第11話:目を開くもの
「この学園には、3つの運営組織があります。」
リンさんが細い指を立てる。華奢な手だが、指の内側には硬そうなタコがあるようだった。
「学園の経済を把握し、裏側から支える『経営会』と、生徒の投票によって校内のイベントや部活を仕切る『生徒会』、それから私たちが所属している『応援団』です」
タケオが頷く。
「この団体に所属するスタッフは、特待生として学費が免除されたり、その仕事の責任によって、学園側から報酬が支払われています。ただ、始めからそのスタッフが決まっているのは稀で、大部分は学生の中から適性がある人や、自発的に参加したいという人が、スタッフに参加していく仕組みになっています。もちろん義務として、ずっと学校の仕事をしなければならないので、『青春』ではなく『仕事』になってしまいますが……ノアをはじめ、残り3人の団員は学生から採用されました」
経済と、政治と、司法といった所なのだろうか。
それでこのご時勢に、非営利とは言え300人も在籍する『学園』が運営できているのは、よっぽど優秀な人材が揃っているのかもしれない。
タケオは空になった湯呑みを置くと、ぼんやりとした目で、団旗を見つめた。
「しかし……応援団の仕事はなにをするんですか? チアガールでも良さそうなのに」
リンさんは、手際良くタケオの湯呑みに新しいお茶を入れ直してくれた。
「応援団は、もちろん生徒を応援するためにあります。他の学校や、社会人と部活の試合をしたりする時には私たちも駆けつけます。ですが実際の所は、なんでも屋というか……トラブルシューターというか、学園内の自治を護るための独立機関なんです」
リンさんの目に、ちょっと疲れた光が宿った。
制服のせいで若く見えるが、やはりその横顔は大人の女性ものだった。
「人間が集まるところには、必ずトラブルも集まります。軽いものではケンカ、窃盗、恋愛問題、重いものでは、いじめ、詐欺やストーカー、性犯罪もあります」
一瞬だけ、リンさんの表情が険しいものになった。
「この学園は、前科や入院歴によっては入学を見送ることもありますが、わりと入学資格の敷居が低いのので、学生のメンタルヘルスの問題を抜きにしても、トラブルは毎日山ほど起こりますよ。それをまあ、私たち応援団が、聞き取り調査をしたり、仲裁に入ったりしたりする訳ですよ。最終的に裁く権限はないんですけどね」
「……警察みたいなものですかね」
どちらかというとシュカはその反対勢力に思えた。
「私たちは、楽園の庭師みたいなものと思っています。しんどいこともありますが、悪くない役目ですよ」
リンさんは声を立てずに笑った。
中庭で男女が盛り上がる声が聞こえた。誰かがペンキの缶を蹴とばしたようだ。
「あの……シュカさんは遅いですね……」
タケオは、上の空で出ていったシュカが気になっていた。
「きっと生徒会ともめているんでしょう。あの娘はどうしても文化祭を開催したいんです」
まるで歳のはなれた妹を思いやるような口ぶりだった。タケオが重ねてたずねる。
「文化祭はやるんですか? こんな状況でも」
さっきシュカを取り囲んだ生徒たちの不安なまなざしが目に浮かんだ。
「文化祭というのは、この日曜日に一昼夜かけて行われる、学園最大のイベントです。父兄や会社の同僚、地元の方もお招きして、クラスや部活の出し物を発表します。生徒にとっても、私たちスタッフにとっても、「青春」を再体験できる最大の機会なのです。生徒会が行った投票により、文化祭の決行は大多数支持を得ています……が、その警備体制については、学内でも意見が割れているところです」
たかが遊びじゃないか、そう言えない雰囲気があった。中庭の人々にも、チィにも、目の前のリンさんにも覚悟と矜持があるようだった。
「この学園の生徒はほぼ全員が、もう一度青春を取り戻したいと願っています。先ほど言ったようなトラブルは多いですが、自分達の居場所を大切にして、再び社会に復帰する力にしたい、という気持ちだけは、本当に真剣なものです。今回チィや、タケオさんが巻き込まれた事件は、そんな願いに反発する力なのでしょう。自分たちがつらい目にあっているのに、どこかで笑っているやつがいるのは許せない。自分の絶望を分けてやりたい、そう思う人たちの悪意の露出です」
湯呑みにまわされたリンさんの指に力が入り、関節が白く浮かび上がる。
この人も、シュカと同じように戦うのだろうか。自分の居場所のために、他人の祭りのために。
タケオは目を閉じた。
歩道橋の上で自分が妹に放った言葉を思い出す。……いい身分だな。自分の心の中に、サムライボーイズと同じ感情があることに気づいてしまった。いや、今でもその思いは消えない。そして、あの場で妹さえ捨てて逃げようとした自分がいた。他人と距離を置いて、仕事をすることでなんとか保っていた自分が、崩れ去る気がした。
話を聞く気がある?と訪ねたチィの顔が浮かんで、消えた。
「あいつらは、何者なんですか?」
タケオは目を開けて、たずねた。