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オムツと私たち  作者: 062


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古畑ほのか(4)

日常なんてものは、案外あっけなく壊れる。


たとえば、朝起きて、いつものように制服に着替えて、トーストをかじりながら登校する──そんな「いつもどおり」が、何の前触れもなく終わる日が来るなんて。


不登校になって1週間目。


朝から、家の空気が妙に静かだった。

父も母も、平日なのに家にいて、テレビもつけずにリビングで並んで座っていた。妙に背筋を伸ばして、黙っていた。

何かあったのかと聞いても、


「まあ……すぐ分かるから」


としか答えない。


9時ちょうどに、インターホンが鳴った。


父が立ち上がり、玄関へ。

私は母に手招きされるまま、そのあとをついていった。


ガチャ、と玄関のドアが開いた瞬間。


心臓が、一瞬止まりかけた。


そして次の瞬間──それを取り戻すかのように、ドッドッドッと、まるでフルマラソンのラストスパートみたいに心臓が暴れ出した。


目の前に立っていたのは、橋本風乃さんだった。


そう、“あの”橋本風乃さん。


世界的ピアニスト、フィアデルフィア最優秀賞、そして「ミス・ユリアシンドローム」とまで呼ばれた人。


私の漫画のモデルになった──いや、私が勝手にモデルにして描いた、あの人だ。


「……え、えええええええ……」


口から変な声が出た。おねしょで交換したばかりのおむつが温かく重さを増していく。


まるで芸人さんが誰かのモノマネをしていたら、後ろから「本人登場~!」と本人が現れるバラエティ番組みたいな状況だった。


いやいやいや、そんなバカな──。


「こんにちは」


柔らかい笑顔で、風乃さんは言った。


でも、まだ終わりじゃなかった。

風乃さんの後ろから、もう一人の影が現れた。


──小学生?


……じゃない。


年齢的には明らかに大人なのに、体型も顔立ちも『子ども』にしか見えない。

スーツを着ているけど、サイズ感が明らかにおかしくて、まるで七五三か何かで無理やり着せられたような違和感があった。

でも、私はその姿をすぐに理解した。


(この人も……漫画に描いた……)


小田マリさん。

明王義塾高等学校の事務長で、『敏腕』と呼ばれている人物。


「あなた、うちの学校に編入しない?」


マリさんは、笑顔のまま単刀直入に言った。


「え……?」


「今日、学校見学してみない?」


軽く言う。でも、あの感じ──両親が揃って有給を取ってるってことは、もう『話はついてる』ということだろう。


外堀は、すでに埋まっていた。



そこからの4時間は、現実味がなかった。

でも風乃さんがいたのでマンガのネタになりそうな話をいろいろと聞けた。


新幹線に乗って東京へ。

品川駅で降りて、車で移動して、着いた先──それが明王義塾高等学校だった。


まず目を引いたのは、校舎の美しさ。


コンクリートの直線美と、木材の温かみが融合した校舎。まるで美術館のような空間だった。


でも、それだけじゃなかった。


「この学校には、15人のユリアシンドロームの生徒が在籍しています」


案内してくれた教職員、山中サクラさんが、そう説明してくれた。


教室はすべて個室。廊下にドアがずらりと並び、アプリを入れたスマートウォッチで開錠する。


「ここは特待生と各学年の成績トータルトップ10用の教室です。便宜上、ワタシが担任になっています。授業はリモート、録画、担当教諭が空いていればここに呼んで個別授業も可能です。だいたい『ユリアシンドローム』の生徒さんはここでおむつを交換してるわ。それから一般企業でいうところの『有給休暇』みたいな『自由登校』も年間10日ありますから、編集者と打ち合わせなどで外出もできますよ」


山中先生の言葉に


──ここなら。


そう思ってしまった自分が、少し悔しかった。


でも、現実には変えられないものもある。苦労して受験して合格を勝ち取り、受けたあの仕打ち。


ここでは、それを『前提』として扱ってくれる。


「学費も、制服代も、寮費もすべて免除。あなたを『芸術コースの特待生』として迎えます。お恥ずかしい話だけど、入試の結果、合格のレベルに達していない子が多くて、定員割れしてるの。あなたなら、すでにプロとしてデビュー予定だから、問題ありません」


私は言葉を失った。


寮は2種類。

ひとりで暮らせる1Rタイプと、親と一緒に住める2LDKタイプ。


「どちらでも選んでください。希望があれば、すぐに用意できます」


そこまで言われて、迷う理由なんてもうなかった。



見学が終わり、私は再び面談室に通され、マリさんと向かい合った。


「……どうする?」


問いかけは柔らかかったけれど、目は真剣だった。


「……よろしくお願いします」


そう答えたとき、私は“現実”から、もう一つ先のステージへ足を踏み出した。


ユリアシンドローム。

その名前を、私は“病気”としてだけではなく、“物語”として描いてきた。


でも、ここからは違う。


自分の人生そのものとして、私はこの病と向き合っていく。


「ようこそ、明王義塾へ」


マリさんの笑顔は、まるでこれから始まる物語の『プロローグ』を告げるように見えた。



夕方。


「古畑ほのかちゃんだっけ?どうだった?」


佐藤ゆりあは見学に同行した山中サクラに聞いた。


「良くも悪くも『普通の子』ですね」


それに風乃が反論する。


「私はそうは思わないけどな。新幹線の中とかすごかったもん。メンタル鬼だよ?」


サクラと風乃の2人が相反する事を言ったがゆりあは聞き流す。


「ま、『使えそう』だし、いいけどね。それよりもマリちゃん。もっといい『原石』見つけたわ!私を超える逸材かも!やっぱりノーベル賞取る逸材はさ、地方にしかいないんだよ。歴史が証明している」


ゆりあの興味はすでに別の子に向いていた。奥の応接用ソファーに座っていたマリは、大袈裟にため息をつく。


「はぁぁーー、勘弁してよ」

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