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オムツと私たち  作者: 062


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広井夏樹(2)

今日は学校を休んだ。

昨日のおもらしのことを考えるだけで、体がこわばる。教室中に響いた笑い声、由香ちゃんのニヤついた顔、そしてあのメッセージ……。


「……今日は仕方ないよね」


ママは小さく息をついて、私の頭を撫でた。


「一日だけ、だからね」


私はこくんと頷いた。それでも、少しだけ気が楽になった気がする。

リビングのソファに座り、タブレットを手に取る。薄いブランケットを膝にかけて、いつものように動画を流した。けれど、何も頭に入ってこない。ただ画面をぼんやり眺めるだけで、内容はまるで耳をすり抜けていくみたいだった。


ピピッ、と手首が震える。

スマートウォッチの通知に目をやると、そこには短いメッセージが表示されていた。


「またおもらし?」


由香ちゃんからだった。たった五文字なのに、胸がぎゅっと締め付けられる。指先が冷たくなって、息をするのも苦しくなる。

すぐに画面を消したけれど、一度浮かんだ嫌な感情はなかなか消えてくれなかった。

私はソファに背を預け、天井を見上げる。少し古びた天井の隅には、小さなヒビが入っているのが見えた。私とママが暮らすこのアパートは、新しいとは言えない。畳の部屋は少し色褪せているし、冬になると隙間風が冷たい。でも、私たちにとっては大切な場所だ。


タブレットの充電が減ってきた。コードを探そうとして、ふと視線がパソコンに止まる。パパの使っていたものだ。ママが時々仕事で使っているのを見たことはある。でも、私は一度も触ったことがなかった。


なんとなく、電源を入れてみる。

パソコンの画面がゆっくりと立ち上がり、見慣れないデスクトップが表示される。私はそっとマウスを動かしながら、何かを考えていた。

何をしようとしているのか、自分でもよくわからなかった。ただ、こうして何かに手を動かしていないと、頭の中が嫌なことで埋め尽くされそうだった。少しでもそれを頭の片隅に追いやるためにモニターに表示された情報・データやテクニックを頭の中に詰め込んだ。

時間が経つのは早く、3時間程たっていた。玄関のドアが開く音がした。


「夏樹、ただいま」


ママの声だ。


「おかえり」


私はパソコンを閉じ、立ち上がる。

ママは上着を脱ぎながら、疲れたように肩を回していた。温泉での仲居の仕事は大変そうで、帰ってくるといつも肩や腰をさすっている。でも、どこかホッとしたような表情だった。


「今日は早かったね」「うん、今日はちょっと仕事が早く終わったの」


ママはそう言って、台所へ向かった。私はテーブルの椅子に座り、しばらくその背中を眺める。

コンロの火がつく音、包丁がまな板を叩くリズム、お味噌汁のいい匂いが部屋中に広がる。

こうやってママとご飯を食べるの、久しぶりかもしれない。最近は仕事が忙しくて、私が一人で食べることも多かった。

しばらくして、ご飯が並べられる。湯気の立つ味噌汁に、お漬物と焼き魚、炊きたての白いご飯。シンプルだけど、あたたかいご飯だった。


「いただきます!」


私は少し嬉しくなって、元気よく箸を取った。

ママと向かい合ってご飯を食べる。なんだか、昨日のことも少しだけ忘れられる気がした。

だけど――。


「……あれ?」


違和感があった。

下着が、湿っている。

一瞬で血の気が引いた。

嘘、気づかなかった……?

慌てて椅子から立ち上がると、ママが不思議そうにこちらを見た。


「どうしたの?」

「ちょっと……トイレ!」


私は駆け込むようにトイレのドアを開け、すぐに鍵をかけた。

ドキドキと心臓が速くなる。

下着を確認すると、ほんの少しだけ濡れていた。完全に漏らしたわけではない。でも、ショーツが湿っているのは間違いなかった。


――また、やってしまった。


息を深く吸い込んで、そっと吐く。大丈夫、まだ大丈夫。ママにはバレていない。

でも、どうしよう。このまま、また学校で失敗したら……?

そんなことを考えながら、私は震える手で服を整え、トイレを出た。



同時刻・市役所


宏は静かなオフィスの中、資料を整理していた。

上司が入ってくると、彼はすぐに立ち上がり、手元の書類を差し出す。


「こちらが、レジオネラ菌検査の結果です」


上司は資料を受け取り、目を通す。


「……これは、かなり深刻だな」

「はい。基準値を大幅に超えています。すでに施設側には連絡し、営業の自粛をするそうです」

「対象の温泉は?」


宏は静かに答えた。


「すずめ温泉です」


上司の表情がわずかに曇る。


「……地元でも評判の温泉だな」

「だからこそ、対応を誤れば大きな問題になります」


上司は深く息をつきながら、資料を閉じた。


「すぐに追加の調査を進めろ」

「承知しました」


宏は軽く頷き、席に戻る。

すずめ温泉――それがどんな場所か、彼は特に気にしていなかった。ただ、一つの施設が営業を自粛し、そこに関わる誰かが影響を受けることになる。それだけのことだった。


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