254 雑談 ③
情報に振り回される人はここを見ない方が良い
取捨選択のできない人
外側に責任を見つけてしまう人は
ここを見ない事を
特にこのシリーズは見ない事をオススメする
私はあくまで可能性を伝えたいだけで
わかる人にだけ伝えたい
見てピンと来る人に伝えたい
どこか何となく当てはまり
ピンときたならば それは直感
あとは あなた自身の直感とひらめきで
防御できたらな~と思っている
個人へ伝えてるわけではないから
多くのパターンを書き伝えている
同じとこでピンときたとしても
個人の情報を併せ知れば多くのパターンが考えられる
必ず一方向へ誘ってるわけではない
宗教のせいにしてる?
宗教に結び付けてる?ような記事を見た
中身まで見てはいないが
もし心当たりが無ければ
宗教をアピールすることもないだろう
まぁその記事の筆者が宗教側で
悪意があるだけかもしれないけどね
何度も言う
情報に振り回される人
取捨選択のできない人
外側に責任を押し付ける人には
ここは向いてないと思う
一方向へ導いてるわけではない
同じ文を読んだとしても
お手持ちの情報と併せれば
別の方向へ導く事になる場合も少なくない
あくまでも
お手持ちの情報と
自分自身の直感とひらめきを大切にして
自分で自分を導く事を促している
誰かの誘導ではなく
自分自身を正しい方向へ導くため
私なら参考のために多くの情報を知りたい
そう思うから書いてるだけだから
今まで私がそうしてきたように
今まで私がそうしてもらえてたように
読んで大切なところだけを
ピックアップできる人へ伝えたい
そんな多くの可能性を私が感じたから
当てはまった人にだけ響き
全ての人に響くものではないから
案外そうやって情報に蓋をし
遠ざかってる人に限って
洗脳されたり誘導されたりする
もちろん本人が気が付かないまま
でも振り回されるのなら
見ることを止めた方が良い
あんな事件に巻き込まれてたらとか
自分の過去を振り返るのではなく
あんな事件に巻き込まれないようにと
未来のためのものと捉えられない人が
きっと情報に振り回されるんだろうと想像する
だとしたら
まだ見ない方が良いように思える
私は逆だったけどね
私は振り回されながら
取捨選択をより確かなものへと磨いていく
振り回されながら 体験しながら
身体で覚えていく感覚
するとそのうち
読みたくなくなってくるものと
読みたいものと別れてくる
あっちの世界の人は猜疑心に溢れてる
でも信じたら全てを委ねるほど信じてしまうよう
だから騙されてしまう
取捨選択を常に訓練していれば
全てを疑うこともなければ
全てを信じることもない
それがこっちの世界
近しい人ですら 自分に合ったものだけを
常に選択をしていく
それは人それぞれが根底にあるから
必ずしもその人が全てではないから
たとえ 誠実で間違ってない事を言ってたとしても
その人にとってだからね
そこを十分理解してる人が私の周りにはたくさんいる
だから
情報として多くを語り合うことが多い
昨日も
私の語ったことに だから○○なんだ~
と聞き手の持ってる情報を結び付け
私の知らない情報を教えてくれる
話してもどこかいつも広がりがあり
楽しい それが
話し合い 語り合いが大切で面白いとこである
全てを選択できる仲だからこそ
まだ不確かな情報を口にすることもでき
相手の情報と合わさって確かなものになることも多い
2022 1221 2146
☆
裏切りはあたりまえ
信じるバカにだけはならない
と言ってる人は
きっと自分がそうだからなんだと思う
おそらく
欲の多いそっちの世界の人には
普通の感情なんだろうな~と想像する
裏切りは当たり前だとも思ってないし
信じてバカを見たことも少ない
というか記憶にない
何度も言うように あっちの世界とは
信じる過程が違うからね
「欲」が強くない分
騙されるようなことへ突っ込むこともない
だから飛躍的に伸びていくこともない
それがこっちの世界
小さく騙されることはあっても
自己責任で信じたことに関しては
騙されたという表現には至らないし
大きく騙されるような状況へは入っていかない
全てを白黒に判断するんではなく
グレーも多い
要するに
否定も肯定もないからこそ
自分で取捨選択をして騙されることも少ない
蓋をしないで聞いて参考にはする
そんな情報から取捨選択をする
自分に合ったものだけを拾う
私の周りの人はそんな人が多い
人の話は真剣に聞き 「そうなんだ~」
と大概の人は否定はしないで聞き入れる
まぁこちらの世界の人の事を言っても
わからない事も多いかもしれないけどね
もちろん 私には
そっちの世界の人の事はわからないからね
一歩も引かず
きっとそう書いた人がそうなんだと想像する
私は納得いく意見があれば
いとも簡単にその意見へ乗り換える
それがこっちの世界
納得できるか?できないか?が全て
「一歩も引かず」という言葉は
自我の強い人の発する言葉なんだと思う
あっちの世界あるあるなんだと思う
話し合いができない世界だからこそなんだと想像する
私の友人
絵画や版画を全否定してた友人
私が良さを少し話しただけだが
家へ遊びに行ったら複数個飾ってあった
はっ???? 全否定してたじゃん
と言えば 笑顔で うんその時はね
と言えるくらい 笑い話になる
特に熱弁したわけではないのに
ハマったらしい
たとえその時は自分の経験値で絵画や版画を全否定しても
人それぞれの結論だから私を否定することはない
私の価値観はそのまま受け入れてくれつつ
自分の価値観では全否定してた友人の笑い話
陰で言えば悪口とか陰口になるかもしれない事だけど
お互いが本人の前でサラッと言えるようになれば
笑い話にもなるってこと
全ては本人たちの捉え方だと言えると思う
☆
ここに導いてくれたのはあなた
そして宇宙の導きと直感でここに書いてる事
そこには意味があり 止めてはいけない事
何度聞いても 離れて良いとは言ってくれない
だから書き続けることが使命なんだと思う
だから追い出そうと思っても無理だよん
あっ
宇宙は何が目的なのか?わかったかも(笑)
☆
なかなか良いこと言ってるね
さすがの貴女
違う角度から 美しい言葉で表現をしている
私が強くなった過程もそんな感じ
全てのマイナスをプラスに変えていく
マイナスがあるからこそプラスに変えることができる
と言っても過言でない
だから大切だと思えるネガティブ感情
その時はそんなネガティブ感情は少しも体験したくない
そう思うがプラスに変えれた時には良い体験だったとなる
それが感謝へと変われば完了
全てに時間がかかる場合もあるだろう
でも無理に感謝へ変える必要もないと思っている
全てが自然にできるとこに意味がある気がしてる
頭を下げること
と言ってるうちはまだまだだね
おそらく
自分の中にある本当の意思と違う場合に 頭を下げる
という言葉になるんだと思う
下げたくないけど下げるからそういう表現になるんだと思う
悪いと思えば自然に謝ることができる
ここが目指すところ
悪いと思わなければ謝ることはないだろう
歪を生む原因だからね
だからこそ 最終的には
頭を下げるという言葉は適切ではないとわかる
もちろん
そっちの世界的には必要な行為で
この言ってるニュアンスがわかりづらいのかもしれない
欲や利徳のために謝らないといけない事もあるからね
その表現も正しいものなんだと想像する
でも
欲や利徳を求めることが少ないこっちの世界の場合は
感情に反して謝ることが少ない
もちろん 公私は使い分けてる
ただ 頭を下げる と思ってるから
謝ることが自然にできない行為となってる気がする
もちろん
私も完璧ではない
自然にできる時と できない時がある
悪いと思っていてもできない時
悪いと思ってないからできない時
でもどのパターンにおいても
頭を下げる という表現には至らない
おそらく
本来の意思と反したときに生まれる言葉で
自分の内との戦いになるかな?
自然に謝ることができる時は全て認めてる時
できない時は認めてない時
悪いと思ってもまだ認めてない自分がいるから 素直に謝れない
悪いと思ってないということは当然悪いと認めてないから 謝ることができない
もちろん
後者は問題はないが 前者は向き合うべき課題となる
プライドが誇りに変わり
勝ち負けの感情も薄れていく
あったとしても自分に勝った時の勝ち
負けも自分に負けた時の負けの感覚だけで
他者に向けることはなくなっていく
でも他者に対して感じてる自分に気が付けば
まだまだ成長しなければいけない自分を知る
そんな積み重ねが
多くの悟りへと変わっていくんだと思う
254 雑談 ③
最後まで読んで頂きありがとうございました




