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習作時代  作者: 中川 篤
てんかん①
15/45

14話


 そのころ、ぼくは父親の運転で、高速道路を走る車に乗るのが好きだった。それは静岡にある「子ども医療センター」と、自宅のある神奈川を行き来するのに、高速道路をよくつかっていたからだ。

 途中にあるPA(パーキングエリア)への道中にはいい思い出が残っている。

 高速道路を西へ、西へ、と向かう。

 すると富士山が段々と姿を現してくる。

 道中のすべてのPAを満喫、五時頃に富士山のふもとに入ると、富士の山が赤くあかく輝いている。

 ナースセンタ―で受付を済ませる間、ぼくはそこの本棚にあった漫画の雑誌を読んでヒマをつぶした。忍者のナルトが大蛇丸に初めて襲われた、一次試験の回だった。



     ☆



 受付を終えると、ぼくは病院の医師と面会した。そこでの医師、原先生にこの頃の様子と病気の容体を話し、父がパソコンで記録していた、ぼくの病状に関する細かなデータを原先生に渡した後、それからぼくは先生にいくつか質問をした。いい父親だったと思う。

 ぼくが入院する期間は約一か月と、言われていたのだが、これは伸びた。一か月は三月になり半年になり、といった具合に。

 どの子供もそうだ。

 施設の中はこれから見せてくれるという。原先生の話によると、ぼくの病状はだいぶ軽い方らしかった。何でもここにいる子供たちの中で、いちばん症状が軽い内に入るのだとか。

 それはおそらく本当のことだったのだろう。



 それから「第七病棟」と書かれた、重たそうなドアを開け、そのなかに入ると、まず大きな食堂を抜けて自分のベッドがある六人部屋に案内された。

 部屋にはすでに人がいた。

 六人部屋の人たちは皆、高校生ぐらいの青年たちで、ぼくより年上だ。大人に見える人もいて、当然だけど、男の子しかいなかった。

 それから、洋服をもってきた衣装ケースのなかに置いて行くと、父は帰っていった。

 この病棟内でやることには、何事にもきっちりスケジュ―ルが組まれており、起床が六時、朝食が七時半で、それを守らなくてはならない。

 けれど、ぼくはそれをほとんど守ったことがなかった。

 とは言え、そのスケジュールの合間にやることと言えば、お喋りかトランプ位なものだ。しばらくベッドの上で佇んでいると、隣のベッドから、木下さんが話しかけてきてくれた。大阪生まれの人で、長い入院生活で(なま)りが取れてしまったそうだ。子供の頃から入退院を繰り返している。



――「和くんっていうの?」

 年上のお兄さんだ。つい緊張してしまう。

――「木下。よろしく。ここ、何にもないとこだけどさ。中の案内は? あ、じゃあ、そろそろやって来るよ」

 しばらくすると、原先生が変わったノックの仕方で入ってきた。ドアを開けてノックを打つのだ。

――「いつもこうなんだよ」木下さんが説明した。

――「それでは日野さん、中を案内しましょう」

 原先生が言う。

 木下さんが軽く手を振って「行っておいでよ」と言った。



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