76 「愛」正しい宗教のあり方
張りぼての愛はいずれ
真実の愛には負けるだろう
張りぼての愛を
よく宗教化が唱えてる事をよく聞く
なぜ?張りぼて?
愛は「与える」
おそらく起源は正しかったと思う
でも今ではその「愛」も曲げられ
洗脳術の手段として使われてる
何故なら
お布施や何かを買うことを求められる
到底「愛」とは程遠い存在に捻じ曲げられながら
美しい表現で唱えてくる
団結できるのも
何でも共有できるのも
逆に
集団でしかできないのも
誰かの長きに渡っての洗脳によって
美しいベールのかかった目標のようなもの
同じベクトルの方向へ向かせることによって
真実が歪め伝えられてるがゆえのこと
どんなに美しい表現で唱えてたとしても
求められた段階でそれは
「愛」でもない
「宗教」でもない
欲とかしたビジネス団体である証拠
だから自由に去ることもできない
本来
自分の意思で近づくもの
自分の意思で信じるもの
自分の意思で去るもの
「愛」があるなら
「来るもの拒まず去るもの追わず」
この私の中の信念のようなもの
このスタイルが実は正しい宗教のスタイルなんだと思う
2022 0517 0713
76 「愛」正しい宗教のあり方
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