小田(旧姓:水田)マリ(7)
「そう、23億の行方を追いたいの。きっと手元には……いや、国内にはないはずよ。それが分かれば、対策が打てる。頼むわね」
そう言ってスマホを切る。廊下の向こう、運動場のさらに先。三階建てのアパートが目に入った。
(ああ、あそこだわ)
この学校も、あのアパートも、何も変わっていない。私がここに通っていた頃、名前は「吹田マリ」だった。名前の通り、「ふきだまり」みたいな家だった。実母は温泉旅館で働いていたが、パチンコにのめり込み、借金を重ね、私を虐待した。
その後、義母に引き取られて「水田マリ」に。名前は変わっても、「水たまり」みたいに冷たくて濡れた人生だった。おむつが手放せない、情けない子だった。
――そして、出会ったのだ。佐藤ゆりあに。
中学1年、同じクラス。でも、彼女は教室の中心で、私は壁際のモブ。舞台の主役と背景。
立ち位置からして、違っていた。
でも、修学旅行で全てが変わった。中学2年の秋ゆりあちゃんが手を切って、簡易保健室となっていた私の部屋で、一緒に寝ることになったのだ。
そして……彼女に、おむつのことが知られてしまった。
恥ずかしくて、死にたかった。けど、彼女は――それから一年後、私たちは「お泊まり会」をするほどの仲になっていた。
あの夜のことは、今でも忘れられない。
「マリちゃん、私ね、思うんだ。――『なぜ、おむつをつけてはいけない』んだろうって」「……それでも恥ずかしいよ」「だって、犯罪でも、迷惑行為でもないんだよ?」「『普通』じゃない!」「だから、私は変えるの。――『世界』を!」
そうして語られた『計画』。それが『シーズン』だった。
それからは目の回る忙しさだった。自分の通う学校買収に『スーパーセル』、『テンペスト』の開発。それらに必要な人材の確保。『ユリア・シンドローム』のために海外での買収。
気がついたら14年が経っていて、私は学校法人の理事長に、ゆりあちゃんは文部科学大臣になっていた。
最初から全て上手くいった訳じゃない。
特に『ユリア・シンドローム』は苦難だった。『テンペスト』が稼働しておむつが必要な患者が出てくる。なぜか『ユリア』さんばかり。意図的に選択した訳ではない、むしろ『ユリア』を避けたいのに呪いのように現れる。だから正確に言えば『ユリア・シンドローム』は私達が産み出したものだけど、命名は私達は関与していないのだ。
更に問題は続く。私の妊娠だ。相手は『スーパーセル』と『テンペスト』のソフトウェアの開発者。彼に逃げられたら計画は頓挫しかねない。だから身体を許していたら、妊娠した。当たり前の話ではある。どうやら佐藤ゆりあを補佐するのは誰でも出来るものではないらしい。計画の進行が遅れ、本来ならば『シーズン3』はもう実行済みのはずだった。
こうして私は『小田マリ』になった。
『おだまり』とあの子を黙らせるために。




