第27話 怒れる龍はついに目覚める<2>
巨大な金色の龍は、荒い息づかいの中、鋭い眼差しで夢魔を睨みつけていた。
動くことができず、サウードは剣を構えた格好のまま、目の前の龍を見上げる。その瞳は野生に生きる獣のそれで、彼は思わず身震いした。
「アル……フ?」
ロバンが龍を仰ぎ、独り言のように友の名前を呟く。
龍がアルフであるはずはない。そう信じたいのだが、この場にいたはずの彼が姿を消し、その代わりに龍が出現したという客観的事実が、それを遮る。
それに、なんとなく……感じるのだ。まるで暁光のような、透き通った琥珀の瞳。この龍はきっと、アルフである、と。
「ああもう……今日は最低最悪な日だわ」
下半身を失い地面に這いつくばるサキュイラは、低い声でそう吐き捨てる。切断された体の断面からは、どす黒い血がどくどくと溢れ出していた。
「あたしの狙いは、最初からあんただった。悪魔の呪いが効かないだなんて、龍族以外にありえないから」
夢魔の顔は悔しげに歪み、長い爪が大理石の床にめり込む。それを取り囲む兵士たちが「動くな!」と牽制するが、サキュイラの視線の先はただひとつ、目の前に聳え立つ黄金の龍だけだった。
「でもまさか……龍は龍でも、龍神王の生まれ変わりだったとはね!」
――その言葉に、広間にいる誰もが自分の耳を疑った。
「龍神王」。それは、ディールの民が星になぞらえて信仰する、この国の偉大なる神の名だ。
「アルフが、龍神王様の生まれ変わりだと……!?」
あまりに衝撃的な事実に、サウードはレイピアを握りしめる手を震わせた。思わず、ここが戦いの場だということすら忘れそうになる。
昔から、剣の練習などろくにしたこともないくせに、サウードと同等かそれ以上の身体能力を有していたアルフ。彼のその特異な体質も、前世が龍の王であることに由来していたというのだろうか……?
「金の鱗に、琥珀の瞳。あんたは数百年前も、あたしたちの前に立ちはだかった」
歯ぎしりするサキュイラの瞳に、憎悪と焦燥が浮かんでいる。いつも憎たらしいくらいに余裕を振りまいていた夢魔が、初めて焦った姿を見せているのだ。
悪魔すら狼狽えさせる、龍神王。その強さとはいったい……?
「……でも。あんたが龍だろうとなんだろうと、負けるわけにはいかないのよ」
憎しみに満ちた表情のまま、夢魔は右手を前方に突き出した。体の下半分を爆破されたというのに、なんという生命力だろう。
「龍神王! ここで死ね!」
サキュイラの放った黒炎が、龍の胸のあたりに衝突する。
「アルフ!」
ロバンが切羽詰まったように友の名を呼ぶが、アルフは炎を避ける素振りすら見せなかった。高熱の火が、黄金に輝く龍の皮膚を激しく燃やす。
やがて炎が鎮火すると、龍の皮膚には黒く焼けた跡が残った。
――しかし。
「傷が……治っていく?」
数秒もすると、まるで奇跡のように、龍の皮膚は元の金色を取り戻していく。その様子を、人間たちはごくりと見つめた。
強靭な肉体に、傷すら塞ぐ皮膚。そこにいる者はみな、思い知らされていた。
生物の頂点は、人間でも悪魔でもない。今目の前にいる龍族であると……。
「グオオオオオオオッ!」
悔しがるサキュイラをよそに、アルフは大きな雄叫びをあげる。「次は自分の番だ」とでも告げるかのように。
「くそ……ッ!」
勝ち目がないことを確信したサキュイラは、翼をはためかせ、慌てて飛び去ろうとする。
逃がさないとばかり、アルフは首を伸ばして夢魔にくらいつき、大きな牙と顎でその身体を喰いちぎった。
「えっ……」
断末魔をあげることすら許されず、あっけなく終わりを迎えたサキュイラに、その場にいる者たちはみな呆然とする。
あんなにも苦戦したサキュイラを、龍と化したアルフが……。
月明かりの差す神殿に、しばしの静寂が訪れる。
リファの棺と、悪魔の死体。聖なるものと邪なものが並んで横たわるその光景に、兵士たちは、ひたすらに混乱していた。
「ロバンさん、王女様のご容態は!?」
サウードの声が飛び、ロバンははっと我に返る。目の前に横たわるリサの胸元に急いで手を当てた。
「鼓動は……ある。ただ、失血量があまりにも多いから……無事を祈るしかない」
止血帯が巻かれた王女の腹部には、赤い血がじわりと滲んでいた。頬や唇は色をなくし、眠るように意識を失っている。
できる限りの止血処置は施した。けれど、王女の傷はあまりにも深く、広い。ここから回復に転じれば、それこそ奇跡というものだ。
ロバンが俯いて唇を噛んでいると、背後でズシンという物音がした。
「アルフ……」
振り返ると、巨大な脚を動かしてこちらへやってきた黄金の龍が、首を伸ばしてリサの姿を覗きこんでいた。大きな琥珀の瞳は王女だけを見つめ、潤んでいる。
ロバンは、隣に立つ龍の口元にそっと触れた。硬い鱗の感触がする。
ずっと、こうして龍に触れることを夢見ていた。だけど今のこの場面はとても苦しく、夢が叶った喜びに酔えるような状況ではない。
「王女様は、きっとご無事です」
こちらへやって来たサウードが跪き、白い手袋を嵌めた手で、リサの右手にそっと触れた。
「……だってこのお方は、龍神王に愛されているのですから」
サウードがそう呟いた瞬間、傍にいた龍から明るい閃光が迸る。あまりに眩しく、ロバンたちは反射的に目を閉じた。
「アルフ!?」
ミラの驚いた声が、神殿内に木霊する。
何も見えない。
ようやく光がおさまり、ロバンたちが目を開けると――人間の姿に戻ったアルフが、リサの傍に横たわっていた。




