2
「どうしてこんな問題も解けないのですか?」
教師は呆れた顔で私を叱責した。
彼女が言うにはつい先日習ったことであり、私以外の皆が解けるような問題らしい。
連日徹夜で生徒会の業務をこなしている私には、昨日の授業の記憶でさえ曖昧なものだった。
辛うじて起きているのがやっとであり、とても記憶する、理解するなんてことは出来ていなかった。
「本当に貴方はシスタさんのお姉さんですか?
優秀な彼女なら―――」
私を注意するのにシスタの名前を出すのは何度目だろうか。
すっかり定番のお叱りワードとなっていた。
私はぼんやりと教師の言葉を聞き流しながら考えた。
シスタが入学するまでは、いや生徒会長になるまでは私は比較的成績は優秀な方だった。
それは我が家系から逃げたいという一心から勉学に励んでいたからだ。
優秀な成績を納めれば、家を飛び出してどこか遠い街で就職することが出来る。
貴族の立場なんて要らない。結婚だって出来なくてもいい。
あの家から逃げることが出来るのなら何でもよかった。
それなのに―――。
誰かの陰謀なのか。気づけばその学力すら奪われてしまっていた。
勉強する時間、睡眠を取る時間すら削られた。
こんな私を雇ってくれる所があるはずない。
私は家族に唯一の希望すら奪われたのだ。
「聞いているのですか、アネモネさん」
「…はい。すみませんでした」
私はうわ言のように謝った。
反省の色を見せたから、それともこれ以上何を言っても無駄だと思ったのか。
私はやっと説教から解放された。
「くすくす。やっぱり駄目な人ね」
「こんな実姉を持ったシスタさんが可哀そうだわ」
周囲からは私を嘲笑する声が聞こえる。
その声は教師の耳にも届いていることだろう。
だけど教師が止めることはない。
私への嘲笑を利用して教育をしているのだ。
『勉強をしないと彼女のようになる』
それは親が子供に言って聞かせるように。
それでいて貴族たちにとっては効果的な言葉だった。
絶対にあんな風にはなりたくない。
そんなプライドが彼女たちを勉学に励ませるのだから。
私は誰にも聞こえないようにため息を吐き、そして少しだけ脳みそを休ませた。
「あぁ、もうこんな時間だ…」
放課後。私は見ていた書類から視線を上げると、すっかり日が落ちて外は暗くなっていた。
それだけ集中していたのか、それとも連日の徹夜で頭が回っていないのか。いやその両方なのだろう。
今日も生徒会室には誰も来ない。
妹のシスタも、他の役員も、そして教師すらも。
この部屋は私だけの仕事部屋であり、監獄である。
仕事が終わるまで決して出ることの許されない、そんな部屋だ。
この扉が開かれるのは、追加の仕事が入った時か、罵声を浴びせにシスタが来た時だけだ。
「急いで戻らないとシスタに怒られてしまう…」
既にシスタに対して怒りの感情は持ち合わせていなかった。
それどころか、私はいつの間にかシスタに怒られることを酷く恐怖していた。
理由はわからない。
けれど怒られると自分という存在が希薄になり、生きていることに罪を感じてしまう。
死んでしまいたい程に。
既に門限は過ぎている。
今から帰ってもシスタは私を罵倒するだろう。
それならいっそ―――。
カタッと机からペンが落ちる。
先ほどまで巡らせた負の思考が途切れた。
夢から覚めたように、急いで帰らないといけないことを思い出した。
落ちたペンを拾い、自宅でやる用の書類を鞄に詰め、私は慌てて扉を開けた。
無警戒に。自分の存在が秘匿されていることを忘れ。
「…やっと開いたね」
「!?」
心臓が跳ねた。
そこには1人の見知らぬ男性が立っていたのだから。
☆印、いいね、ブックマークを押して貰えると励みになります!!