第3話:害をなすもの
タケオは、一番上の階段に棒立ちになって凍りついていた。チィは意識を失っているのかぴくりともしない。
小山のようなでぶが、人形遊びでもするようにチィの髪をつかんで持ちあげる。金髪の若い男がチィの顔をのぞきこんで、再び大声をあげた。
「おーいおいおい、またこの女っすよ。ついてねえなぁ」
「なにしてんですかぁっ」
タケオの口から、悲鳴のようなひっくり返った声が出た。集団がいっせいにタケオを見つめる。まだ若者という言葉が似合う五人の集団。高校生くらいのヤツもいる。リーダー格らしい先頭に立つ男ですら、三十歳はいっていないだろう。共通しているのは、どの男の瞳も、暴力の興奮でぬれた光を放っていることだ。
ヤンキー風でもヤクザみたいな格好でもない。全員が特殊部隊のような黒いベストを着て、カーゴパンツのすそをブーツに入れている。胸には『侍』の一文字が入ったお揃いのワッペン。
タケオに気づいた男がひとり、チィをまたぐようにして、階段をあがってきた。
なんなんだ?こいつらは……急に恐怖心があふれて、足ががくがくとふるえだす。
赤いフレームのメガネをかけた、長身の男が目の前に立った。ゆるいパーマをかけたロングの髪を頭の後ろで結んでいる。筋肉質のしなやかな体つきに大きな手。顔だってムダに男前だが、薄い笑みを浮かべたその表情には、どこか欠落したものを感じた。男がやや間のびした明るい声を出す。
「きみ、サラリーマン?」
なんだ……どんな答えが正解なんだ? タケオはとっさに返事が出てこず、沈黙を返した。向かい合った赤メガネはちいさく口笛を吹くと、背中から六十cmくらいの黒い『刀』をまっすぐに引きぬいた。
タケオのノド元に、やや丸まった刃先が突きつけられる。木刀や竹刀の半分くらいだが、殴られれば骨くらい折れるかもしれない。そう思ったタケオの目の前で、刀身が青く光りだした。
ぱちっ、ぱちっと、フライを揚げる油のような音を立てながら、みるみるうちに輝度と明度が上昇する。空気を焼くような電気の匂いがした。
気がつくと、タケオは首をいっぱいにのけぞらして、何度も縦にふっていた。光る刀をにぎるメガネの奥からのぞく目が、タケオの頭からつま先までを丹念にながめ、満足したように刃先を遠ざけた。
「じゃあ、私たちの敵じゃありませんね。ぜんぶ忘れて、橋のむこうへ帰りなさい」
見たこともない武器だった。おもちゃにしては凶悪すぎる。まさかあれでチィが……!
さあ早く、と言われて我にかえると、チィが男たちの手で、乱暴に引き起こされるところだった。これから何がおこなわれるのか。恐怖をともなった妄想をかき消すように、タケオは震える声をあげた。
「……チィをかえしてください」
階段をおりかけていた赤メガネが振りかえる。
「どーいうご関係?」
「……妹、です」
「諸君らの意見は?」
赤メガネが、階段下の四人に声をかける。
「て、天誅」
小山のようなでぶが、ぶしゅうという息とともに、言葉を発した。小柄な金髪がへらへらと笑いながら続ける。
「蟲の家族ってのははじめてっすね。警察にたれこまねーよう、ぶっちめときましょう」
隣の黒いニットキャップの男と、はげあがった男が頷く。いやだ。こいつらはなんだ。
「じゃ、そーゆーことで」
赤メガネが、タケオの方に向きなおる。逆手に握った青い『刀』が、きれいな軌跡を描くのが見えた。タケオは、とっさにPCを入れたカバンで体をかばっていた。
青白い閃光が視界を奪い、パキッという破裂音が胸元でひびいた。
一拍遅れて全身をつらぬく衝撃が走る。髪の毛が逆立つのがわかる。五歳の時、親に隠れてコンセントにクリップを差しこんだ時のことを思い出した。あの時は、となりで見ていたチィが泣きさけんだので、タケオは泣くヒマがなかった。あれから十七年、恐怖と電撃の痛みがタケオの体から自由を奪うのに、半秒はかからなかった。
「直撃はしませんでしたかー。意外と反射神経いいですよ。おにいさん」
近距離から赤メガネの声が聞こえた。その場でしりもちをついたタケオの胸に、光を失った黒い刀が、再び押しつけられる感触があった。下半身のコントロールがきかなくなり、パンツの中にあたたかさが広がる。
意識は失っていないが、涙と鼻水が止まらない。声を出そうとしたが、開きっぱなしの口からは唾液がたれるだけ。顔のそばには、ななめに大きな亀裂が走ったノートPCがあった。タケオへのダメージを吸収してくれたらしい。バッテリーケース付近から煙が出ている。いったい明日からの仕事はどうしたらいいんだ? 始末書で済むのか? 哀しいことに、現実に対応できない頭が思考していたのはそれくらいだった。