちろん、この話は《先生》だけの話ではないし、ましてや《先生》とぼくとの話でもない。いろんな人間が出てくる。

 ぼくが、こうして部活の後輩の心配をするのも、考えて見ればヘンなことだった。



 ちなみにS高校のカヌー部は、今はあるかどうかわからない。もしかしたら、すでに無くなっているかもしれない。

 部員が集まり、それから《先生》もこの部室にトラックを乗りつけてやっと到着した。いつも来るのが早い里中センパイは、まだ部室にはいなかった。

 《先生》が来ると、艇庫は一瞬でピリリとした空気につつまれる。そして部員たちは一目散に外に停めてあるトラックに駆けよって、《先生》が鉄パイプで組みたてた、トラックの荷台からカヌーを降ろすのをあわてて手伝うか、或いはトラックの荷台にあわてて積む。

 そこでカヌーを手から滑らせ、ガン! と地面に落とそうものなら、《先生》が昔ドイツで手に入れてきたという噂の、警棒の一撃が、頭に一発、お見舞いされる。(ぼくの頭より先に警棒が割れた。)

 しかしこの頃の《先生》は、のこり生涯いつまで生きられるか、とか、自分ももう老い先短いんだ、みたいなことばかりを零すようになっていた。《先生》ももう、七十に近いのだ。





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