第3話 アルフレッドとリサ王女<2>
研究員たちは、王女の突然のお出ましに慌てふためいていた。「なんでここに王女様が!?」と口々に言いながら、徹夜続きでぼさぼさの頭に手ぐしを通し、ヨレヨレの研究服を必死に伸ばす。彼らの中には「長年城に勤めているものの、王女の姿を見るのは初めて」という者もいるようで、建国以来の美女と謳われるリサの可憐な姿に釘付けになっていた。
「あ、あの……。アルフの研究が完成した、って聞いて……」
王女リサ・ディールは、エヴァンとその前に立つアルフを交互に見ながら、そう言った。その肩は荒い呼吸と共に激しく上下し、肩まである銀髪は風を受けたように乱れている。
リサの自室や講義室のある西塔から理化学省のあるここ東塔まで、かなりの距離がある。まさか城内を走ってやって来たのだろうか?
「アルフさま、王女様とお知り合いなのですか!?」
近くにいた若い男性研究員が、目を丸くしながらそう問いかけてくる。
「ああ。幼い頃、一緒に勉強を教わっていた」
アルフの父である宰相は、リサの父であるエリック・ディール前王と親交が深い。そのよしみで、アルフとリサ王女は昔、勉学を共にすることが多かった。
だがここ数年、アルフとリサは疎遠になっていた。最後に話をしたのはいつだったのかも思い出せないくらいだ。
だから、そんなリサが、どうしてアルフの研究が完成したからと急いでここにやってきたのか、彼には見当もつかない。
それにひとつ気になるのは、彼女がやたら着飾っているということだ。
いつもリサは、動きやすく質素なローブを身につけていることが多い。だが、今日は違う。美しく輝く父親譲りの銀髪には水色のリボンが数本編み込まれており、体には、宝石がたくさん散りばめられた青いドレスを纏っていた。
アルフが何か言おうとする前に、開いたままだった入口の扉から、王女の専属護衛である軍人サウードが現れた。
「王女様。なにもその格好のまま、こちらに来られなくても……」
開口一番、サウードは呆れたようにそう述べながら、白い手袋を嵌めた手でリサの髪を優しく整える。二人のその親しげな様子になんとなく心が翳ったのに気づかないふりをして、アルフは「何かやっていたのか?」とサウードに問いかけた。
「リサ様は先程まで、庭園でマエル皇太子とお会いになっていたんです。皇太子が帰られてすぐ、侍女からあなたの研究が完成したと聞かされて、飛ぶようにしてこちらへ走られました」
「マエル皇太子……?」
政治に疎いアルフでも、その名前を聞いたことはあった。はるか東の大陸にある同盟国の、第三皇子の名だ。
「では恐れながら、リサ様は、ゆくゆくはマエル皇太子と一緒になられるということなのでしょうか……?」
アルフたちのやり取りを聞いて、先程ドアを開けた女性研究員が、両手で胸元を押さえながらおずおずとリサに問いかける。
「そう……ですね。そうなると……思います」
問われたリサは、やや目を伏せながらそう返した。
ディールの王になることができるのは、直系王族の男性だけだ。したがって、前王エリック・ディールが病によりこの世を去った現在、この国に王位を継承できる存在はいない。
そこで近年の城内は、「エリックの一人娘であるリサ王女と帝国の皇太子を政略結婚させ、皇太子をディール王家に迎え入れよう」という動きになっていた。
「王女様も、あと2年後には18歳。成人すると同時にマエル皇太子と結婚され、お世継ぎを出産されるおつもりなのですよ」
サウードの言葉に、女性研究員はなるほどと頷く。
「そうなのですね。ディールの民一同、立派な男のお世継ぎがお産まれになることを願っております」
そう言って、女性研究員はお辞儀をしながら手印を結んだ。
頭を下げられた王女は「ありがとうございます」と柔らかく微笑み返すが、細い銀糸のような睫毛が僅かに震えていた。
結婚――するのか。
アルフは、リサの銀髪に隠れる小ぶりな耳をちらりと見る。成人の証であるピアスはまだない。
その耳にピアスが揺れる頃、リサは王妃となり、マエル皇太子の妻になっている。そしてそう遠くないうちに、腕には二人の子どもを抱いているのだろう。
そんな未来を想像したアルフだったが、あまり心は踊らなかった。むしろ、なんとなく胸のあたりがちくりとするような……。
そんな自分を怪訝に思いつつ、アルフは話題を変えることにした。
「ところで、リサ。どうして急にここへ?」
「え、えっと……。アルフがついに、空飛ぶ二輪車を完成させた、って聞いたから……」
「ああ、これだ。名を『エヴァン』と言う」
アルフは、背後にある黒い大型二輪車を指し示す。
「アルフ、昔から言ってたよね。『空飛ぶ乗り物を造って旅に出たい』って」
「ああ、いま彼らに話していたところだ。しばらく休暇を取り、これに乗って世界各地をめぐる」
「……どうして?」
「一つは、これが長期的な飛行に耐えうるか実験するため。そしてもう一つは、リン・ファロン博士に弟子入りし、時間旅行理論を学ぶためだ」
「いつ行くの?」
「明日の朝にはここを発とうと思っている」
「そんなに早く……」
アルフの言葉を受けて、目の前のリサの瞳が悲しそうに細められた。疎遠になっていたとはいえ、幼い頃に長い時間を共にした友人だ。もしかしたら別れを惜しんでくれているのかもしれない。
「心配しなくても、いずれは城に帰ってくる。ファロン博士のもとで学んだことをここで還元し、この国の科学の発展に必ず寄与してみせる」
「……ええ。……ありがとう」
納得の言葉を発したリサだが、その表情はまだ晴れなかった。
――いったい、何がそんなに引っかかっているのか。
問い詰めようとしたアルフだったが、サウードにそれを制される。
「王女様。もうすぐ、マブール王国の使者とお食事の時間です。お着替えの時間も必要ですから、急がれないと」
「……そうね。……アルフ、みなさん、お邪魔してすみませんでした」
深く一礼したのち、リサはサウードに連れられ西塔へ帰っていく。
「リサ王女、噂通りお美しい方ですね! あんな方とご学友だなんて羨ましいなぁ」
王女の姿が見えなくなると同時に、隣の若い男性研究員が目を輝かせてそう言ってきた。
「……そうか? うじうじしてて言いたいことをあまり言えないし、一緒にいるとどうも落ち着かないのだが」
「あんなお綺麗な方がそばにいらっしゃれば、落ち着かないのも無理はないですよ。なにしろ、王家に数百年ぶりにお生まれになった『女性』なんですよね?」
部下の言葉に、アルフは「ああ」と頷く。「ディール家には男しか生まれない」というのは、諸外国に知れ渡っているほど有名な話だ。
嘘のような本当の逸話なのだが、数百年続くディール王国の歴史の中で、王家に女子が誕生したのは二度しかない。
それが王族の持つ遺伝子に起因するものなのか詳細は不明だが、とにかくリサは、ディール王家に数百年ぶりに生まれた「女性」なのだ。
研究室の掃除に取り掛かりながら、アルフは先ほど会ったリサの様子を思い返す。お世辞にも「はきはきしている」とは言えず、どこか自信なさげに俯く姿は昔のままだ。
彼女のあの控えめな性格も、その特異な境遇に由来しているのかもしれない。
王女として何不自由なく暮らすリサが、少し不憫に思えたアルフだった。
◇ ◇ ◇
「王女の訪問」という想定外の出来事に見舞われたものの、アルフの研究室はこの日、無事に研究を終えることができた。
明日から始まる旅の荷造りをし、エヴァンの試運転を終えたアルフは、誰もいなくなった研究室で仮眠をとっていた。
そうして時計の針は進み、時刻は真夜中になる。
木製のドアを控えめに叩く音が聞こえて、アルフはまどろみから目を覚ました。
寝起きの掠れ声で入室を促すと、室内に入ってきたのは――昼にも顔を合わせた、リサ・ディール王女だった。