第12話:黒く波うつもの
「一年前に関西で起こった、7-11と呼ばれる事件をご存知ですか?」
リンさんの言葉に頷いた。日本人で知らない人間はいないだろう。
異常に暑かった去年の夏、大阪のネットカフェで二人組の若い男が硫化水素自殺を図った。
結果、その男達だけではなく、店員をふくむ7人が命を落とした事件は、大々的に報道された。
しかし、その後の捜査で、事件は信じられない展開をみせる。
彼らが根城にしていたネットカフェの私物から、幼い女の子を殺害する様子を撮影したムービーと、大量の写真が発見されるに至り、大阪県警は、二人を大阪・兵庫で相次いで起っていた連続通り魔事件の犯人と断定した。幼児・ホームレス・妊婦など、鈍器でめった打ちにされた被害者の数は11人。その被害者の数から、ネット上では、セブン・イレブンと呼ばれている事件だ。
「あの事件の犯人の一人は、不登校の経歴を持ち、メンタルケアスクールを転々としていました。……この学校にも短期間ながら、在籍していたことがあります」
むきだしの腕が粟立つ。一瞬、見えない何かが、閉め切られた部室の中を移動した気がした。
「きっと学校に来たのは、ほんと数回でしょう。スタッフの誰も、顔を覚えていませんでした。マスコミからも、たくさんの電話がかかってきました。でも、わたしたちにとっての事件はその後に起きました」
長いまつげを、かすかに震わせながら、リンさんは言葉を継いだ。
「事件の一週間後、犯人が最後に通っていたとされる兵庫県のメンタルケアスクールが、何者かによって襲撃されたのです」
最悪の事件を震源地とする津波。中庭の嬌声が遠くなり、ノアのキーボードを叩く音だけが、重くなった空気の底に沈殿する。
「結果、死者こそ出ませんでしたが、スクール施設は放火に遭い、巻き込まれたスタッフや学生の多くが居場所を失いました……現場には、働かずに政府の支援を受けている『蟲』たちを狩る、こんな支援施設があるから、7-11のような事件が起こるんだ、という内容のメッセージが残されていたと言われています」
「蟲……」
たしかクジョーもその単語を使っていた。
「一連の事件を受けて一気に世の中の空気が走りだしました。働けないものを差別し、叩く方向へと。襲撃犯が捕まらなかったこともあり、各地で『不労者狩り』とか『蟲狩り』と呼ばれる行動をおこす人達が現れました」
「……サムライボーイズもそんな連中の一派なんですね」
やっと追いついた思考を確かめるように、タケオは呟いた。
事件のあらましは知っていたが、世間の空気がそこまで強くなっていることや、『蟲狩り』などという行為までが流行していることは、まったくというほど知らなかった。リンさんの細い両手の指が組み合わされる。
「彼らが、この街に現れたのは、およそ二ヶ月前」
五人の顔を頭に浮かべた。クジョー、でぶ、金髪の小僧、ハゲ男、ニットキャップ。
特殊部隊のような黒い衣装と、「侍」の一字が描かれたドクロのロゴ。
「『スタンブレード』と呼ばれる電磁刀や『スタンマグナム』という電磁銃で武装している男性5人の組織です。年齢は10代から40代までと幅広く、リーダー格は、赤い眼鏡をかけたクジョーという男。人気のない路地で学園の生徒を待ち伏せしては、暴力を加えて、金銭や持ち物を奪い、車や原付で逃走する手段をくり返しています」
スタンブレード……あの『刀』のことだ。タケオは斬られた瞬間の恐怖を思いかえして、シャツの胸のあたりをさすった。
「なんなんですか? あの武器。ほんとに死ぬかと思いました」
リンさんは席を立つと、青い文字で『02・BLUE-LIN』と書かれたロッカーから、濃紺の木刀のような武器を取り出した。サムライボーイズの刀よりはるかに長い。タケオは、息をのんだ。
「この刀も、彼らの武器と同じ電磁刀、スタンブレードです。握りのスイッチを押すと、刃の部分に高圧電流が流れだします」
「その刀は、リンさんが使うんですか?」
刃先に視線を向けたリンさんが答える。
「そうですね……実戦で使ったことは一度もありませんが、サムライボーイズがあそこまで武装化してしまうと、私たちも丸腰で警備をするわけにはいきません」
悲壮とも言える、覚悟を決めた声。止めるべきだ、と思ったが、結局タケオの口から出たのは、そうですよね、という情けない一言だった。
「チィは、妹は前にも被害に会ったことがあるって……」
「10日間でしょうか。文化祭のための資材を買いに行った帰りに、ひどく脅されたようです。一緒にいた美術部の男子学生は怪我をしました」
チィは、どうして歩道橋の上でそのことを告げなかったんだ。いや、そもそも聞いたのか? そこまでして文化祭にこだわるのはなぜだ、どうしてこの学校に戻ってくるんだ。
リンさんが巻いてくれた包帯をいじりながら、タケオ暗い声で問いかけた。
「……なぜ警察に相談しないんですか?」