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習作時代  作者: 中川 篤
万事順調①
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はじまり 習作時代①




 日差しの強い秋の一日だった。俺は『Lee』のデニム・ジャケットを引っかけ、パンツに『ユニクロ』のジーンズを合わせ、シューズにはスタンスミスを履いてた。この前の仕事終わりに買った、男性向けファッション雑誌で、フランスじゃあ、それ履いてカジュアルに決めるのが、今のシーンだと載ってたからだ。またその本には、『カシオ』の安いデジタル式の腕時計なんかも、フランスの若者層に受けている小道具なんだと書いてあった。とにかく廉価で、手に入りやすいものを、カジュアルに決めるんだそうだ。それが向こうの若い感性の主流なんだとさ。俺はその雑誌を疑いなく信じて、このスニーカーを履いてるんだ。

 これ、生地がメッシュだから、涼しいんだ。昨日の夜に降ってた雨で出来上がった水溜りが、そこら中あって、通行の邪魔だった。このスタンスミス白なんだ、だから汚したくない。

 それで避けて通った。陽は強いが、気温はそれほど高くない。ジャケットの下がポカポカして温かい。

 図書館までやって来る、用紙に記載して、保険証を見せ、新しい図書カード作った。この前、サイフごとカード類を盗難されて、困ってたところだった。親父から借りてた「京急川崎」までのパスモまで入ってたんだ、畜生め。それで一昨日、浦賀警察署まで向った。するとそこ、ピカピカの警察署に生まれ変わってて――いや、野暮用で一度ここには来たことがあるんだよ、つまり警察所の中はリフォームされていたんだ。あんまり想像していた署内とのギャップが大きかったから、ちょっと驚いた。深夜の病院の待ち受けみたいな感じだった、解りずらいかな?



 壁には大人しく、指名手配犯のポスターなんかがん貼られていてそこまで一緒に来ていた親父が、ぶっ、と屁をこいたりした。

 俺は親父に楯突くことが多くなってた。政治でも、芸術でも、エンタメなんかの感想でもそうだった。

親父は皮肉屋で、何に対しても、良い評価を与えることは稀だった。特に若者には厳しかった。まあ、最大の理由は俺が尖ったことばかり言うからなんだけど。

 でも俺は、とにかく、何でも理解することに務めた。ケンカにこそ今までなったことはないが、お互いが不愉快になることは、しばしばだった。俺はこれが、読書で得た知識の結果なんじゃないかって、時々思っている。文学なんて、所詮、小生意気な小僧を量産する役にしか立たないのかもしれない。でも俺は、親に楯突いたこともないような奴が、本当に若者らしい青春を送れるかどうか本気で疑っている(と、地元で腐ってる俺が言う)。

 誰にだってそうした時期は、一度二度あって、然るべきじゃないのかな? 別にさ、尾崎豊みたいになれって言ってる訳じゃない――それに、この頃の俺は、親父と和解する方向にあったんだ。それはどういう事かと言うと、俺はこれまで自分の親父があまり好きじゃなく、親父は尊敬の対象でも、将来こうなりたいと願う人間像でもなかった。それは今でも親父のような人間に完成されたいか、と聞かれると、うん、迷う所だな。只、人に、これが俺の親父なんだ、と言えるようには俺は変わった。これ、美しい話だと思わないか?



 その頃の――病み上がりの――そんな俺にとってベスト・ブックは、「怒りのぶどう」と「ハックルベリー・フィンの冒険」の二冊だった。いい本には違いないんだけど、ちょっと古びてないかな、とにかくそういうのに凝ってたんだ。けど、そんな事を過去の自分に言ってみたってしょうがない、お目当ての本は、すぐに見つかった。引き抜き、埃を払った。鞄――俺が手に提げている鞄には、原稿用紙〈20×10〉と筆記具が入っていて、それを持ってそれから二階の社会人読書室に席を取った。



 そこじゃ読書や勉強が出来るんだ。資格試験を控えた大人たちが、そこでノートに向き合っていた。みんな偉いよな。

 俺は、小説書いた。俺は俺の中にもう一人の俺を住まわせていて、この「ポートレイト」を書いているのは、良識と良心を第一に動く俺なんだ。ただ、昔の俺は、そんな「良心、或いは、良識」から綴られた文章に価値を見いだせないで、何かを書くときには、専ら、もう一人のやつの力を頼っていた。そいつは太陽の光が嫌いで、前者の裏側で、いつも文句ばかり零していた。ああ、でも、そんな事はどうでもいい。問題はそいつには本を綴る能力が、全くない、という事なんだ。お蔭さまで、社会人読書室の末席で俺は原稿用紙とにらめっこした。

 偶に、いい言葉が閃くと、俺は言葉を原稿にさっと殴りつけ、さっと斜線を引いて潰した。そんなふざけた文学修業を、それからの俺は一年と半も積むんだ。ただ、それでもだ――俺が小説の書き方を身に付けるまで、深い心の裡に潜れるようになるまで、そして、俺の主題を手に入れるまでには、まだまだ何年もかかったんだよ。




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