第7話 獣と魔法
アルフとリサは、叫び声のした方へ一目散に向かう。
鬱蒼とした茂みの中を走り抜け、やがて少し開けた場所に到着した二人は、そこで待ち受けていたものに目を見張った。
「なんだ、これは……!?」
そこでは、巨大な猫のような獣が、怯えたように尻餅をつく小さな男の子を今にも喰らわんとしていた。獣の瞳はおどろおどろしい赤色をしており、身体中から黒い瘴気を放っている。
アルフは迷うことなく走り出し、泣きじゃくって動けなくなっている男の子を右脇に抱えて救出した。
「この子と一緒に隠れていろ。あれは俺がなんとかする」
アルフは男の子をリサに預け、手に持っていた鞘から銀のサーベルを抜いた。そして目の前で唸り声を上げる獣に向き直ると、剣を胸の前で構え、深く息を吸う。
研究ばかりの毎日だったので武器を持つのは久々だが、いけるだろう。腕には結構自信がある。
まずは、こちらへ飛んでくる獣の右前脚とツメをひらりと躱す。そこにすぐさま左脚の追撃がやってくるが、アルフの読み通りだ。
身を捩って攻撃を避け、無防備になった獣の左前脚に一太刀浴びせた。
「グウォオオオオッ!」
片前脚を潰された獣は、猫の姿をしているくせに猫っぽくない叫び声を上げた。アルフの銀のサーベルに切り裂かれた皮膚からは、どす黒い血が溢れ出す。
リサたちはどこに逃げたのだろうかと、アルフは辺りをきょろきょろ見回した。すると、少し離れた左後方の木陰に、男の子を抱きかかえるようにして守るリサの姿を見つけた。
なんだ。……けっこう、度胸があるじゃないか。
リサの険しい表情は、獣に怯えているというよりも、「絶対にこの子を守る」という、決意の表れのように見えた。
「……さて」
リサの位置を確認し、目の前の獰猛な獣に向き直る。勝負はもうこっちのものだ。
アルフはとどめを刺そうと、剣の柄を握り直した……が。
「やめて! ノノを殺さないで!」
サーベルを構えたアルフを止めたのは、左後方から聞こえた男の子の声だった。
振り向くと、リサの腕の中で泣きじゃくる男の子が、アルフに向かって必死に訴えてきた。
「ぼっ、僕、昨日のお昼にノノがいなくなったから、ずっと森の中を探してたんだ。でも、全然見つからなくて、帰る方向も分かんなくなっちゃって、やっとノノを見つけたと思ったら、こんなことになってて……うっ、ううっ……」
あまりに予想外な男の子の言葉に、アルフは衝撃を受ける。「ノノ」とは、男の子の飼い猫の名前のことだろう。
そうなると、アルフの背後にいるこの謎の獣は――もともとは、あの子の飼い猫だったということになる。
狼狽えつつリサを見ると、彼女も「信じられない」という顔をしていた。――が、王女の視線はすぐに、アルフの後方にずれる。
「アルフ危ないッ!」
はっとして振り返ると、ノノであった獣が、牙を剥き出しにしてアルフに喰らいつこうとしていた。
しまった、油断した――!
思わず目を閉じる――が、ゴツンという大きな衝突音がしただけで、アルフの身体は無事だった。
はっとして目を見開く。何事かと戸惑う彼の眼前には分厚い魔法の氷壁がそびえ立っており、獣はそこにぶつかった衝撃で、一時的に気を失っているようだった。
この氷は……!?
少し考える間があった後、アルフはすぐに、氷壁の発生源を特定する。
「リサ!」
勢いよく左後ろを振り返ると、案の定、木陰から顔を出す王女が左手で男の子を抱えながら、右手をアルフの方に翳して必死に呪文を唱えていた。
「助かった。礼を言う」
獣が気を失っている間に、アルフはサーベルを握ったままリサと男の子のもとへ向かう。
疎遠になっていたのですっかり忘れていたが、リサは魔法が大の得意なのだ。杖を使用せずこんなに頑丈な防御壁を狙った位置に生成するなんて、アルフにはとても真似できそうにない。
「いいえ。アルフのほうこそ、ありがとう。この子が怪我をせずに済んでよかった……」
アルフは男の子を見下ろした。リサの腕の中の彼は泣きじゃくりながらも、気を失っている飼い猫の様子を心配そうに伺っていた。それにつられて、アルフも木陰から獣を見やる。
分厚く硬い氷に衝突した衝撃で、ノノは気を失い、だらしなくのびていた。だがしばらくすれば、あの獣は意識を取り戻すだろう。
この泉の南方近くには、活気ある大都市エネルモアがある。意識を取り戻したノノがエネルモアを襲えば街にどんな混乱が生じるか、想像に難くない。
事を荒立てないためには、あの獣を処分してしまうのが一番良い。しかしそうすると、この男の子がきっと悲しむだろう――。
「お困りのようだね!」
突然、背後から第三者の声がして、アルフとリサは飛び上がらんばかりに驚いた。
よく通る男性の声。明け方の静寂を切り裂いたその声の主は誰なのかと、アルフは勢いよく後ろを振り返る――が、彼はすぐに、その表情を強ばらせた。
長い金髪に、白い肌。
背後に立っていたその男性は、アルフが夢の中で出会った「父」と名乗るあの人物に、瓜二つだった。