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第6話:名を名乗るもの

「立てるか?ケガは?」

「うん……ちょっと気持ちわるい……ごめん、ごめんなさい、あたし……」

 彼女の問いかけに、チィの語尾がふるえる。

「ったく、戒厳令が出てるのに、世話やかせんじゃないよ、そこの男!」

 彼女が急に振り向いた。力のこもった声に、タケオの身体がびくりとした。

「おにーちゃん!」

「チィの、兄貴ィ?……まったくどーなってんだ、今夜は。ねえ!あんた、自分の足で歩けるかい?」


 タケオはがくがくとうなずいた。力の抜けた両足をゆっくりと動かして、歩道橋の階段を一段ずつ降りる。ちょっぴりとはいえ濡れたズボンが冷えて気持ちわるい。小さな声で、チィがタケオのことを説明しているのが聞こえた。ふたりは、自分が逃げようとしていたことに気づいているのだろうか。会わせる顔がない、とはこの事だ。タケオは、自分のつま先だけを見て、最後の一段を降りた。


「おにーちゃん!!」

 突然、チィの身体がぶつかって来て、タケオはしりもちをついた。

「おにーちゃんも、ごめん、ごめんね」

 目の前でひざをついたチィが、泣きじゃくっている。

「……ああ。無事だったか……」


 見れば、ワイシャツは、汗と泥に汚れ、スカートにはかぎ裂きができている。ふいに、鼻の奥がつんとした。妹はこの華奢な身体で、最後まで抵抗しようとしていたのだ。それにひきかえ……自分は……。

 チィの後ろから、地面をたたく固いソールの音が近づいてくる。タケオは、とまどいながら彼女の足先に視線を向けた。

 

 ……なんなんだ……この娘は……?

 

 タケオの視界に入ってきたのは、制服には合わない黒くてゴツい編みあげブーツと、やわらかそうな筋肉のついた足をおおう、黒のニーソックスだった。

 目をすこし上げると、絶対領域の上の空間を占める、学校指定らしいグレーのミニスカートがあった。短めの夏用スクールシャツの首もとには、ゆるく結んだタイが揺れている。基本的にはチィと一緒の制服のようだ。

 しかし、そのすべての印象をはね飛ばすのは、全身をおおう丈の長い学ランの存在だった。

 いわゆる男子用のつめ襟。しかも変形学生服。すなわち「長ラン」と呼ばれるひざ丈の上着だった。街灯の光を受けて金ボタンが懐かしい輝きをはなつ。タケオの頭は混乱した。


 ……なぜに、学ラン?……コスプレなのか?


 ふっと、いい香りがした。

「ケータイを投げてくれたのはあんたか。ちょっと診せてみな」

 彼女は無造作にしゃがみこむと、タケオの手首に触れた。頭同士がすぐ近くまで接近していた。あわてて目線をそらすと、スカートから伸びるふとももの方に目がいきそうになる。

 ……なんでもいいけど近いよ!

 タケオは、必死に自分の息がかからないように横を向きながら、こっそりと彼女を観察した。

 

 形の良い小さな頭。女の子にしては短過ぎる赤みの強い髪の毛を、両サイドはピンで止めて後ろに流し、前髪と頭頂部の毛は南国の鳥のようにあっちこっちに突っ立てている。大きな耳には軟骨までずらりと並んだリングピアス。夏服の上から羽織っている長ランは、よく見ると華奢な身体に合わせるように、腕や腰がしぼってあるようだった。と手首にひきつれたような痛みが走った。

「あ、あいてででででてい!」

「一度の電撃傷だね。15万ボルトをくらったわりには軽症だ」

 彼女は、タケオの悲鳴をものともせず、手首をぐりぐりと動かしながら観察している。

「ラッキーだったよ。こんな状況で言っても説得力ないけど」

 攻撃性をむき出しにしたさっきとは違う、深みのあるちょっとハスキー気味の声とともに、彼女が顔を上げた。手首を放され、ほっとしたタケオと、初めて視線が交差した。

 ……うそだろ!おい!

 タケオの心臓が、くぐもった破壊音を立てて爆発した。


 タケオはいわゆる美少女センサー内蔵型人間だった。しかもどちらかと言えば清楚な二次元の美少女が専門だ。制服に対するこだわりもあった。そのセンサーが警告を発する。どう見ても普通の女子学生には見えない髪型に、この時代にありえない学ランのセンス。特にピアスはゆるせん!

 しかし目の前の存在は、ごくごく控えめに表現して……息をするのを忘れるほど、ずっと見ていたい。忘れないでいたい、記憶に刻みこめるならと神様に願うほどの……個性的な美少女だった。

 とがったあごと、気のきいた皮肉がこぼれそうな唇。口を開くと常人より犬歯が発達しているのがわかる。小さく形のよい鼻。左右でややカーブのちがう眉。眉間によせたかすかなシワまでが完璧な配置だった。その眉の下には、見るものすべて吸いこむような、大きなとび色の瞳があった。

 瞳の中心には、誰にも媚びることのない強さと、肉眼では見えないプラスの力が煌々と輝く大きな光彩があった。刃のように研ぎすまされた純粋さと、白く燃える情熱が一瞬ごとに輝いては、回転していく。

 しかしふと目を伏せた瞬間、その瞳の中に何かがよぎる。光彩には暗い紫の闇がまざり、うつりこんだ常夜灯の光が、星くずのようにまたたくのが見える。痛みなのか、哀しみなのか。それとも誰も救えないほどの孤独?まるで相反する二つの要素が、同じ瞳の中に同居する。愛と血。慈愛と暴力。陽光と月光。灰とダイヤモンド。真夏の陽炎と真冬の低い空。永遠と一瞬。

 タケオは息を止めたまま、彼女の瞳の中を旅していた。いったいどんな人生を生きてくればこんな目の色に、光になるんだろう。

 

タケオは、彼女の二の腕に赤い腕章が巻かれているのに気づいた。楷書の文字で「星くず学園応援団」と書かれている。

「ほしくずがくえん、おうえんだん……?」

思わず口に出して読んでしまったタケオの言葉に反応して、彼女は、首をまわして腕章を見た。

「チィから聞いてないのか?」

 とあきれたように独り言をつぶやくと、タケオの目をまっすぐに見つめていった。

「あたしは、星くず学園、応援団団長・雨宮シュカ、よろしく」

 アメミヤシュカ、応援団ってあの応援をする? 団?

 とっちらかった頭を抱えたまま、タケオもたどたどしく自己紹介をする。

「ボクは……チィの兄のタケオです。危ないところを助けてくれて……その、ありがとう」


 シュカの両手が伸びて、タケオの手をやさしく包み込んだ。……あたたかい。

「ケータイ投げて、チャンスを作ってくれたんだろ。助かったよ」

 再び、タケオの身体に恥辱と後悔の嵐がまきおこった。違います。逃げようとしたんです。本当の言葉がのどの奥につまる。タケオは何も言えず、暗い地面へ目を落とした。

 

 こもったケータイのバイブ音が響いた。

 シュカはするりと手をはなすと、夜空を背景にして立ちあがった。チーターや、ピューマや、何か猫科のしなやかさと自由さを感じさせる長い手足。長ラン特有の、高さのあるエリについた校章がチリっと光る。シュカはみけんにシワをよせてケータイを閉じると、タケオに目をやった。


「……ちょっと事情があってね、いま警察には行ってほしくないんだ。すこし時間あるならあたしらの学校へ寄ってってほしい。ダメなら駅まで送るよ」

 といった。チィを見ると、大きくうなずいている。タケオの頭の中で警告ランプが点滅する。やめとけ……警察届けるなというなら……家に帰って寝ちゃえばいい。暴力にも、刀にも銃にも縁のない世界に帰還するんだ。だが、その一方でさっきの罪をつぐないたい自分もいた。そして、なによりもあと少しだけでも、シュカと言葉をかわしていたかった。

 

 答えのないタケオを不思議そうに見つめると、シュカは戦場となった歩道橋下を歩き回りはじめた。クジョーが残していった黄色い銃や、薬莢のようなものを見つけると、長ランのポケットに落としこむ。

 数mはなれた路肩には、シュカが乗ってきたと思われる赤いバイクがあった。銀色の文字でKATANAと描いてある。街路樹の脇で主人の帰りを待つ、忠実な番犬みたいだった。


「やっぱり来てくれないの?」

タケオの隣にチィが立った。涙でマスカラが溶けて無惨な顔になっている。タケオは無言でハンカチを取り出した。

 チィは無事な左手でごしごしと顔をふくと、鼻までかんだ。化粧を落として赤い鼻をしたチィは、タケオが昔から知っている、ゲームや親の愛情を取り合った二つ下の妹だった。

 目の前にハンカチがつきだされる。

「洗って返せ」

 タケオはその手を押しかえして、静かすぎる夜の街に目をやった。歩道橋をわたったこちら側は、なぜだかひどく闇が濃い。

「……なあ。お前なんに巻き込まれてんだ。サムライなんとか、拉致とかさ」

「話を聞く気……ある?」

 涙のあとを残すチィの瞳が底光りした。タケオは答えにつまった。まだ心がきまらない自分が情けなかった。


 ふいにヘッドライトが、歩道橋の下を照らした。どるどるどる、という低いエンジン音がすぐ近くで止まる。

……まさか、あいつらが戻ってきたんじゃ……

 タケオの心臓がはねあがり、右手のヤケド跡が熱くなった。

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