11話
ぼくたちが中学三年の半ばのとき、同じ塾の鳥海が塾を辞めてしまった、鳥海は英語を話せるようにはならず、そしてそれはぼくとエリも同じだった。
鳥海が辞めたあと、代わりにぼくたちと一緒に勉強することになったのが大居だった。ぼくたちより一つ下で、違う学校に大居は通っていた。そしてやはり同じように、もう何か月も学校を休み続けていた。
この塾にはどういう訳か、世間からつまはじきにされたやつばかりが集まった。
学校を休む元となった感情も、その頃から落ち着いてきた。ものに当ったり、不自由な身体に怒り狂って部屋じゅうを荒らしたりすることもなくなり、落ちついた、もの足りない毎日になって行った。
学校に行かない。ということはつまり毎日、エリの家でゲームをして遊ぶということだ。週に何回か塾に行き、時どき学校の知人と会い、また、時どき思い出したように学校に行き、そこで暴れてガラスを一、二枚壊し、ぼくは泣きぬれて帰ってくる。そんな毎日だった。
受験は?
そんなもの気にも留めなかった。
夏休みの宿題、人生で一度もやったことない。
人生は平凡で退屈なものだ。学業の成績のほうは、芳しくなかった。とは言っても、中学の問題をぼくは舐めていたし、このくらいすぐに追いこせるだろう、と思っていた。
それは大分間違っていた。
点を取っても出席日数がぜんぜん足りず、相殺されて、僕の通信簿には1と2が並んだ。それでもどういうわけか「オレはそんなにバカではない」と、自分のことをそう過信していた。
もちろん、言いわけだけは、毎回用意していた。
「テストが問題を書ききる前に終わってしまった」から。
「担任がぼくのことを嫌っているに違いない」から。
「五十点満点中三十五点はそれほど悪くない」から。
と、いった具合に。
三年の二学期も終わりごろになると、ぼくと親と担任の先生とで三者面談をすることになった。
ぼくの学力や普段の態度を考えてみると、担任の先生はぼくが入れる学校はほんの数校に絞られると言った。
そして二学期の中頃、クラスの壁に各高校の入試の倍率の書いてある張り紙が張られるようになった。その倍率の意味もぼくにはよく分かっていなかった。
進路は、自分の頭の上を飛び越して、先生と父が主になって決めていった。そして、そのことに腹を立てた。
カッ! プッツン!!!
当時愛読していたのは、家で取っていた読売新聞の小説欄、町田康『告白』。親に内緒でひそかに読んでいて、神奈川県人のくせに河内弁を身につけるまでになったが、内容は主人公が大量殺人する話。
時代は平成、キレる若者の最前線をぼくは走っていた。
――「やめなさい! やめなさい! 暴れるな! こおら!」
暴れてそこらのものを破壊しまくりながら、生ぬるい止め方だなとぼくは思った。本気にされてないように思え、とても悲しくなった。しかし表情は必死だった。あの時の先生たちは命がけだったと言っていい。
この態度で、ぼくの進路は行き着くところに行き着いた。




