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オムツと私たち  作者: 062


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古畑ほのか(1)

合格祝いに、と母が言って買ってくれたタブレットPC。

真新しい箱を開けるとき、父は「どうせ遊ぶだけなんだろ」と苦笑していたけれど、母は「好きなことに使っていいのよ」と背中を押してくれた。


高校入学式の前夜。私はそのタブレットで、夢中になって絵を描いていた。

描いていたのは、今いちばん好きな少年漫画の主人公。ぶっきらぼうで、人を突き放すくせに、どこかで誰かのことを真剣に想っている、そんなキャラ。

あのキャラクターの強がった笑顔に、私自身を重ねていたのかもしれない。


下描きから仕上げまで、五時間くらいかかった。気がつけば日付が変わっていた。

保存して、初めて画像投稿サイトにアカウントを作り、アップロード。

心臓がドキドキした。「アップロードしました」と表示されるだけなのに、全身が火照ったような感覚。


「……誰か、見てくれるかな」


呟いた声が、小さな部屋に吸い込まれていく。

私はそっと電気を消して、眠りについた。



翌朝は快晴だった。

母は朝食に、私の好きな卵焼きを焼いてくれた。


「高校生、初登校だね」

「……うん」

「制服、似合ってるよ」


父は黙って新聞を読んでいたけれど、家を出るときに小さく「気をつけてな」とだけ言った。


入学式は人混みと退屈な挨拶の連続だった。誰が誰かもわからないし、隣の席の子と何を話していいかも分からない。

でも、自分の名前が呼ばれたとき、少しだけ背筋を伸ばした。

ここから、また始まるんだって思った。



帰宅して、制服を脱いで部屋に戻ると、すぐにタブレットを開いた。

まさか、と思いながら、投稿サイトを開く。


「……えっ」


信じられなかった。

昨夜描いた絵に、500いいねがついていた。


コメントもあった。

「光の描き方、すごく丁寧」

「このキャラ、こんなに表情豊かだったっけ?」

「作者さん、他の作品も見たい!」


思わず顔がほころんだ。心が跳ねる。自分が描いたものに、誰かが反応してくれる──その感覚が、たまらなく嬉しかった。


「もう一枚、描こうかな……」


気づけば、タブレットを握りしめたまま、画面に向かっていた。


描いたのは、昔のラブコメ漫画に出てくる『負けヒロイン』。

正ヒロインにはなれなかった、けれど最も人間らしかった、私が大好きだった女の子。


「もしも彼女が選ばれていたら」


そんなifを込めて、一枚のイラストを描いた。儚げに微笑む彼女の表情に、夜中までかけて色をのせた。


翌朝、アラームの音で目を覚まし、布団の中でスマホを開く。


「1000いいね……?」


目を疑った。あの一枚に、もう千を超える反応があった。


「次は漫画で読みたい」

「この続きが見たいです!」

「構図もすごい。ストーリーで読ませて」


その声に、私は動かされた。

今まで、漫画なんてちゃんと描いたことなかった。落書き程度ならある。でも、これは──ちゃんと描いてみたいと思った。


3日間、私はタブレットにかじりついた。

ご飯も母に「食べなさい」と声をかけられるまで気づかない。

トイレに行くのも、描きたい気持ちに負けそうになるくらいだった。


16ページ。すべてデジタルで仕上げた。

背景もコマ割りも自分なりに工夫して、何度も何度も描き直した。


完成したときは、夜中の2時を過ぎていた。

アップロードを押した後、私はしばらく涙が止まらなかった。



コメントが、次々に届いた。


「これ、商業レベルだろ……」

「負けヒロイン、ここで報われるの泣く」

「最後のコマ、息を呑んだ」


その中に、一つだけ異質なコメントがあった。


「ネームはこれに近かった。編集の意見でこうならなかったけど」


──原作者本人だった。


一瞬、画面が歪んで見えた。

私は息を止めたまま、何度も何度もそのコメントを読み返した。



昼すぎ、『ネトハピ』からDMが届いた。


「もし可能であれば、お電話で簡単なインタビューをお願いできませんか?」


頭が真っ白になった。

でも受けた。震える声で、受け答えをした。


その記事は「15歳の天才現る」と見出しを打たれて、ネットニュースに載った。


インタビューの最後で、私はこう答えていた。


「この話は、3部作です。あと2本、描きます」



そして3本目を描き終えた翌朝。

心は満たされていた。画面越しに届く“ありがとう”の声が、まだ耳の奥に残っていた。


目を覚ました瞬間、何かが変だった。


「……え?」


布団が、冷たい。


じっとりと、背中まで染みている。


私は、動けなかった。


「……うそ、でしょ……?」


シーツをめくると、下着まで濡れていた。

寝汗じゃない。はっきりと、分かる。


おねしょだった。


最後にこうなったのは、小学二年生の時。

まさか、自分が──。


そのとき、廊下を歩く母の足音が聞こえた。

慌ててシーツを外し、洗濯カゴに押し込む。足は震えていた。


「ほのか? 起きた?」


「……うん。いま……起きるとこ」


何も知らない声で母が返す。


私はそのまま、風呂場へシーツを持っていき、濡れたままのパジャマを脱いだ。

鏡に映る自分の姿が、なんだか他人みたいに見えた。



天才なんて呼ばれても、

漫画が少しバズっただけでも、

現実は、こんなにちっぽけだ。


朝の空気が、やけに重たく感じた。




同じ朝、東京のとある学校。


「マンガとは珍しいですね、事務長」


男性職員の軽口に、その女性。事務長は答える。


「ピクピクよ。知ってる?」

「pick pictureの略でイラストやマンガを投稿できるサイトですよね?」


その女性は事務長と呼ばれているが酷く幼く見える。まるで小学生のようだ。けれどれっきとした成人で、お酒も飲める23歳である。

そして事務長として7年目。つまりは高校生の時からこの学校の事務長を務めている。

男性職員がこの学校に入職してからずっと事務長だったので違和感などもはやない。


「それで何をみてたんですか?」

「才能の『原石』よ」


そう言って、彼女、水田マリは笑った。

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