第13話:背中を押すもの
濃紺のスタンブレードを、ロッカーにしまい終えたリンさんが振りかえる。
「現在、国会の審議案の中に、『雇用再生法案』という法律があります。世論の後押しを受けて過去に否決された法案が息をふきかえしたのですが、その法案が通れば、この学校への支援は打ち切られ、それこそ五体満足で就学・就労していない人を、合法的に国内外の大農場や工場へ強制連行できるようになります」
空いた口がふさがらない。中国の工場や、ブラジルの農場で働くチィの姿が頭をよぎる。本当にそんなことができるのか?
「この法案に対する議論はメディア上には出てきません。それどころかこの法案を通したいと願っている『偉い人』は、各地のメンタルスクールが問題を起こすのを待っているという噂があります。先日も、『蟲狩り』の被害にあった九州のスクールが、『安全確保のために』業務停止命令を受けました。その時は警察に相談した内容がマスコミにもれて大騒ぎになり、監督官庁からの命令が下されました」
「そんなのって……おかしいですよ」
思わず大きな声を出していた。冷えたジャスミン茶が波を立てる。
国も警察も世論も、この学校をなくそうとしているというのか?そこまで追いつめられているのか?……タケオは、深刻な話題の連続にこわばった首筋をもんだ。
「さらにもうひとつ……シュカはあの通りの性格なので、これまでも生徒を守るために、周辺の暴力組織と大立ち回りを演じたこともありまして……地元警察にも目をつけられているんです」
リンさんは困ったような、少し恥ずかしそうな顔で、語尾を小さくした。
そりゃそうだ。彼女なら地元の不良どころか警察にでも、不適な笑みで突っかかっていきそうだ。そんな姿を思い浮かべていると、リンさんがすっと立ち上がり、深々と頭を下げた。
「本当にシュカと、うちの学園がご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「いや、そんな、ボクこそなんの役にもたてなくて……その、今夜警察に行くのは、やめときます。……でも、応援団はこれからどう動くのですか?」
頭を上げたリンさんが、まっすぐにタケオの瞳を見た。
「ひょっとしたらもうこの学校のやり方は時代に合わなくなってしまったのかもしれません。生徒の中にも、甘えるだけ甘えて、社会に参加することなく、また別のスクールに入学していく人もいます。でも、確かにいるんです。この学校を出て、再び社会に参加できる自信を取り戻した人たちが。わたしたちは、一種の『武器』として、この学園を守るために存在しています。わたしを含めて、たくさんの傷を負った生徒が、ほんの一時肩をよせあえる場所をつなぎとめるために、できることはなんでもしようと思っています」
リンさんの目の中に、宗教やボランティアに悪はまりしているような、盲信の光はなかった。迷いと畏れ、それでも現実に立ちむかおうとする力だけがあった。タケオは思わず、なにかできることはありませんか、と言いそうになった。……あわててもうひとりの自分が、引き止める。何を首をつっこもうとしているんだ。代わりに口から出た質問がひとつ。
「シュカさんは、なぜボクをつれてきたんでしょうか?」
言ってから、急激に顔が熱くなる。何を言っているんだ? リンさんがふっと微笑んだ。
「さて……口封じだけじゃないのは確かです。シュカはああ見えて人を見る目があるんですよ。きっとタケオさんの背中に、押せば飛べる翼を見つけたんじゃないかしら。」
「翼?」
これには驚いた。22年間生きていて、自分が飛べるなど思ったことなど一度もない。
「あと少しの勇気が持てない人の背中を、そっと押すのも、応援団の仕事のうちです。今までもシュカはたくさんの背中を押してきました。ときどき強く押し過ぎちゃうのが、心配なとこですが」
リンさんの顔に笑顔が戻った。タケオも、つられるように頬をゆるめた。
「もし、この危機を乗り越えて、文化祭がぶじに開催されるようだったら、もう一度遊びにきてください。悪くないですよ、大人になってからの青春も」
頷こうとしたその時、部屋にあるすべてのディスプレイが赤く染まった。短い間隔で明滅をくりかえす画面には『EMERGENCY』の文字。緋色に頬を染めたノアが、ヘッドセットを外しながら叫んだ。
「警邏中の03エミリーから通電。御徒町方面高架下にて、外出中の生徒8名が、サムライボーイズの襲撃により受傷! 現在04ハルカが車両にて現場に急行中!」