3
「…やっと開いたね」
「!?」
心臓が跳ねた。
まさか扉を開けた先に人がいると思っていなかったからだ。
人通りの少ないこの場所に、閉校時刻をとうに過ぎているのにも関わらず。
どうして、何のために?
疑問がいくらでも湧いて出る。
自分と同じか少し上の年齢の男性。
整った容姿に落ち着いた風貌。見覚えは―――無いかな?
冷静に男性を観察するものの、同時に冷や汗をかいていた。
生徒会に入っていない私が、生徒会室にいる理由がないからだ。
生徒会の業務を一手に担っていることは、シスタを含めた生徒会役員と一部の教員しか知らない。
シスタの影として動く関係上、私は生徒会役員にはなれなかった。
優秀な妹と無能な姉の対比。
そんな姉が業務に携わっていると知られていけない。
だからこそ普段ならば生徒会への出入りには注意を払っている。
だが今日に限って言えば完全に油断していた。
男性は私のことをつま先から頭のてっぺんまで、観察していた。
全てを見透かされているようで緊張が走る。
「君はまさか―――」
「いえ、違います。私は妹のシスタに頼まれて忘れ物を取りに来ただけです。
急いでいるのでこれで―――」
私は足早に立ち去ろうとした。
これ以上見られれば、全てを理解されてしまいそうだからだ。
こういう時の為にと考えていた言い訳は、それなり説得力があるだろう。
このまま反論の機会を与える前に立ち去れば―――
「なるほど。忘れ物を取りに来ただけなのに、5時間も生徒会室にいたのか」
「!?」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。いや理解できなかった。
5時間。それは私が今日、生徒会室に籠っていた時間とほぼ同じだからだ。
どうしてそのことを。
私が疑問を口にするよりも先に、男は得意げに説明した。
「偶々通りがかったら物音がしたからね。ずっとここで待ってたんだ。
シスタさんは今日出かけているはずだからね」
「5時間もですか?」
「あぁ、そうだ。考え事をするのは嫌いじゃない質でね。
一体どんな人が出てくるか考える時間は、とても充実していたよ」
「…」
短い時間だが会話をしてみて確信した。
この人はかなり変わった人間だ。関わりたくないと思う程度は。
そんな私の気持ちも知らず、彼は饒舌に語り始めた。
「元々生徒会長のシスタさん、いや今期の生徒会には疑問があったんだ。
いつも遊んでいるのに、一体いつ仕事をしているのかってね」
「…」
表向きは各自、自宅で業務をこなしていることになっている。
だが不自然な点はいくらでも見つかるだろう。
それは裏を返せば今まで誰にも追求されなかったのは、それだけ関心がなかったことに他ならない。
疑問はあれどしっかりと運営されているのだから。
好奇心から藪をつついて蛇が出ても困る。
自分たちの安寧の為なら、教師も生徒もわざわざ追及するようなことはしなかった。
この男を除いて―――
「なるほど。どうして僕が疑問に思い始めたか、気になっている顔だね」
「違います」
「一度だけシスタさんに急ぎの書類に目を通してもらわないといけないことがあったんだ。
ただ内容を読んで、読んだことを証明する為に確認のサインをするだけの簡単な書類。
正直、形式上やっているだけで本当に必要か疑問にすら思う。
役人仕事とは無駄が多い――じゃなかったね。
ただ読むだけの書類に、シスタさんはえらく手間取ってね」
「…」
そう言えば前に、シスタにそんな文句を言われた覚えがあった。
私が確認しなかったから、貴重な時間を奪われたとか、面目がどうとか。
その時は深く考えなかったが、どうやらその1回が致命的だったらしい。
「それで確信した。シスタさんは生徒会業務に関わっていない。
誰か裏にいるってね」
「…はぁ、そうですか」
私は深くため息を吐いた。
男の言葉を反論するのは無理だろう。
男は自身の推理を疑わない。
こちらがいくら詭弁を並べた所で意味がない。
しかも男の言っていることが本当なのだからなおのことだ。
「話が長いですよ。
それで貴方は、この秘密をどうするつもりですか?
弱味を握り、脅しにでも使うつもりですか?」
そうと決まれば手短に済ませたかった。
男の話に付き合うよりも、少しでも長く眠りたかった。
それに私はいずれこうなることはわかっていた。
その上で私は何もしなかった。
バレたらシスタに怒られる。
バレずにこのまま働けばいつか倒れてしまう。
私にとってはどちらも嫌であり、どちらでもよかった。
天に任せた。いや押し付けた。
私は自分の人生を、他人に委ねたのだ。
主体性などまるでない。自分の人生にすら興味がなかった。
だからこの男が無茶な要求を提示してきたとしても―――
「まさか。単なる好奇心さ。
誰だって物陰に何かが隠されていたら、意地でも見つけたくなるだろ?」
「…そうですか」
男は酷く当たり前のように言い放った。
その結果が5時間もただ待ち続けるという奇行なのだとしたら、私にはとても理解することは出来ない。
だが同時にその言葉に嘘偽りがないようにも感じられた。
この男は本当に、自らの好奇心の為にそんな奇行を行ったのだろう。
「それではこの事実を公表したりは」
「するつもりはないさ。何より僕に得が無い。
君は今まで通り、ぼろ雑巾のように働いて、最後は汚物でも拭きとられ捨てられればいいさ」
「…」
冗談―――ではないのだろう。
男の言葉は私の将来を的確に暗示しているものだった。
このままいれば、きっと私の将来は男の言う通りになる。
嫌なことは押し付けられ、使い捨てにされ、最終的には悪事の責任でも押し付けられて追放されるのだろう。
容易に想像できる。だけど―――
「よかった。これでシスタに怒られないで済みます」
「…君は本当に面白いな。
この後に及んで、妹に怒られることを恐れるのか」
男は呆れた様子で、それでいて深い青色の瞳でこちらを覗き込んだ。
私のことを理解しようとしているのだろう。
「僕が言うのもなんだが、その気になればいくらでも妹を糾弾する材料はあるだろう。
生徒会の業務から逃げることだって」
「…?」
シスタを糾弾する?誰が?何のために?
私には男の言っている意味がわからなかった。
その様子に男は心底楽しそうに、貴族とは思えないほどお腹から声を出して笑った。
「はははっ。面白い。本当に面白いな、君は」
「…そうですか」
一体何がそれほどまでに男を笑わせたのか、私には理解できない。
それどころか馬鹿にしているのだろう、少しだけ腹が立った。
「…そうですか。それは良かったです。
では私はこれで。シスタも待って居るので」
男がこちらに危害を加えるつもりがないのなら、これ以上この男の奇行に付き合う理由もない。
何よりこの男には、あまり関わりたくなかった。
私は笑い転げそうな男を置いて、この場を立ち去ろうとした。
だが突然腕を掴まれる。
「気が変わった。
やっぱり脅させてもらうことにするよ」
「―――っ!!」
目の色を変えてこちらを見つめる男に、私は吐きそうな程に胃が締め付けられた。
☆印、いいね、ブックマークを押して貰えると励みになります!!