広井夏樹(7)
言う事は言ったと、由香のテンペスト制御を解く。その時突然、保健室のドアが開いて、担任の舞先生が出てきた。
「夏樹さん、今の話本当なの?」
さすがに予想していなかった舞の登場に夏樹も驚く。
「由香ちゃんの前では言えませんよ」
と、なんとか言葉を紡ぐ。
「そうね。じゃあ、あそこで話しを聞きましょうか?」
向かったのは空き教室。舞の教材置き場になっている部屋だった。休憩や仕事もするのか小さな冷蔵庫に机とパソコンが置いてある。
「さて何から話ましょうか?」
「『テンペスト』で知っている事全部よ」
「私にわかるのは性能だけですよ。舞先生も知っているでしょうけど、ハッキングで設計図を見ただけ。目的や性能限界なんかもさっぱりです」
「ウソね。最近、夏樹さんは国内外から入金や送金をしてるでしょう?その送金の殆どがモナコに送金されている。タックスヘイブンとしても1ヶ所に集中するのはおかしいもの」
舞は切り札を最初から出した。それに対して夏樹は笑う。
「うふふ、やっぱり舞先生も・・・」
舞がしまったという顔になる。
「『ユリア・シンドローム』なんですね?」
即座に舞は否定する。
「違うわ、ユリア・シンドロームは段階的な排尿機能の喪失と引き換えに、超人的な集中力を引き出す病気・症状よ。ご覧の通り、私はショーツだもの」
自分のスカートの裾をめくってショーツを見せる舞。
「普通の先生がイチ児童の金融情報まで、調べられないと思います」
「そうね」
自分のカードは切らずに舞を問い詰める夏樹に、舞も短く同意する。
「舞先生も気づいているでしょうけど、ラスボスはもうすぐ向こうから来ますよ」
舞が驚愕の表情を見せる。少し上ずった声で夏樹に問う。
「何をしたの?」
「『テンペスト』のデータセンターにちょっとイタズラを。舞先生もそこに興味はあるでしょう?協力してくれませんか?」
返事を返す前に勢いよくドアが開く。校長先生だった。
「高野先生こちらでしたか!すいません、生徒と面談中に!でも明後日、文部科学大臣の佐藤ゆりあ氏が視察に来ると通達がありました!」
同時刻、千葉県某所、テンペストデータセンター。
「復旧はできたの?」
短く聞くその女性は紺色のスーツスタイルだが身長が小さく、小学生の卒業式を連想させる。佐藤ゆりあ。この国の文部科学大臣であり、2年前まで有名校の理事長だった大人の女性だ。
「大丈夫。ウチの旦那が頑張ってた」
報告するのも身長が135cmと小さく、子供服を着ているせいで小学生が迷い込んだかと錯覚するが1児の母である。ゆりあの辞任後、その学園の理事長を務める小田マリだった。
「マリちゃん、それでどこまで知られたの?」
「旦那の話だと、全部だって。だから『テンペスト』の秘密も『ユリア・シンドローム』の事も知られたかも」
少し焦った表情でマリが言う。
「まあ、『シーズン2』の成果は上がってたし、潮時かもね。『シーズン3』の方は?」
「赤麹で大変な事になったあの製薬会社を買収して、治験として実験段階だけど、見切り発車してもデータ上問題なさそうだよ」
2人はその見た目のせいで小学生同士の会話に見える。マリは本当に小学校に混じっても問題なさそうな、しかしゆりあはどこか大人を縮小コピーした様な色気があった。
「それじゃあ、JFK・仁川・シャルル=ド=ゴールあたりから始めましょうか?」
「わかった。伝えておくね」
その後、思い出したようにゆりあが言った。
「そうそう、明後日、あの子に会って来るわ」
「広井夏樹ちゃん?」
「うん。一緒に行く?悪い子にオシオキしに」
「ゆりあちゃん、大丈夫?あの子『本物』だよ?」
「大人の怖さを教えてあげるわ。近くに温泉もあるし」
「ゆりあちゃん、それ私達が言っても説得力ないって!」
そう言って2人で笑った。
国内某所。
少女はトイレへ向けて走る。外で見れば中高生ぐらいだろうと思われる。けれど、彼女の下着は見た目にそぐわない幼児向けのおむつだった。誰の目から見てもおしっこを我慢しているとわかるように出口を押さえてわずかに離れたトイレに向かう。
不意にその少女が止まった。理由を示すように丸見えのおむつが黄色く膨れた。
(誰か!殺して!)
少女は心の中で叫ぶ。
「あらあら、シズカちゃん。順調ね。今度ニューヨークにお出かけしましょうね」
そう言って彼女を部屋に戻し、おむつを交換した。
(どうして?)
彼女は思った。普通に学校行って、帰ったら親に騙された。それから1ヶ月でこの状態になった。普通にここで生活してただけなのに。
「どうしてって思ってる?教えてあげる。空気感染するウイルスがこの棟に蔓延しているの。元はエンテロウイルスって言う、手足口病の原因かな?その変異種にあなたは感染してるの。症状はどこが変わったかわかるでしょ?この菌は10代ぐらいまでしか感染しないの。だから私は平気なのよ」
(誰か、殺して!)
声にならない悲鳴は、どこにも届かない。




