15話
病棟の食堂の壁には、手づくりの日本地図のようなものが大きく張ってあった。そこにはダーツのようなものがいっぱい刺さっていて、針がささっているところは入院している人の出身地なのだ。
そこでの夕食はいつも美味しかった。食事のときのテーブルには、やかんのお茶が乗せてある。ここが静岡だからか、熱いお茶しか出さなかった。聞くと、どんな暑い日にでも、お茶しか出さないとのこと。しかし、朝食は残した。
食事が終わると、ナースステーションでお薬を飲んだ。食堂は休むところも兼ねている。皆は何かの番組を見ていた。この日はK1だった。ここでは、テレビを観ることが出来る時間も一々決められていた。九時までには電気を消さなくてはならない。
病院の中には子どもたちがここでも通えるようにと学校があった。院内学級というもの。第七病棟にはぼくと同じ歳の子どもは一人しかいなかった。小川くんという子で親が小説家をやっているそう。
それから年下の子が三人。
大声ではしゃぎまわる小五と小四の連中で、ぼくや木下さんたちの左の部屋に小川くんと一緒に入っている。こいつらも学校に通っていた。
院内学級は病院の奥の方にひっそりとあった。教員は全員で五名。ぼくたちの先生は女の先生で、名前は、偶然にも「鹿内」といった。いい先生でやさしかった。
ただ、ここでの授業のことはあまり覚えていない。
一度、お茶の入れ方についてぼくたちは習った。授業のほうはいつも簡単だった。こんなに簡単すぎたら普通に授業を受けている地元のクラスメイトたちと、差がどんどん着きそうなものだと思いもした。けれどそれを大喜びで受け入れていた。
* * *
その点、小川くんはエラかった。
学校から戻ると、部屋のベッドで、その日の予習と復習をけっして忘れなかったからだ。院内学級の教室はこじんまりとしていて、おもちゃや教材で散らかっていた。たまには体を動かさなくてはならないというので、ぼくたちは病院のなかにある体育館で運動をした。
「子ども医療センター」の体育館は、第七病棟とはまた違った病棟にあり、そこまで移動する間には、洗濯物などが干してあって、そこで入院している人が暮らしていることが分かる場所や、重たい病状の障碍者がいるところを通っていく必要があった。その細い一本道にある、ちぢれた洗濯物をそこで見かけるたび、ぼくは何だか、もの悲しい気持ちに襲われるのだった。