広井夏樹の帰還(7)
東京都文京区、明王義塾小学部。
舞のスマホが着信音と共に震える。
『着信:広井夏樹』
本人はモニターの向こうで全裸で戦っているので確実に別人だろう。でも、この局面でこの番号からかけるのは絶対に関係ある人物である。意を決して電話に出る。
『舞先生、ちゃんと生徒の健康管理は行わないと』
聞き覚えはあるが誰かは出てこない。年上っぽい男性の声だ。おそらくは夏樹の関係者だろうとあたりをつける。
「これはご心配をおかけして。そちらの火事は大丈夫ですか?」
『はは、チンケなボヤですよ。それよりも今は、不法侵入の方が問題ですね。子供が侵入しているみたいで、学校教育がどうなってるのか心配になります』
舞は埒が明かない会話に嫌気がさす。会話を終了させる方に天秤が傾く。
「すいません今、とりこんでまして・・・」
『あは、知ってます。でもこの電話。実はあなたに有利に働いてますよ。何せ夏樹ちゃんは戦闘中。僕はこの電話をしているのだから』
「って事はあなたは、小田圭吾さん!?『テンペスト』と『スーパーセル』の開発者の!」
スマートウォッチ『テンペスト』は今や圧倒的なシェアを誇る。しかし裏の目的を知る人間は意外と少ない。ヘッドホンのノイズキャンセラーの要領で膀胱からの電気信号を遮断して、おもらしを誘発させる。そのおもらしの電気信号をコピーしてさらにおもらしを誘発。膀胱容量を小さくしておむつが手放せないようにする装置でもある。さらにそれをモニターや指令するのが量子コンピューター『スーパーセル』である。その開発者が小田圭吾であった。
『やっと僕に興味を持ってもらえて嬉しいよ。ここでオジサンの話につきあってくれ。弟さんの件はマリから聞いた。あなたの敵は僕やゆりあちゃん、マリのはずだ。夏樹ちゃんを巻き込む必要はないだろう。中3の夏休みなんだ。青春を謳歌させてやれよ!』
「オジサンらしい感情論で感心するわ。じゃあ、わたしの『普通』は?4年前のあの日、夏樹ちゃんに関わったせいで『普通』じゃなくなったわ。夏樹ちゃんの担任教師ってだけでね。ひょっとしたら今でも長野の山奥で教師やってたかもしれない」
モニターの中でドローンと戦う夏樹を見る。
向こうも同じ映像を見ているだろうか?
『75人の『過去の広井夏樹』はどうだ?』
「いいえて妙ね。『4年前の夏樹ちゃん』と同じくある日突然『ユリアシンドローム』にされた子供達よ?当然その原因が『テンペスト』にあると知れば止めようとするでしょう?『普通』を取り返すために。だから私にも賛同してくれてる。」
少しの間。沈黙が流れる。
10秒あったかないかのわずかなインターバル。
『悪かったな。その、そんなセリフを吐かせて。『ママ』がそんな事を言うと胎教によろしくなかったな』
「知っているんだ。わたしの身体の事」
『これでも学園の理事で理事長が嫁だからな』
「そうだったわね。じゃあ聞くけど、『パパ』として『テンペスト』を我が子の腕に巻きたいと思う?」
電話越しにも圭吾が息を吸うのがわかる。
『巻かせるさ、それが今や『普通』だからな。それにだ、今や10代のおむつ使用率は12%、このうち『ユリアシンドローム』は5%だ。つまり7%は元々なんらかの障害があった子という事になる。『ユリアシンドローム』前が1%だった事を考えると6%が生きやすい世の中になってるって事だ。もっと言えば88%の10代に何ら影響はないだろう』
「詭弁よ!5%の『ユリアシンドローム』は犠牲なの?」
『『正義VS悪』なんて物語の中でしか起こり得ない。現実はいつだって『正義VS別の正義』さ』
平行線。立っている場所が違うが故の。それを2人ともが感じる。和解はない。もう戦うしかないのだと悟る。
『悪いけど、今の『普通』は守らせてもらうよ。『テンペスト、スーパーモード、発動』
』
「何を・・・」
問いかけて気づく、周囲の児童達の異変に。
『おかしいと思わなかったか?階段2階から蹴りを入れた、夏樹ちゃんが普通にその後歩いてるの。空手の有段者相手にスピードで勝ってるの。『スーパーモード』だよ。神経伝達速度を『テンペスト』で加速増強。筋力も若干ながら向上する。ただし、皮膚感覚なんかも増強されるから夏樹ちゃんは全裸なんだ。15秒限定だけどね。もちろん副作用はある。脳を酷使するから急激に血中糖分が下がる。夏樹ちゃんが生み出した設定温度50°Cで汗もかいてただろう。低血糖でそっちの『過去の夏樹ちゃん』達が倒れるのは確定だ』
「くっ!」
2人ほど引きつけのような症状の子が見える。
教師としての舞が生徒を救うために駆け出す。
『少しは夏樹ちゃんのチカラになれたかな?』
誰も聞いていないと知りつつ圭吾はそんな事を口にした。




