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女王の龍は暁光に舞う  作者: 瀬尾ゆすら
第5章 新たな導き
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第19話 偉大なる科学者

 「ファロン博士」。そう呼ばれた目の前の女性を、アルフは興奮と畏怖の混ざった瞳で見つめる。


「あんたが理化学省のアルフレッドだね。噂はかねがね聞いてるよ。会えて嬉しいよ」


 対する青髪の女性はこちらへ近づいてくると、不敵な笑みを浮かべて、アルフたち二人と握手を交わした。


「リン・ファロンだ。ファロン魔法科学研究所の所長をやってる。以後よろしくね」


 老婆のような嗄れた声で名乗られたその名に、アルフは感動すら覚えていた。


 リン・ファロン。ミラとロバンの上司であり、数々の大発明を世に送り出してきた、現代科学の権威だ。


 素晴らしい科学者でありながら、学会には姿を見せたことのない、性別すら謎の存在。

 憧れの人物と相対できたアルフは、その表情に隠しきれない高揚を滲ませていた。


「お会いできて光栄です、ファロン博士。俺は、理化学省のアルフレッド・ティンバーリアで――こちらは、友人のリサです」


 アルフが名乗ると、ファロン博士は、黒い瞳でじっとリサを見つめた。その()が少し長く気になったが、博士は気を取り直したようにアルフに向き直る。


「ミラとロバンに仕事を頼んでたんだけど、帰りがあんまり遅いもんだから、ちょうど手が空いたし、二人の様子を見にきたんだよ。……そしたらまさか、理化学省の天才に会えるとはね。ゆっくり話を聞かせておくれよ」


 細く引き締まった腰に手を当て、リン・ファロンは雨の下、妖艶に微笑む。弧を描く唇は赤く艷めき、その(さま)はまるで、科学者というよりも森に棲む魔女のようだった。


◇ ◇ ◇


 アルフとロバンが宿泊している部屋に移動した五人は、ここ数日に起こった出来事を、順を追って博士に伝えた。


「……なるほどねぇ」


 春雨が窓を打つ音に、博士の掠れた低い声が重なる。二人だと広く感じていた客室だが、五人でいるとさすがに狭い。


「この付近で起きる魔獣発生の黒幕は、大戦で死んだかと思われていた『夢魔サキュイラ』だった、と」


 窓辺の椅子に腰掛けるリン・ファロンは、ロバンとミラの報告を聞き終えると、気難しい顔をして細い腕と脚を組んだ。


「……まずは、あんたたちが無事に帰ってきたことを褒めたい。本当に、よくやったね」


 偉大なる科学者に称えられ、その場にいた四人は控えめに頷く。


「そして、サキュイラの残した言葉――『悪魔が治める世界のために、やることがある』。……あんたたちならどう考える?」


 博士の問いかけに、部屋の中央にあるベッドに姿勢よく腰掛けたミラが、閉じた膝の上に両手を重ねながら、おずおずと口を開いた。


「あたしは、『魔神王の復活』だと思ってます」


 「魔神王」――悪魔族の、王の名だ。


 平和なディール王国とはかけ離れたその名前に、アルフとリサは驚いたように目を見合わせる。


「……だろうね。数百年前、龍神王が命を賭して封じた魔神王の封印を解き、この世界を悪魔族のものにしようって魂胆だろう」


 博士は吐き捨てるようにそう言うと、そばにある木製の机を、右手の人差し指でコンコンとつつく。その視線は、ミラの右手にある大きな焼け跡に向かっていた。おそらく彼女の中では、我が子のように大切な部下を傷つけた悪魔に対して、ふつふつとした怒りがこみ上げているのだろう。


「やつ――サキュイラは言っていました。『弱い者は強い者に食われろ。それが自然の摂理だ』と」


 アルフはそう述べ、昨日対峙した夢魔の、地獄のように紅い瞳を思い返した。まるで「悪魔こそが生物の頂点だ」と言わんばかりにこちらを上から見下していた、あの禍々しい色の瞳を。


「ああ。これはきっと生存競争なんだよ。食うか食われるか、人間と悪魔の戦いなのさ」


 とんがり帽子の下で顔をしかめ、博士は忌々しげに呟く。

 「生存競争」――理性と知性を持つ人間にはまるで似つかわしくないその言葉に、アルフはため息をつきたい気持ちになった。


「これが『種族のための戦い』だと言うのなら、僕は受けて立とうじゃないか」


 博士の隣に立つロバンが、一歩前に出て宣言する。ぎゅっと握られた彼の拳が、その決意の強さを物語っていた。

 ロバンはきっと、憤っているのだ。レオンの死と――それを救えなかった、己の無力さに。


「だが、悪魔は強い。龍族ですら、やつらに手を焼いたんだからね」


 組んだ脚を揺らしながら、ファロンは皆に残酷な事実を突きつける。それを聞いて、誰もが俯くしかなかった。博士の言う通りだ。


 空を飛ぶことに憧れ、エヴァンを造ったアルフ。生まれつき羽を持ち、空を飛ぶことができるサキュイラ。悪魔と人間の力の差は、比べるまでもなく歴然だった。


「悪魔を討つ方法……博士はなにか、ご存じありませんか」


 ふかふかのベッドに腰掛けるミラが、正面に座る博士に身を乗り出して問いかける。切実な声音だ。


 問われたファロン博士は椅子の背に凭れかかると、細く長い脚を組み替える。一呼吸置いて、彼女はゆっくり、しかしはっきりと、確かめるように言葉を発した。


「まだ仮説だが……ある。悪魔の呪いすら払う、光の切り札が」


 博士がそう告げると、部屋を包んでいた空気が、それまでの重苦しいものから一気に変化した気がした。

 窓をぽつぽつと濡らす水滴の数が減り、街を包んでいた暗雲が少しずつ散っていく。


 すると唐突に、ファロンは紺色の帽子を脱ぎ、側にある机の上にそれを置いた。

 露わになった青い直毛を揺らし、博士は椅子から立ち上がると、ミラの隣にちょこんと座る、リサの目の前に立つ。


「そのために、あなたの力が必要なんだ。……リサさん」


 博士は跪き、ベッドに腰掛けるリサを恭しく見上げる。その光景に、その場にいた誰もが「えっ!?」という声を上げて混乱した。


 それもそのはずだ。

 現代科学の第一人者で、ミラとロバンにとっては会社の社長にあたるリン・ファロン。そんな彼女が、年端も行かぬ初対面の少女を、まるで王族のように敬っているのだから。


 皆が動揺する中、ファロン博士の黒水晶のような瞳に見つめられ、リサは覚悟を決めたようだった。

 水色のローブの胸元を握りしめ、リサはその場に立ち上がる。

 博士、ミラ、ロバンの顔を順に見やって――最後に、アルフの瞳を見つめてきた。


 リサのその表情に、アルフは思わず、彼女の父であるエリック前王の面影を重ねた。城にいた頃とはまるで別人のような、強く凛々しい顔つき。

 この人物がいずれこの国の王になるのだと思うと、興奮のような滾りと誇りで胸が熱くなる。


「ミラ、ロバン、そしてファロン博士。身分を隠していた無礼、どうかお許しください」


 朝から街に降り注いでいた雨が上がり、夜明けのような晴れ間が差す。窓から差した一筋の光が、リサの濡れた銀髪を煌めかせた。


「わたしは――ディール王国王女、リサ・ディールです」


 高らかにそう宣言する王女の瞳は、まるで恒星のように輝いていた。

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