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習作時代  作者: 中川 篤
てんかん①
11/45

10話


 小学五年のころ、ぼくは夜いきなりてんかんの発作を起こしたことがある。かなりひどいもので、発作は十分ほど続いた。

 

 てんかんの発作があまり長く続くと、脳や精神に障害(しょうがい)が残るかもしれないらしい。大きな発作が、大体二日おきに自分の身に起こるようになり、それでとうとう、ぼくは病院に運び込まれることになった。


 初めて通った病院は、三浦市の市立病院だった。

 病院行きが決まった日、ぼくは車に乗って帰宅した。うちの小さなバンの窓から、クルマを追いかけてくる同級生の姿を眺めていたのを覚えている。

 その日、帰宅してすぐに、ぼくは友だちの家に遊びに行き、六時頃そこそこに、そこから友人と二人でECCに向かった。マンションの一室を利用して開かれていて、お世辞にも室内は清潔ではなかった。何遍も掃除しろとぼくは言った記憶がある。


 塾の勉強は暗くなるまで、いつもだらだら続く。そしておわりの時間が来るころには、先生は夕食を作り始め、教頭をしている先生の旦那さんが家に帰ってくる。


 そしていつも無理に、そのご相伴にあずかろうとした。

 何とも厚かましい。それでも塾の先生の料理はいつでもおいしかった。

 外に出ると、月がいつも同じように出ていて暗かった。

 冬の月に寂しい気もちにさせられ、さあ、これから帰ろう、という気持ちがいつも薄まる。それを何とか押しのけて、ぼくは威勢のいい言葉を吐いて、その場をすばやく立ち去った。辺りはもう夜になっている。それから家まで、僕は暗やみの中を全力で自転車をこいだ。

 塾から家まで帰りつくのは五分とかからなかった。


     *     *     *


 あす、静岡で自分がどうなってしまうのか、ぼくにはもちろん分からない。ぼくは薄ぼんやりと、どこかの中学のセンパイが柔道で強い、ここから何県もまたがった遠くの場所にある中学校の(りょう)で、一人生活をしているという誰かから聞かされた話を思い出していた。

 神奈川県から静岡県に行くのは、その頃、日本からアメリカへ行くのと同じぐらい、遠い距離だったのだ。



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