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習作時代  作者: 中川 篤
てんかん②
18/45

17話


 入院してからも、ぼくと両親はよく会っていた。

 他の子たち、特に親が北海道や九州から来ているような子たちと違い、うちの両親は一週間おきにここまで会いに来た。ぼくはそれを少しわずらわしく思っていた。で、ぼくはそれが嫌でたまらない。両親が突然きても「早く帰れ」とばかり、正直なところ思っていたぐらいに。

 (ただ)し、それで外に出られる許可が下りることは嬉しい。

 この病院から外に出れると言っても、初めの内は静岡の土地(とち)(かん)がまるでなかったので、病院の近所をあっちへ行ったりこっちへ行ったりするばかりだ。いつもそこら辺の町をぶらぶらして帰るようなもののだった。それでも、それは一大イベントだった。



 入院してから一か月目の日、また両親がやって来た。「見て、すごい痩せてる」と、母。「どうしたの?」

――「朝食を抜いてる」ぼくは言った。

 母はそれにショックを受けたようだった。

 たびたび病棟の仲間に言われたようなおぼえもあるが、当時ものすごく痩せていた。それもかなり不健康な痩せ方だ。残した朝食をどんどん回収用のバケツに放り込んで行ったら、そんな体型になったのだ。

 いつも腹を鳴らしていて、お小遣いの500円で買える大箱のクラッカーを一日二、三枚ずつ、出来るだけ長く、日持ちするようにして食べていた。そして好き嫌いが激しく、美味しく食べられるものが限られていた――そんなこんなでのやせ方だ。

 あの頃、朝食をもっと食べていたら、背がもう五、六センチ伸びていたかもしれないと今では思う。


 それから両親の付き添いつきで、ぼくは外に出た。うちの軽自動車で食べた、カルビーポテトチップスの塩バター味が、とてもおいしく感じられたことを憶えている。お腹が空いたら何でもおいしい。

 来るときは気づかなかったが、「こども医療センター」は大きな沼に囲まれていた。たぶんここへ来たときは夜だったから。沼には大きな白い鳥がいて、なにやら魚をついばんでいた。シロサギだ。渡ってきたのだろうと父は言う。

 シロサギは魚を探して足もとをつついていた。木下さんから教わった餃子屋さんのことをぼくは両親に話し、車は市街地にあるその餃子屋へと向かった。


 それから半日かけて向かった餃子屋「はやすま」はちっこい店だった。餃子で町おこしをしようなどという市町村が、日本にまだなかった頃の話だ。

 餃子の普通と辛口、そしてビールだけを売り物にするスタイルは先駆けだったと思う。

 どうやら有名な店らしく、店内の壁には清水エスパルスの選手のサインが所々に張ってあった。ほぼ壁一面だ。

――「すごいですね」写真を見て、父が言った。

 店の奥まったところでは、店のおやじが黙々と餃子を焼き続けており、接客は店主のおかみさんがする店のようだ。口の中に入れると、とても熱い。本物の餃子というものをここで始めて食べたような気がする。

 店主の代わりにおかみさんが喋った。「たまにね、来るんですよ」

 すると店の奥から店のおやじが顔をのぞかせたかと思うと、おかみさんに何かを手渡した。

――「キャベツですよ、はい、サービス」

――「ああ本当に、いいんですか? いただきます。おっ、うまいッ! 和久も食ってみろっ!」

 ぼくも一口食べた。新鮮なキャベツというものは、塩だけでこんなにも甘いものかと、ちょっと感動してしまった。「うま」

――「お客さん方はどちらから?」

――「私たちはついさっきそこの病院から。神奈川から息子の様子を見に」

――「神奈川! 大変でしょう?」

――「ええ、まあ。大変か、篤?」

――「少しね」

 と、ぼくは答えた。

――「やはり、あそこの患者さん方もここに来られますか?」父が言った。《あそこ》というだけで、この辺りの人間には「こども医療センター」のことが通じるようだ。

――「来ますよ、ええ」

――「お母さんの餃子もいる? 食べない?」

――「いらない」

――「要らないんだってよ」

――「だって辛いのよ」

――「普通を注文すればよかったな」壁の張り紙を見て、言う。「ここは、持ち帰りもあるんですか?」

――「冷凍のが、ありますよ」

――「ちょうど良かった、おみやげに里美の分も買って帰りましょう」と、母が言った。

――「ウン、ちょうどいいな。すみません、それじゃあ冷凍餃子二つ」

――「はいはい。お待ちください」



 餃子屋の後ろは床屋だった。そのとき髪が少し伸びていたので、そこで切ってもらうことにし、それから病院に戻った。

 そして両親と別れた。陽がだいぶ暮れていた。

 夕食があと五分で始まる。あの頃は、日が暮れるまでいつも外を歩き回っていた記憶がある。その日はウンコを漏らして泣いて病棟に戻った。



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