第19話:再びつながるもの(前篇)
怒濤の一刻が過ぎた後、タケオは保健室の入り口に丸イスを出して座った。
腕時計を見ると、午前三時を過ぎているが、緊張にさらされた頭は覚醒したままだ。
チィが、ステンレスのカップに入ったコーヒーを持ってきてくれた。艦長からのねぎらいらしい。
椅子をゆずってチィを座らせると、カップに口をつけた。熱く濃い液体が、胃へ落ちていく。
「散々な一日だったね」
手の中のコーヒーカップを揺らしていながらチィがぽつりと言った。
「ああ……でも色々わかったよ」
タケオは、部室でリンさんから説明を受けたことと、ノアに校内を案内してもらったことを話した。
「ええーっ! じゃスクールシンボル見ちゃったの!ありえない!」
狭い廊下にわめき声がこだまする。うるさい奴だ。
「……手伝わせようと思ってたくせに、イミわかんねぇなあ。つか、すげえじゃん」
チィが顔をおおっていた両手をはなして、タケオを見た。
「なんか……もっとくだらねぇもんを作ってるんだと思ってた。正直、あんな彫刻オレには作れねえよ。感動っていうと言い過ぎだけど、すげぇと思ったよ。おまえ、なんか変わったよ」
チィが、ギブスに包まれた指でカップを床に置くと、小さな声で、そんなことないよと首をふった。
「その手のケガも、サムライボーイズにやられたのか?」
「…… 二日前に、買い出しに行こうとした軽トラックが襲われたの。踏まれてヒビが入った程度だけど、ハンマーが持てなくて……美術部の友達も、怪我したりショック受けたりして……その日いらい学校を休んでる。アタシどうしても、あの像を完成させたかったの。みんなもうやめたらって心の中で思ってるかもしれない。でも、これはアタシの戦いなの。ここで逃げたら、また昔のアタシにもどっちゃうよ」
チィの口から言葉がこぼれおちる。タケオがずっと目をそらし、聞こえないふりをしてた言葉だった。
「絵を描くのも粘土もだいすきだったけど、中三の時の美術コンクールで賞をとった後、みんなに調子のってるって言われて、学校いくのがつらくなったの。高校も一日でやめちゃって、お父さんもお母さんも暗い顔してたよね。あたしは夜中じゅうずっと、居場所がありそうなネットにくっついて、早く世界がなくなればいいのにって願ってた」
タケオは高校時代を思い出した。いつでも閉まっている妹の部屋のドア。父も母も全精力をかたむけて、妹を家からひっぱりだそうとしていた。自分の家族がゆがんでいく姿を見たくなかったタケオは、いつもゲーセンで時間をつぶしてから帰るようになった。
「こないだ、おかあさんに聞いたの。おにーちゃんもずっと絵とか好きで、美大行きたいっていってたけど、浪人する余裕がないからって、あきらめて就職ができる専門学校に進んだんでしょ?」
チィの手が何度もかたちを変えて組み合わされる。タケオは目を閉じて一気にしゃべった。
「…… 本当はこわかったんだ。自分の才能なんかたいしたものじゃない、って知ってしまうのが。あの時、オレは戦う前にやめたんだ。お前のせいにしたこともあったけど、さっきあの像を見た時にわかった。本当にやりたいことがあるなら、どんな怖くても、あきらめられないはずなんだ。チィ、お前はやっと見つけた居場所でまだ何か作ろうとしてるじゃないか……あのスクールシンボル、オレが手伝うよ。たぶん完成できると思う」
チィの肩がこわばって、そのうち小刻みに震えだした。涙と鼻水が、ぼとぼと床に落ちる。
「あーもー、きたねえなぁ」
タケオは、チィの頭を軽くたたいて保健室に戻った。目の前に、机に突っ伏すように震えている艦長の背中があった。心配そうに鼻を近づける三毛猫の姿に、タケオは大きな声を出した。
「どっか痛いんですか!」
顔を上げた艦長は鼻をひとすすりすると、
「大きな声をだすな……年寄りは涙もろくていかん」
としわがれた声を濡らしながら、ティッシュ箱を差し出した。