第8話:中へ誘うもの
(温かい……ずっとこうしていられたらいいのに……)
いつしかタケオはシュカの背中にぴったりと寄り添っていた。
子猫と添い寝をしているような、それでいて守られているような安心感が全身を満たしていく。
と、バイクが急に停まった。三分も走っていない。シュカがイグニッションキーをオフにするなり、ぶっきらぼうな声を出した。
「はい、降りて」
後ろからチィを乗せたバイクのライトが近づく。タケオはがっかりした気分を隠して、もたもたとタンデムシートから降りた。振り返ると、周囲の雑居ビルの隙間に、さっきの歩道橋が見えた。わざわざバイクで来るほどの距離でないところを見ると、シュカはバイクで学校に戻ってくるところだったのかもしれない。
ヘルメットをシュカに手渡すと、ようやく到着地の「学校」を見た。
(これが……学校。こんな都会にあんのか……)
タケオの目の前にそびえたつのは、とてつもなく古い校舎だった。
外壁の半分が緑のツタにからめとられ、一見しただけでは廃校にみえる。
いまやさびれた観光地となり果てた秋葉原の一角に、こんな校舎があったとは。あたりを見渡すと、タケオの倍は年を重ねた妙に味の出ている個人所有のビルと、新しい外観の事務所や飲食店がつまった雑居ビルばかりが立ち並ぶ。夜間はおそろしく人通りがないようだ。
校門の前には、夏服を着た男たちが立っていた。いかめしい表情は、朝の校門の前にたつ体育教師を思わせる。両手に持った角材と、ベニヤで作った盾が妙にものものしい。男のひとりが、ほっとした表情でシュカとチィの顔を見る。
「チィは無事だったんですか……みんな心配しましたよ」
「ごくろーさん。戒厳令は継続。連れはチィの家族だ。客人扱いしてくれ」
明らかに三十代の男が、シュカに敬語を使っている。おどおどと門番に会釈するタケオの目に飛び込んできたのは、門柱に掲げられた金属のプレート。楷書で「私設星くず学園」という文字が刻まれている。
門番が合図をすると、重い駆動音をたてて鉄のゲートが開き始めた。
するり、と隙間をぬって校内に足を踏みいれたシュカが、ふりむかずにいった。
「もしさ、あんたが今の知識と経験を持ったままで、学校生活を、青春をやり直せるなら、どう生きる?」
突然の質問だった。タケオの頭の中に、さまざまな過去の自分が去来する。中学生時代の美術クラブ。校舎裏の駄菓子屋。いじめられて来なくなったクラスメイト。好きだった三組のミムラさん。上手く言葉がでないタケオを、シュカがちらりと見た。
「ここはそんな場所さ。ようこそ。星くず学園へ」
一歩校門をくぐると、発電機をまわす独特な騒音が聞こえた。
にわかづくりの角材電柱につるされた工事用のライトが、深夜の中庭を照らしている。
地上から4mぐらいのアーチには、「文化祭まであと2日!」と書かれた模造紙が貼られている。明るい中庭には、ジャージ姿や夏服姿の男女が、忙しそうに動きまわっていた。その数は百人近い。
ブルーシートの上に積み上げられた、テントの鉄骨や、木製のパネルの間をぬうように、シュカはバイクを押していく。シュカに気づいた生徒が、つぎつぎに駆け寄ってきては、チィの無事を喜んでいる。中年のおばさんがチィを涙ながらに抱きしめているのを見て、タケオは横を向いた。
中庭を取りまくようにして、四階建ての校舎が立っている。外から見たほどではないが、こちらもかなり老朽化しているようだ。白っちゃけたコンクリの壁面には、ヒビや補修の後が目立っている。校舎の一番上についた時計の針は、深夜十二時前を示していた。
明らかに、現在進行形で学校教育がおこなわれている施設とは考えにくい雰囲気だが、目の前では、生徒としか形容できない人たちが、文化祭の準備にあけくれていた。
タケオは混乱した頭で、周りの人間を観察した。
タオルを頭に巻いたひげ面の男が、トンカチをふるって模擬店の壁らしきものを作っていた。くわえ煙草で缶ビールをかたわらに置いている。となりでペンキを塗っているのは、同じジャージ姿の眼鏡に一つ結びのオタク風味の女性。角材やら丸めた模造紙の束を運んでいる人にいたっては、耳の上にしか髪の毛が残っていないオッサンだ。それも、タケオの会社の部長くらいの年齢にみえる。ヤクルトのおばちゃんぽい妙齢の女性が、笑顔で若い人に何か指示をしている。どこかの窓からは、景気づけに流す古いアニソンが流れていた。軽トラックの荷台に人がむらがって、ビールケースを下ろしているのが見えた。
みなシュカに会うと、ほっとした表情で集まってくる。バイクを駐輪場に止めたシュカが、皮肉っぽい笑顔で、何か冗談を飛ばしたり、背中をどやしつけたりしている。祭りの準備をする高揚感が、活気をともなってこの場所をつつんでいた。
税金を使って、学校ごっこをやってる施設……クジョーの言葉がタケオの脳裏に浮かんだ。
「タケオ、朝までそこに立ってんのか? 」
ぼーっと中庭を見つめているタケオの耳に、少しかすれたシュカの声が届いた。
「チィなら保健室。あんたはこっち」
タケオはあわててシュカの姿を探した。昇降口の奥へ、ひるがえった長ランのすそが消える。
……やった! 名前を呼んでもらえた!
タケオは、さっきまでの羞恥心も疑念も脇に置くと、校内に足を踏み入れた。