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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

オートマタ令嬢 機械人形は愛の夢を見るか?

作者: ふつうのねーちゃん

すみません、約2万字あります。

・プロローグ マリオン・ボレウスの破滅とリフレイン


 心臓発作を誘発させるこの毒は、夫が国王に盛った物と全く同じ物だ。私の名前はマリオン・ボレウス。反逆者ボレウス公爵の妻にして、これより冥府へと旅立つ者。

 このまま夫と共に断頭台に送られ、この首を衆目に晒されるくらいならば、私は名誉ある自害を選ぼう。


 私はジギタリスの根を使った毒杯をあおり、わずか30年にも及ばない短い人生に幕を下ろした。

 最大の過ちは、間違った男を伴侶に選んでしまったことだ。夫は魅力的な男性だったが、いささか野心的過ぎた。……もしも次の人生があるならば、学者にでもなって、今度こそやりたいことをして生きてみたい。


 この日、マリオン・ボレウスは歴史から姿を消し、そしてなぜか――旧姓マリオン・ディタとなって過去の世界で蘇っていた。



 ・



 少し前までは死んだら復活の日を待ったり、あるいは別の人生が始まるとばかり思っていた。ところが私は私のままだった。

 私は18歳を迎えたその日、自分が反逆者の妻であったことを思い出した。


「マリオン・ディタ! お前のような女とはもうこれ以上は付き合えない! 本日この時より、俺はお前との婚約を破棄させてもらう!!」

「ありがとう! 私、ずっとその言葉を待っていたっ!」


「な、なに……?」

「もう他のお相手が見つかっているんでしょ。私のことは気にしないで、その方と幸せになって公子様!」


 危なかった。この男と私が婚姻を結んだのは今年の冬のことで、あと少し未来を思い出すのが遅ければ、私は泥沼のシナリオに飲み込まれていただろう。


「く……っ、悔し紛れの言いがかりはよせ!」

「遠慮なんていらない。ほら、彼女と幸せになって!」


 私は未来を知っている。その未来で夫は私の友人の1人と不倫をしていた。さすがにあの時は荒れに荒れたけれど、今では感謝している。だってこうして彼を押し付けられるんだもの!


 公爵家の庭園を使ったナイトパーティにて、私は強引に友人の手を引いて公子様と引き合わせた。もちろん拍手もした。2人の未来にではなく、私の前に拓けた自由と希望を自ら祝福した。


 それから私は会場を離れ、真っ直ぐに屋敷へと帰った。

 かれこれこういった理由なので、理不尽だが彼の婚約破棄を受け入れる他になかったと両親に報告して、もう侯爵令嬢としての人生が嫌になったので、王立学問書の試験を受けたいと両親を説得した。



 ・



 私は王立学問所では落ちこぼれだった。おまけにここでは女子生徒は珍しく、私は少しでも成績を上げようと毎日が必死だった。


「女性だからとえこひいきはしません。明日の朝までに課題を提出できなければ、君は落第です」

「えっ、明日の朝までなんて無理よっ!?」


「なら留年です」

「うっ……わかった、やればいいんでしょ、やればっ!」


 科学の先生は意地悪だった。他の先生は婚約者に捨てられた私の立場に同情してくれたのに、この陰険眼鏡だけは容赦がなかった。

 彼は眼鏡越しに涼しい顔で私を見て、まるで氷の彫像みたいに表情1つ変えずに――この性格はともかく意外と丁寧に勉強を教えてくれた。


「朝まで付き合いましょう。君は頭は良いのですから、必ず間に合うはずです」

「……え?」


「どうかしましたか?」

「え、あ、いえ……。じゃあ、がんばる……」


 その先生の名前はギュスフィ・ライエル。どこかで聞いた覚えがある名前だと思っていたら、それは未来の世界で祭司長となる現王の三男だった。



 ・



「いらっしゃい、マリオン」

「うん……。お邪魔します……」


 てっきり陰険で冷たい男だと思っていたけど、実はその反対だった。教壇ではいつだって鋭く冷たい氷の男が、学問所の植物園ではやわらかな笑顔を浮かべるやさしい男性になる。ギュスフィ先生は仕事とプライベートを両極端に分ける種類の人だった。


「模試で学年3位になったそうですね」

「え、そうなの……?」


「あ……いえ、すみません。まだこの話は、生徒には公開されていなかったのでした」

「嘘……。ってことは、私本当に3位になれちゃったの!?」


「すみません……。この話はしばらく他言無用でお願いします」

「そんな自慢ったらしいこと、私がするわけないじゃない」


 温室で草木の世話をしているときは、彼はいつだってニコニコと微笑んでいる。彼は植物学者で、叔父が祭司長が引退するまで役職がない。本当はずっとここで草木を研究して生きたいと、そう私に愚痴ることも多くなった。


 マリオン・ボレウスだった頃の私の憧れは、笑われるかもしれないけれど庭師だった。一日中、花や草木の世話をして生きられるなんて、なんて羨ましいのだろうと思っていた。


「あの、今日もここのお仕事、手伝ってもいいですか?」

「もちろん。マリオンがきてくれるのを私は待っていたよ」


「わ、私も……。私も先生を、手伝いたくて……」

「マリオン、君は私の誇りです。これからもみっちりと、教育者として君を支えましょう」


「そこは、手加減して欲しい……」

「無理ですね。教壇に立つと私は、どうやら気が強くなるようなので……」


「普通は逆かと」

「ええ、不思議なものですね」


 2度目の人生は学問に生きて、男性を頼らずに生きようと決めたのに、私はギュスフィ先生に惹かれていった。彼はやさしくて、上品で、でも教壇では氷のように冷たくて、何よりも植物が好きな純粋さを持っていた。



 ・



 私たちは互いに惹かれ合い、恋に落ちて、やがて私が20歳になったある日、婚約を結ぶことになった。私たちには少し気が早かったのだけれど、国王陛下に関係を気づかれてしまい、そうする他になくなってしまっていた。


 けれどもこの急展開に戸惑っていたのは、私とギュスフィ先生だけだった。陛下も王妃様も、私の両親や妹たちまで、誰もが大喜びで婚約を祝福してくれた。

 

 私たちは国王主催の婚約記念パーティに参加して、王国の新たなる未来を生み出す男女として諸侯の前で愛を誓った。


「おめでとう、マリオン!」

「あ、ありがとう……」


「お兄様には悪いけど、ギュスフィ王子はお兄様よりずっと素敵! 貴方が羨ましいわ、マリオン!」

「ごめんなさい、カサンドラ……」


「いいのよ。二股をかけていたのはお兄様だもの!」


 この子は親友のカサンドラ。前の人生では義理の妹だった。他家に嫁いでいたこともあって、未来では断頭台送りを回避した者の1人だ。私は彼女からお祝いのワイングラスを受け取り、少し申し訳ない気持ちで微笑んだ。


「あ、待って。せっかくだから外の静かなテラスで飲みましょ」

「わかった」


 2人で会場を出て、私たちは夜の闇に包まれた静かな庭園に落ち着いた。全てが上手くっていることに神に感謝して、2人で笑い合いながら酒杯を傾けた。


「ッッ――?!!」

「あれ、どうしたの?」


 だけど私の人生はそこまでだった。その祝いの酒から、あの毒薬(ジギタリス)の味がして、私は全身から血の気が引いた。焼けるようにお腹が痛み、激しい嘔吐に私は倒れた。


「た、大変っ、誰かっ誰かすぐにきてっ!! マリオンが、マリオンが急に……っっ!!」


 そんな、またこの結末だなんて……。

 いえ、こんなのは前の人生よりも最悪だ。私が死ねばギュスフィ先生が悲しむ。私は激しい心臓発作と呼吸困難に苦しみながら、心臓よ止まるなと自分の身体を励ました。


 けれどもダメだった。私は以前と全く同じ、心停止によるショック死を迎えていた。


 私はきっと、ここではない別の世界で再び目を覚ますだろう。そしていずれこの結末に気づいて、歴史の繰り返しを回避しようと足掻き始めるはずだ。


 だけどこの世界ではもう終わり。この世界の私はもういない。ギュスフィ先生は悲しみに暮れて、だけどいつかは新しい伴侶を見つけて、幸せな未来を手に入れる。他人に奪われるのは悔しいけれど、そうなることを願わずにはいられない。


 願わくば次の人生は、今度こそ先生と結ばれたい。私は次の人生でも、彼と同じ時を生きたかった。




 ・




・マリオン・ディタ・自動人形(オートマタ)


「君の名前を教えよう。君の名はマリオン・ディタ、ここにいる彼女の姉だ」

「初めまして、お姉ちゃん。あたしはミルリフ・ディタ。これからよろしく」


「おっと、説明がまだだったな。私は錬金術師にして、君の制作者(クリエイター)だ。名は――名はナンタラカンタラだ」

「ん……この子、大丈夫かな? この子でちゃんと王子様を立ち直らせられるの?」


「さあな。私は頼まれたから作っただけだ。後は彼女、マリオン・ディタ・オートマタ次第だろう」

「オート、マタ……?」


「そうだ、君は私が造った。創造主に会うなど、人間には到底叶わぬ喜びだ。君は恵まれているぞ」

「お姉ちゃん、貴女は人形よ。この得体の知れないうさんくさい男が作り出した、マリオン・ディタの身代わり人形なの」


 薄暗い世界に明かりが灯ると、そこには沢山の人形がひしめいていた。

 私は人形。私の妹はブロンドの美しい髪をしていて、どこかトゲトゲとしていた。


「よし満足だ。詳しい解説は任せたぞ、ミルリフ嬢」

「はいはい……。えっとね、お姉ちゃん、あたしたちはお姉ちゃんにはやって欲しいことがあるの」

「……はい。何を、すれば、よろしいですか?」


 妹は私の返事にどこか難しい顔をした。なぜかはわからない。


「あたしは犯人を知りたいの……。お姉ちゃんを殺した犯人を」

「待ちたまえ、王の依頼の方が優先事項だろう。出資者は彼だ」


「じゃあアンタが言いなよ」

「……ふんっ。オートマタよ、君の役目は先述の通りだ。君にはマリオン・ディタを演じてもらう」

「それは、なぜ……?」


「うむ、疑問系か、良い傾向だ。もっと多くの疑問を持つといい、世界には謎がいっぱ――」

「お姉ちゃんが死んで、ギュスフィ王子は人との関わりを絶ってしまったの。おまけにこの前落馬して、もうどん底もどん底。誰かが励まさなきゃ、あの人はもう立ち上がれない。肉体的にも、精神的にも」


「まあ、そんなところだ。君は怪我を負った王子を恋人として励まし、マリオン・ディタを殺した犯人を捜せ」

「死んだはずのお姉ちゃんが生きていると知ったら、犯人は動揺するはずでしょ。もしかしたら、もう1度殺そうとしてくるかもしれない。それを貴女が見つけるのよ、オートマタ」


 それが役目ならばと、私は妹と創造主にうなづいた。私はマリオン・ディタ・オートマタ。オリジナルの代わりに生み出された、もう1人のマリオン・ディタだ。


「ではミルリフ嬢、後のことは任せた」

「わかった。……変なやつだけど、貴女がいてくれて助かった。これでお姉ちゃんの仇を――断頭台送りにできる」

「断頭、台……?」


「フッハハハッ、家族愛とは裏を返せば恐ろしいものだ。……オートマタよ、上手くやるように」

「はい……必ず」


 私はその後、マリオン・ディタの実家に連れて行かれた。そこで本当のマリオン・ディタを演じるために、ミルリフから一通りの教育を受けた。

 私はマリオン・ディタ。私はマリオン・ディタ。彼女の代わりを演じ、悪を暴き、傷ついた王子を救うのが役目。


「うーん……お姉ちゃんはもっと、ハキハキ答えるよ。お姉ちゃんより大人しい性格なのはわかったけど、人前では元気なお姉ちゃんを演じて」

「はい。いえ……わかった。こうですか?」


「んー、30点。もっと元気よく!」

「わかった!」


「まあ改善してるかな……。こんなので本当に、あの王子様を騙せるのかな……」

「がんばる! 私、がんばる! これでどうでしょうか……?」


「悪くないね、今のは少しだけお姉ちゃんぽかった! 偉いよ、マリオンお姉ちゃん!」


 私は日中は彼女にマリオン・ディタを教わって過ごし、夜はマリオン・ディタの蔵書や日記を読み込んで、少しでもオリジナルになり切れるよう努力した。この時の私にとっては、ミルリフが世界の全てだった。


「そういえば、あのうさん臭い錬金術師さ? 最後になんかマリオンお姉ちゃんに言ってたけど、なんて言ってたの?」

「最後……? ああ、あれは……」


「ほら、また素が出てる! もっとお姉ちゃんっぽく!」

「……ミルリフ、それは言えない。言うのが、正しいとは思えないから」


 錬金術師は奇妙な言葉を残して国を去って言った。


『もう生きたくない。いつか君はそう願うようになるだろう。そんな日のために、私は君に自殺をする方法を残した。君には自らの機能を停止させる機能がある。壊れたい、そう願った日に君は壊れるといい』


 なぜそんな機能を持たせたのかと私が聞き返すと、彼は私にはわからないことを言った。


『死がなければ生きたことにはなるまい。死と愛こそ人形を人間たらしめるのだ』


 私はマリオン・ディタ・オートマタ。私は私を殺す機能を持っている。理由はまだよくわからない。



 ・



 一ヶ月間をかけて私は本物のマリオン・ディタとなった。彼女の好み、彼女の思考、彼女の知識を吸収して、ついに私はギュスフィ先生の離宮を訪れた。


 植物学者である彼らしい緑と花々にあふれるその離宮は、オートマタの私から見ても美しかった。ミルリフと同伴で馬車から降ろされ、私は驚きに目を剥く使用人たちに導かれながら離宮の屋内に入る。


 荘厳なエントランスを抜けて、王子の病室の前までやってくると、後はもういいからとミルリフが使用人を仕事に戻らせた。


「失敗は許されない。必ず彼を立ち直らせて、真犯人を見つけ出して」

「わかった。私に任せて、ミルリフ」


「うん、任せたから。さ、行くよ」


 ノックをすると、中から男の人の声が響いた。私が本物のマリオン・ディタなら、聞き覚えのある声に感動していたのだろう。だが偽りである私の胸の中では、知らない男性に会う抵抗や、上手くやれるのかどうかの不安しかなかった。


「ギュスフィ王子、あたしよ、ミルリフよ」

「ああ、君か……」


 酷く憔悴した声だった。疲れ果て、人生に膿みきった暗い声だ。私はそれに憐憫や同情すら感じなかった。生まれたばかりの私には、そういった感情は高度過ぎたのだろう。


「中に入ってもいい?」

「いや……しばらくまともに髪もとかしていなくてね……」


「お姉ちゃんが一緒でも? ほら、お姉ちゃん、挨拶して。生きてたって伝えなきゃ」

「何をバカなことを――」


 私はこの日のためにこの1ヶ月をがんばってきた。嘘がいけないことすらもまだ知らなかった。


「ギュスフィ先生」

「ぇ……」


「私は死んでなんかいない。中に入れてくれる?」

「マリオン……? いや、あり得ない……これは、幻聴か……? ああ、だが、この声はマリオンです……マリオン、マリオンッ、まさか本当に生きていたのですかっ?!」


 部屋の中で、ドスンと人が転げるような重い物音が響いた。

 しばらく待つと中から扉の施錠が解かれ、松葉杖にしがみついた男性が現れた。若草のように淡い緑の髪はボサボサで、顔から度の強い眼鏡が外れかかっていた。


「マリオン……ッ、本当に、生き、ッッ……あ、ああっ、本当に、本物に君なのですか……!?」

「ぁ……」


 どうすればいのかわからなくて、言葉も思考回路も止まっていた私を王子様が堅く抱き締めた。痛いくらいにきつく、強く、彼は足を折っているのでのし掛かるように私にしがみついた。


 女性が男性を平然と支えたら疑われてしまうと教わったので、私は崩れかかるように演じながら背中を廊下の壁へと預けた。


「ごめんね、ギュスフィ王子。お姉ちゃんを狙った敵を見つけるために、わざと死んだことにしていたの。ずっと騙しててごめんね」

「ごめんなさい……」


 本物のマリオン・ディタならその演技じゃないと、妹が私に向けて首を横に振った。

 私もそう思う。だけど言葉が胸から勝手に出てきて、私はごめんなさいと謝罪してしまっていた。


「いいんです……こうして帰ってきてくれたのなら、私はそれでいいんです……! ああ、私は今日までなんて無意味な日々を過ごしてきたのでしょう……。愚かな私を笑って下さい……」

「これからは、私が貴方の面倒を見ます。これからは、ずっと、私たちは一緒です」


 あんなに訓練したのに、私は動揺のあまりにオリジナルを演じきれなかった。それでもギュスフィ王子は感激の涙を流し、私の機械仕掛けの身体に温もりを求めた。


「お姉ちゃんね、この離宮でギュスフィ王子の足が治るまで、一緒に暮らしたいって。構わないでしょ?」

「マリオン……! 私も君と一緒に暮らしたい! 君のいない人生はもう嫌ですっ、どうかここにいて下さい!」


 私は今、動揺している。どうしてここまで心が揺れるのか自分ではわからない。ギュスフィ王子が涙を流して私を見つめるほどに、私は心がゾワゾワと震えた。


「ごめんなさい……あ、ちが……。あ、貴方と一緒に暮らせて、嬉しい……!」

「そうですっ、今からうちの植物園を見に行きませんかっ!? 自画自賛ですが、ここには王立学問所より立派な温室があるのです!」


 ミルリフが車イスを用意して、美しい王子様をそこに乗せた。その車イスを私が押して、幸せいっぱいにはしゃぐ王子様を運んだ。

 彼の植物園は見たこともない草花でいっぱいだった。彼の話もとても面白かった。遠い異国から手に入れた花だと嬉しそうに自慢してくれた。


 元気を取り戻した王子様はそれから湯浴みをしに私の前を離れた。入れ替わりに妹のミルリフがやってきて、彼女は満足げに笑った。


「最初は怪しかったけど、思ったよりちゃんとやれてるじゃん」

「そうでしょうか……?」


「心が弱り切ってて、王子はその姿を信じる他にない、って感じもするけど。でもいい結果だよ、これなら王様にも良い報告ができる」

「……あの、でも私たち……。私は……正しいことを、しているのでしょうか……?」


 彼の笑顔を見るたびに私は気持ちがおかしくなる。何かが間違っているような気がした。


「もちろん。ギュスフィ王子に死なれたらみんなが困るもん。だって彼は次の祭司長なんだよ」

「なら、私たちは、間違っていない……?」


「そうだよ、お姉ちゃんは良いことをしてるんだよ。……あ、でもくれぐれも彼がマリオン・オートタに依存するまで、気づかれないように気を付けてね」

「あの、それはどういう意味、ですか?」


「嘘なんて吐き通せないよ、いつかは王子も真実に気づく。だからお姉ちゃんはその日まで、本物のマリオンより愛されるようにならなきゃいけない。……がんばってね、お姉ちゃん」


 私の全ては妹のミルリフだった。けれどもそれはギュスフィ王子との出会いにより、疑いへと変わった。王や彼女の計画は本当に正しいのか?

 私は小さな疑いを覚えながらも、笑顔を取り戻した王子との偽りの生活を続けてゆくしかなかった。


 私はマリオン・ディタ・オートマタ。この役割を果たすために作られた。だからこうしてオリジナルを演じることは、間違ってはいないはずだった。




 ・




・ジキダリス


 マリオンの日記には、ギュスフィ先生は厳しいとあった。けれど私にはそうは思えない。王子はいつだって私に対して笑顔で、厳しい態度なんて1度も見せたことがなかった。どんなときも紳士的で、教養深く、面白い話ばかりしてくれた。


 1ヶ月が過ぎると、今の生活が当たり前になった。ミルリフは確かに魅力的な妹だったが、私に対して威圧的だったのだと理解できるようになった。


 ギュスフィ王子との生活は穏やかだ。毎日がつつがなく静かに過ぎてゆき、この何でもない生活は生きている喜びにあふれていた。


「やはりここでしたか。いつも草木の世話を任せてしまってすみませんね」

「いいの、ここにいると、落ち着くの」


 私はマリオンを演じて、松葉杖姿の王子を植物園で出迎えた。彼は笑い返すとやさしく笑い返してくれる。そんな当たり前のやり取りが私には嬉しかった。


 王子は精神的にももうだいぶ立ち直ってきている。そんな彼の目から、私はどう映っているのだろうか。ちゃんとマリオン・ディタを演じられているのだろうか。


「何か悩みでもあるのですか?」

「ぇ……なぜ、そう思うの?」


「これでも君の担当教師です。そのくらいわかりますよ」


 不安定な松葉杖ではいつひっくり返るかもわからない。私は王子の手を取って支えた。『悩み』……今まで気づくことのない概念だった。私は今日までずっと、悩んでいたことに今気づいた。


「本当にどうしたんですか? 心の弱った私が頼りないですか?」

「違います……」


「君は私を助けてくれたのです。私だって君の助けになりたい、どうか言って下さい」

「言えない」


 本当のマリオン・ディタではないなんて言えない。もしそれを言ったら、この穏やかでやさしい関係は終わってしまう。私は、私がオートマタであることを知られたくない……。


「おや、あれは……カサンドラくん?」


 温室の入り口にドレスをまとった女性が立っていた。

 カサンドラ。カサンドラ公女。マリオンの親友だとミルリフから聞いている。日記にも時々出てきた人だ。


「マリオンッ、よかった、本当に生きてたのねっ!」

「死んだと思った? 残念、生きてるよ!」


 私はまたマリオンを演じた。彼女は私の手を取って、私の無事を喜んでくれた。


「私は先に戻っています。カサンドラ嬢、昼食を用意させておきますので後でご一緒しましょう」

「ええ、喜んで!」


 ギュスフィ王子の退室に私は安堵した。私は演じているだけだ。彼女とのやり取りから真実を見破られる可能性があった。


「ごめんなさい、マリオン……。あのとき私が、あの杯を飲んでいたら、死ぬのは私の方だったのに……」

「私、死んでないけど?」


「ふふっ、ホントよ! どうして生きてるのっ!? 血も沢山吐いてたのにっ!」

「すぐに嘔吐したからだって。ふふ、もうちょっとで死ぬところだった!」


 あらかじめ作られていたストーリーを語った。彼女はそれを信じたように見える。けれども何かが気になるのか、私の顔をまじまじとのぞき込んで、頬へと触れてきた。


 私は完璧。ギュスフィ先生を騙すために造られた完璧なオートマタだ。


「ごめん、別人が皮をかぶってるんじゃないかって、つい気になっちゃったのよ」

「皮なんてかぶってないよ」


「そうみたい。不思議……生きているのが不思議……」

「私も不思議。生きてるのが不思議だよ」


 ここでオートマタだと答えても彼女は信じないだろう。私はジョウロを手に取って、水が好きな草木には多めに、乾燥を好むものには控えめに水を配っていった。


「ねぇ、倒れる前のこと、どこまで覚えてる……?」

「ほとんど忘れた。あの時は苦しくて大変だったから」


「そっか……」

「ところでカサンドラは、この離宮に何度もきたことがあるのよね?」


「そうよ、ギュスフィとは幼なじみみたいなものだから」

「だったらそこの花壇、なぜ何も植えられていないのか、知ってる?」


 植物園には一カ所だけおかしな場所がある。いつまで経っても何も植えられない空っぽの花壇があって、私がギュスフィ先生に聞いても何も答えてくれなかった。


「知らないわ。それより昼食をご馳走になりましょ!」

「そう……だったら先に行ってて。私はもう少し水をあげてから行く」


「わかった、じゃあお言葉に甘えてそうするわ……」


 そこに咲いていた花の名を、離宮の人間は誰も私に教えてくれない。マリオン・ディタの死から間もなくして、ギュスフィ王子が全て引き抜いてしまった。

 そう私に教えてくれたのは、妹のミルリフだった。



 ・



「なんだ、そんなこと。あそこに咲いていたのはジギタリス、お姉ちゃんを殺した毒草よ……。私には王子の気持ちが痛いほどわかる……。まさかあんなに美しい花が大切な人を殺すなんて思わないもの……。ああ、それでそれがどうかしたの?」

「……いえ、何も」


「本当に? 何かつかんだのならすぐに言いなさい。お姉ちゃんの仇を見つけ出すのが、貴女の役割なんだから」

「私は毒では死なない」


 素直な同意の代わりにそう答えると、ミルリフが残忍に口元をひきつらせた。彼女にとってそれは待ちに待った瞬間だ。自分たちが張った罠に犯人が引っかかり、もう1度マリオン・ディタに毒が盛られる日を彼女は待っている。


 けれどそうなれば私はもう、マリオン・ディタではいられなくなるだろう。致死性の毒を盛られて、生きていられる人間はいないのだから。


 偽の恋人を演じたオートマタを、ギュスフィ先生が許してくれるとは思えなかった……。




 ・




・二度目の婚約


 それからいったい何ヶ月が経っただろう。眠らないオートマタである私にとって、カレンダーはさほど大きな意味を持たなかった。

 ギュスフィ先生の脚から包帯が消えて、松葉杖ではなくステッキを頼りに立てるようになって、最近では離宮の外にも時々出かけるようになった。


 けれども彼が元気を取り戻すのと正反対に、私の気持ちは日に日にうち沈んでいった。最近はそのせいで、どちらが面倒を見ているのかわからない。


「何を悩んでいるのですか? いい加減、私に打ち明けて下さい。貴女の苦しそうな姿を見ているだけで、私まで気が滅入ってしまいます」

「ごめんなさい……」


 私の役割は彼を立ち直らせること。立ち直った王子にマリオン・ディタ・オートマタは必要ない。


 私は彼をずっと騙している。最初はそれが己の役割だからと割り切れた。善悪すら私は知らなかった。けれど今は違う。本当のマリオンはもうこの世にいない。彼が真実に気づくその日がきたら、私は彼に激しく責められるだろう……。


「困りました……。これではおちおち復職もできない……。お願いします、元の明るい貴女に戻って下さい」

「違う。私は……。ぁ……っ?!」


 真実を彼に打ち明ければ、ミルリフの悲願は叶わなくなる。私も彼を失う。一時の苦しみからは解放されるけれど、後には何も残らない……。

 ギュスフィ先生はそんな私の手を取って、化粧箱から赤い指輪を取り出した。


「既に1度やっていることなので妙な感覚は拭えませんが、あらためて私は貴女に気持ちを伝えたい。マリオン、私は貴女のことが大好きです。改めて、婚約を結んでくれませんか」


 薬指に指輪が通されて、私はさらにどうしようもなくうろたえた。私は嘘吐きだ。私は貴方を騙しているだけだ。この指輪を受け取る権利は、オリジナルのマリオン・ディタにしか存在しない……。


「なぜそんな顔をするのですか……? 今日までの情けない姿に、私が嫌いになったのですか……?」

「ギュスフィ先生……わ、私、私は……」


 私は偽者、本物ではない。私は貴方を騙している。そう言えたらどんなに楽だろう。けれどそう言ってしまったら全てが終わってしまう、計画も、幸福も。

 私はオートマタなのに、どうして感情を持って生まれてしまったのだろう……。


「嬉しい……ありがとう、先生……」

「マリオン……ビックリさせないで下さい。まさか婚約を破棄されてしまうのではないかと、肝が冷えましたよ……」


 私は人形。私は彼を立ち直らせるために存在している。私は告白を受け入れて、いつだって明るいマリオンを演じた。私はこの人のことが好きだ。けれどもこの人が愛した人はもういない。だから私は演じる。失われたマリオン・ディタを。


 私はこの日、ギュスフィ・ライエルと初めて婚約した。



 ・



 私を造り出した錬金術師は、私に自らの意思で壊れる自由をくれた。あれは私の未来に絶望しかないことを、予期してのことだったのだろうか。……わからない。

 毎日が幸せで、罪悪感に満ち満ちていた。偽りの幸せに抱かれながら、眠らない人形である私はベッドの中で夜を過ごし、ギュスフィ先生が目覚める夜明けをただただ待ち続けた。


 そんなある日、だいぶ久々に妹のミルリフが離宮を訪ねてきた。ただし、国王からの使いとして。

 彼女はギュスフィ先生への挨拶もそこそこに、密談のために私を人気のない裏庭へと引っ張っていった。


「陛下はギュスフィ王子が立ち直ったと、ついに判断を下したわ。つまり、次は私たちの番よ。半月後にもう1度、城で婚約記念パーティを開くことになったから、参加するようギュスフィ王子を説得して」

「ぇ……。でも、それは……彼の心の傷を……」


「やるのよ。それとも何……? オートマタのくせに、彼のことを愛してしまったとでも言うの? 本当のお姉ちゃんじゃないくせに……」

「ッッ……。そうね……私は、マリオンじゃない……。私はただの人形よ……」


 ミルリフは言い過ぎたと思ってくれたのか、怒り狂う鬼のようになっていた形相を元に戻した。それほどまでに彼女は姉のことが好きだったのだろう。元通りのやさしいミルリフに戻ってくれたのが私は嬉しかった。


「人形でもあたしは別にいいわ。もし貴女がギュスフィ王子に見捨てられても、あたしが面倒を見てあげる」

「それは、本当ですか……?」


「当然じゃない! たとえオートマタでも、お姉ちゃんと同じ姿形をした人を見捨てられるわけないでしょ……。全部終わったら、ずっとあたしのそばにいなさいよ……責任、取ってあげるわ……」


 思いもしない言葉だった。私はてっきりミルリフに道具扱いされているとばかり思っていた。


「……わかったわ。私がギュスフィ先生を説得する。マリオン・ディタの仇を、私たちで見つけ出しましょ」

「いいの……?」


「私は人形。人形を心から愛する男性なんて、どこにもいないわ」


 全てが終わったらいっそ壊れてしまおうか。私の役割はギュスフィ先生を立ち直らせて、オリジナルを殺した犯人を見つけ出した時点で終わる。もし叶うならば、次は人間として産まれたい。


「そんなことないっ、あたしは貴女のことが好きよっ! 約束だってするわ、貴女はあたしが面倒を見る! だからお願い、お姉ちゃんを殺した犯人を一緒に見つけて!!」

「ええ、それが私の役目だもの。ぁ……」


 妹が私の胸に飛び込んでくるその寸前に、私は彼女を突き飛ばした。代わりに私の胸に矢が突き刺さり、ミルリフが悲鳴を上げると、人形は人形の役割を演じることになった。


 暗殺者の矢に撃たれて苦しむ姿を演じて、血や傷口を見られないように死角に逃げてからうつ伏せに倒れた。暗殺者は私が致命傷を負ったと見て、すぐに逃げていったようだった。


 このせいでしばらく、私は怪我人を演じなくてはならなくなった。




 ・




・マリオン・ディタ・オートマタの終わり


 あの後は帳尻合わせが大変だった。矢を受けたこの身体を直せるのは医者ではなく、錬金術師や職人だ。


 しかしかといって重傷を負った怪我人が医者を頼らないのも不自然で、そこでミルリフに同行していた御者に白衣を着せて、偽りの診察をさせることでどうにか事態を収拾した。


「どうしてもっと早く教えてくれなかったのですか!? マリオンッ、傷は大丈夫ですか!?」

「平気。運良く急所を外れていたらしいわ」


「よかった……ああ、よかった……。2度も死なれたら困りますよ……。ん、ミルリフは?」

「犯人探しに夢中みたい」


 そう答えると、あれだけやさしいギュスフィ先生まで歯ぎしりをして怒りに顔を歪ませた。


「許せない……。なぜこうも執拗に君を狙う……。私を苦しめたいなら、私を狙えばいいのに……」


 結局、犯人は見つからなかった。私の胸を確実に射抜いたところからして、プロの仕事だとミルリフは推測していた。


 予定されていた婚約記念パーティは日程の決め直しとなり、私はギュスフィ先生と一緒にいられる猶予期間が伸びたことに、皮肉なことに幸福を覚えることになった。

 ギュスフィ先生はやさしかった。私は仮病を演じながら、この罪深い幸せを一生忘れまいと胸に刻んだ。




 ・




・終幕 自らの意思で機能を止めたオートマタ


 それから2ヶ月ほどが経ったある夕過ぎ、王都の城にて2度目の婚約記念パーティが開かれた。警備の網をわざと緩くしたのは、もう1度マリオン・ディタを毒殺させるためだ。

 敵が以前と同じ手口でくるとは限らなかったけれど、私には再び毒が使われるだろうという予感があった。


 マリオン・ディタを殺した犯人は、わざわざ婚約記念パーティという場を選んだ。そしてこの場で要人を殺害するならば、剣や弓よりも毒の方がずっと確実だ。


「マリオン、もう発表も終わりましたし帰りませんか……? この会場にいるだけで、私は気が気ではありません……。あの日のようにまた貴女が殺されたりしないかと、そう思うと、私は……」

「大丈夫、2回も生き延びたんだもの。それに犯人だって、同じ手を使ってくるとは限らないじゃない」


 会場に全員分の酒杯が配られた。諸侯の注目を浴びながら改めての婚約を宣言し、私は杯を掲げた。


「マリオン、どうか考え直して下さい! あの日のように毒が入っているかもしれないのですよっ!?」

「大丈夫、私は死なないわ」


 裏では王直属の家臣たちや、ミルリフが網を張り巡らせてくれている。そのミルリフがちょうどテラスから会場に現れて、私に向けて深々とお辞儀をした。それは合図だ。

 私がマリオン・ディタを演じることを止め、ギュスフィ先生を騙した罪を認め、別れを踏み出す合図だった。


「止めろ、止めてくれっ、せめて酒杯を私のと交換してくれ!」

「ギュスフィ先生」


 王もこの計画を知っている。知っているからこそ止めなかった。

 先ほどの合図で、この酒杯に毒が混入されていることが判明した。後は私がこれを飲んで、死んだふりをして、犯人を出し抜くだけ。


「マリオン、私は君を失うの怖いのです……」


 私は静かに首を横に振った。すぐに彼は私の様子がおかしいことに気づき、何も言わずに続きの言葉を待ってくれた。

 嫌われる前に好きだった人の顔を記憶に焼き付けて、私は彼に今日までの嘘と真実を伝えた。


「今日までずっと、ずっと騙していて、ごめんなさい……。私は、貴方の愛した女性ではありません……。私は、私はオートマタです。愚かな、あまりにも愚かな、私をどうかお許し下さい……」


 私は毒入りの酒杯を一気に煽り、そして最後の嘘を演じた。嘔吐、呼吸困難、激しい心臓の発作。一通りを演じて、倒れて、最後に呼吸を演じることを止めた。

 後は陛下とミルリフが上手くやってくれるだろう。私は哀れな死体として、会場から運び出されていった。



 ・



 自ら壊れるのは結末を見てからでいいだろう。私は考えることを止めて、ただ死体として結末の訪れを待った。ギュスフィ先生とはもう終わった。彼が愛したのはマリオン・ディタと呼ばれた女性であって、私みたいな空虚なオートマタではない。


 幸せな日々だった。失うのが恐ろしくて辛くてたまらなかったけれど、真実を吐き出すと楽になれた。彼は国王陛下をきっと恨むだろう。騙した私やミルリフを恨むだろう。

 けれども彼は立ち直った。きっと今の彼なら、いつか新しい伴侶を見つけて幸せになってくれる。


 自分の幸せをだけを考えるならば、このまま彼を騙し通すシナリオでもよかった。彼も真実に薄々感づきながらも、騙され続けることを選んだだろう。それもまたあり得た一つの結末で、同時にこれよりもずっと厳しい茨の道だ。私は別に、偽りと茨で覆われた未来でもよかった……。


 城の礼拝堂で、仮初めの棺に収められてどれだけ経っただろうか。ふいにそこへと足音が響いて、ようやくお迎えのミルリフがきたのかと安堵した。あの子はまだ私を必要としてくれている。あの子が老いて亡くなるまで、死ぬのを延期にするのもいい。彼女もまた、2度も愛する人の死を見たくなどないだろう。


 ところが――礼拝堂に現れたのはあの子ではなかった。長い、あまりに長い沈黙の後に、その人物はとても悲しそうな声で言った。


「父から全てを聞きました……」

「ッ……?!」


 それはギュスフィ先生だった。恨み言を言われるのではないかと、私は恐怖と動揺に怯えた。今日まで私のしてきたことはあまりに罪深い行いだ。人形に天国があるかはわからないけれど、神様はきっと私をお許しになられない。


「貴女は私を再び立ち上がらせるために、今日までずっと、マリオンを演じてきたそうですね」


 言葉を返せなかった。下手な一言が彼の怒りを買うかもしれない。大好きだった彼に汚い言葉を叩きつけられたら、私はもう、自ら機能を止めてしまうしかなかった。


「下手人は、カサンドラでした……。彼女の兄はマリオンに捨てられたことに腹を立てていたようで、カサンドラの方は私に好意を持っていたそうです……。この婚約記念パーティそのものが、いえ、私たちの関係そのものが壮大な罠だったそうですね……」


 私は涙も出ないのにすすり泣いた。どうして私はマリオン・ディタとして生まれたかったのかと、オリジナルを羨んだ。私は人間に生まれたかった。マリオン・ディタになりたかった。


「父上を、殴りました……。生まれて初めて、父親を殴りました……。父上は悲しそうに私を見るだけで、私を怒りませんでした……。ミルリフは――ミルリフはとても気の強い子ですが、あれも根はいい子です。私に謝ってくれました……」


 そう、よかった。貴方がこれからもみんなと仲良くできそうでよかった。ギュスフィ先生はやっぱり凄い。理知的で、紳士で、ここまで自分がコケにされたというのに、それでも分け隔てなくやさしかった。


 彼の手により迷い迷いに棺のふたが開かれた。世界は真っ暗闇から礼拝堂の薄明かりの世界に変わり、涙に顔を腫らした彼が私を見下ろしていた。

 泣いて当然だった。今日までの全てが嘘だったのだから……。


「マリオンは、本当に死んだのですか……? 本当に君は、人形なのですか……?」

「はい、マリオンは、死にました……。私は、マリオン・ディタ・オートマタ。オリジナルに限りなく似せて造られた、自動人形です」


 私は弓で射られた胸を見せた。職人さんが肌色の粘土で埋めてくれたけれど、その見た目は人間の傷口ではなかった。私は人形。私は偽者。傷口がそう教えてくれた。


「ごめんなさい……」

「なぜ謝るのですか」


「私は、貴方を騙して――」

「謝る必要はありません。さあ、離宮に帰りましょう」


「…………ぇ……」

「上手くは言えないのですが、それが正しい気がするのです。貴女が離宮に現れてくれなかったら、私はあのまま廃人となっていたでしょう。貴女と一緒の生活は、とても楽しかった……」


 なぜ彼は私を恨まないのだろう。なぜ私に手をさしのべているのだろう。目を腫らすほどに涙を流したのに、どうして人形でしかない私にやさしくしてくれるのだろう。


 こんな展開は想定していない。私の頭の中では、赦しを得た喜びよりも混乱の方が勝っていた。どうして彼が私を許すのか、どうしてもわからなかった。


「でも、私、マリオンじゃない……。私は……」

「いいえ、君はマリオンです。私にとっても、ミルリフ嬢にとっても、貴女は掛け替えのない存在です。貴女はマリオンの死に悲しむ私たちを救ってくれました。それをどうして、逆恨みなどできましょうか」


 私は彼に棺から抱き上げられて、子供みたいに彼を無心に見つめた。今日までずっと怯えてきたことはいったいなんだったのだろう。


「私、離宮に、戻れるんですか……?」

「ええ、嫌と言われようと強引にでも連れて行きます」


「どうして……」

「マリオン・ディタ・オートマタ。私は貴女を愛しています。私は貴女が人形でも構わない。永久に私の隣にいて下さい」


 涙なんて出ないのに、私は泣き声を上げて彼の首にしがみついた。彼は私を人形と知った上で、永久の愛を誓ってくれた。


「そろそろ、返事をいただきたいのですが……やはりダメですか? 私のことがお嫌いでしょうか……?」

「いいえっ、滅相も! 私も、私もギュスフィ先生とずっとずっと一緒にいたい! 演じられた役割でなく、私の意思で、貴方と一緒に生きたい……! 私は永久に貴方をお守りします!」


 私たちは礼拝堂を出て、全ての後始末を投げ捨てて馬車へと飛び乗った。

 意地の悪い者はギュスフィ先生を人形を恋人の身代わりにする愚か者だとか、人形を愛する変人と呼ぶだろう。だけど真実はそうではない。私には心がある。彼は私に心があると信じてくれた。


 これからはマリオン・ディタを演じることなく、私は私として生きよう。好きな喋り方をして、好きな花を愛でよう。髪の縛り方を変えるのもいいかもしれない。


 私は壊れなくてもよかった。私は今ようやくわかった。私を造り出した錬金術師は私に、死という選択肢を与えることで、私を本当の人間にしてくれた。



 ・



 それから2年後。私たちは国民からの祝福と大歓声を受けながら、正式な婚姻を結ぶことになった。

 人間同然に動き回る私をオートマタと呼ぶ者はそういない。それを妻に選んだギュスフィ王子をバカにする者も、少なくともこのパレードの場にはいなかった。


 将来他の妻も迎えることを条件に、王は私たちの婚姻を認めた。ギュスフィ先生――いえ、夫のギュスフィはあくまで建前で条件を飲んだと言っている。

 けれども私はオートマタ。私から子供は産まれない。私は彼の子供を見たかった。


 花々や紙吹雪が際限なく舞い散る大通りを馬車が進んで、私たちは城の礼拝堂へと運ばれてゆく。


「空ばかり見上げていないで、民に手を振ってやって下さい。せっかく祝福してくれているのですから」

「ぁ……すみません、少し、考え事をしてしまって……」


「こんな時にですか? いったい何が気になるというのです?」

「いえ、マリオン・ディタのことを、少し……」


 その名前は私の物になって久しい。誰もが私に相応しいと認めてくれている。

 ギュスフィ先生は神妙な顔付きで私を見て、それから王族らしいスマイルに戻って馬車の外へと手を振る公務に戻った。


「彼女ですか……。彼女はとても、とても不思議な人でした。一見は少女のように見えるのですがね、時々妙に大人びて見える瞬間がありまして……。そのせいでしょうね、最初に彼女に惹かれたのは」

「実は、彼女について、気になることが一つ……」


「ふふ、この結婚式の真っ直中にですか? いいでしょう、それはなんですか?」

「彼女は――彼女が残した日記が、全て真実だとするならば――」


「真実ならば?」

「彼女は、未来から過去に巻き戻されてきた存在、ということになります。こんなこと、有り得ませんよね……」


「それは、未来から過去に……人格だけ、戻ってきたということですか? なかなか独創的な発想ですね……」

「ですけどそうとしか思えないんです。まるで、前の婚約者が破滅することを、事前に知っていたかのようで……」


 日記の中のマリオン・ディタは、ある日を境に自分の婚約者である公子を、夫と呼ぶようになっていた。生まれたてのオートマタだった頃の私は疑問に思わなかったけれど、今読み返すとマリオン・ディタは何もかもが不自然だ。


「とにかく理屈はわからないですけど、彼女は過去の世界に精神だけ戻れるのです! だとすると、マリオン・ディタは厳密な意味では死んでいません! 彼女は何度失敗しても過去の世界に戻って、貴方の前に戻ってくるはずです!」


 だけどそれは、ここではない別の世界での話だ。私たちはマリオン・ディタのように過去には戻れない。


「そんな世界があってもいいですね。せめてもう1つの世界だけでも、非業の死を迎えた彼女が報われていてほしいものです」


 ギュスフィが私の手を取って、公務をしろと馬車の外へと手を振らせた。

 全ては日記を読み返した私の仮説でしかない。彼女の行方を観測することができない以上、この話はここで終わりだった。


「これからも頼りにしていますよ、マリオン」

「はい、ずっと一緒です。私を選んでくれたあの日を、私は永久に忘れません」


「ああ、ずっと一緒だ。ずっと私といてくれ」


 私はマリオン・ライエル・オートマタ。他の世界ではわからないけれど、この世界ではギュスフィ・ライエル王子の妻だ。

 私はもう故人の身代わりではない。私を不老不死のオートマタと知ってもなお、愛してくれる人がいる。結婚を祝福してくれる人々がこんなにもいる。私は世界で一番恵まれているオートマタだ。


 マリオン・ディタの来世に、どうか神の祝福を。この日から私は1日1日を記憶回路に焼き付けて、過ぎ去ってゆく日々を正確に数えるようになっていった。








 ・








・エピローグ1/2 23471日後


「マリオン……そこにいますか……?」

「はい、そうお約束しましたから……。私はずっと、貴方と一緒ですよ……」


「マリオン……植物園は、どうなりましたか……?」

「ずっと、私がお世話をしていますよ。今年も綺麗なコスモスの花が咲いて、もしかしたらあの東方の木も、今年は花を咲かせるかもしれません」


「マリオン……そこに……いますか……?」


「マリオン……マリオン……」


「マリオン……。今日まで、ずっと、一緒に、いてくれて、ありがとう……」


 私は、マリオン・ライエル・オートマタ。老いもしなければ壊れもしない、偉大なる錬金術師が生み出した完璧なオートマタ。この国の元祭司長にして植物学者ギュスフィ・ライエルの妻。


 そしてついに今日、私は約60年にも渡る長い役目を終えた。


「眠ってしまわれたのですね、ギュスフィ……。私も、今日までとても幸せでした……」


 ギュスフィ先生は妻をもう一人迎えて子供を残してくれた。その子たちも今では立派な軍人や研究者となって、この離宮から独り立ちして久しい。私の成すべきことはとうに全て終わっていた。


 医者を退室させると、私はギュスフィ先生と同じベッドに入った。そして目を閉じて、記憶装置に残った23471日間を振り返った。


 幸せな記憶だけで彩られたメモリーは、私をもう1度あの頃に連れて行ってくれた。

 願わくば次の人生では人間として、ギュスフィ先生と出会いたい。


 全ての役目を終えたオートマタは、自らの機能を停止させて、ギュスフィ先生と同じ眠りについた。

 誰かが私のメモリーを覗いてくれると期待して、これを残す。


 私はマリオン・ライエル・オートマタ。故人マリオン・ディタに限りなく似せて造られた、世界で一番幸せなオートマタです。






 ・






・エピローグ2/2 51865日後



「ギュスフィ……?」

「凄い、喋った……!」


 自分で自分の機能を止めたのに、矛盾しているけれど私は目覚めていた。私の目の前にはギュスフィそっくりの少年がいて、輝く目でこちらを見ている。


「初めまして、私はマリオン・ライエル・オートマタです。貴方は、ギュスフィにそっくりですね……」

「そりゃそうだよ、僕もライエルだもん!」


「え、嘘……。そうなのですか……?」

「僕、そんなにギュスフィ先生に似てる?」


「ええ、そっくりそのままです……。でも、なぜ、彼が先生だとご存じなのですか……?」

「え……そ、それは……」


 ギュスフィそっくりの、淡い緑色の髪が綺麗な少年はどうしてか恥ずかしそうにうつむいた。……ああ、わかった。私のメモリーをこの子は覗いたのだ。子供にはきっと、刺激が強かったのだと思う。


「見たのですね」

「うん、全部……見た……。やっぱり、マリオンを直しちゃったら、まずかった……?」


「いえ、別に」

「本当っ!? じゃあ、じゃあ……僕の家族になってよ!」


 彼は今日が何年かと聞くと、あれから100年以上が経っていた。そんなに世代を重ねたらギュスフィの血も薄れているはずなのに、ここまでうり二つなんてあり得るのだろうか。この子はもしかしたら、ギュスフィの生まれ変わりなのではないか。


 私はオートマタのくせにそんな思い込みに駆られて、ギュスフィにしては小さな少年を胸の中で抱き締めた。『貴方なのですか、ギュスフィ?』と、想いを込めて。


「はい、これからはずっと一緒です。小さなギュスフィ」

「うう……なんか変な感じだ……。マリオンのメモリーを見過ぎたせいで、自分が本当のギュスフィのような気がしてきた……」


 この少年にもいずれ、己の全ての役割を全うする日がくるだろう。その日まで私がこの子を守ろう。私は小さなギュスフィの手を引きながら、どうやら離宮の地下らしいここから階段を上って、光輝く世界へともう1度歩き出して行った。


 私はオートマタ。私を修復する者がある限り、私の人生は終わらない。小さなギュスフィは明るく天真爛漫で、私にはこの少年がかわいくてかわいくてたまらなかった。

 その笑顔から細かな仕草まで、何もかもがギュスフィだ。私は彼の笑顔を見ているだけで幸せだった。




 ・




・ある錬金術師による蛇足なるデウス・エクス・マキナ


 自ら機能停止を選んだ個体は、あのマリオン・ディタを演じさせた個体のみだった。他は全て失敗だ……。魂を獲得したのは、後にも先にもあの個体だけだった。あの個体だけ、何か特殊な因子が働いたとしか思えない。


 しかし運命の因果とは数奇なものである。まさか一生を添い遂げたオートマタと王子が、再び時を越えて出会おうとはな。


「先生、採点をお願いします!」

「うむ、満点だ」


「じゃ、じゃあ次はっ!」

「もちろん、約束通りオートマタの整備術について教えてやろう」


「やったぁっ! ああよかった、マリオンの身体、結構ガタがきてるから……」

「なんだと失礼なっ!」


「へ……なんで、先生が怒るんですか?」

「むっ、いや、なんでもないぞ」


 一方は母親に見捨てら、離宮に押し込まれた哀れな王子。そしてもう一方は離宮の地下に宝として大切に保管され、人々から忘れ去れた美しきオートマタ。この2人が出会うには、運命ではなく多少の作為が必要ではあったがね。


 いや、だがそうだろう。あのままではあまりにもあんまりだろう。見ているだけでムズムズして、私は堪えられなかった……。


「あ、マリオンだ」

「む、先生は所用を思い出した。整備術についてはまた今度な」


「ええーっ、そんなのないよ先生っ?!」


 おめでとう、マリオン・ディタ・オートマタよ。最高のメモリーをありがとう。君はどんなオートマタより、いやどんな人間よりも人間らしく生きてくれた。


 ただの観測者にしか過ぎないが、私は君たちが好きだ。君たちの新しい未来にどうか神のご祝福を。


―― 開発コード オートマタ令嬢 終わり ――


 ……まあ、後でそのメモリーは回収させていただくがね。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 短編ということで、薄々とは察せられる流れも交えつつもギュスフィと一緒に死んでそれで終わりではなかったりなど、予想を裏切る展開もあって面白かったです。 また何より定番の婚約破棄にタイムスリッ…
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