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あいのでどころ

作者: 血塗五六

 

 昔々、大陸の奥、山々に囲まれた村では十年に一度、森に住むグェンツェフという化け物に生贄を捧げるという風習がありました。

生贄は若い娘、しかも『こころ』の清らかな娘でなくてはなりませんでした。ですから、まず村人たちはこころの綺麗な娘を選び出すために自ら生贄になろうという人間を募ります。村のために自分を犠牲にしようというのですからきっとこころが綺麗に違いない、ということです。


「私が行きます」


 村一番の美しさを持つ少女、サアラが手を挙げました。色素の限りなく薄い髪、透き通った肌、一つ一つまつ毛の先まで整った顔のパーツ、しなやかに伸びた手足、歳に対して洗練された雰囲気を纏う姿は氷の彫刻のようでありました。サアラはその可憐さはもちろん、凛とした性格、頭の良さから村中の人から愛されていました。彼女のこころなら化け物も納得するに違いない。村人は一人残らずそう思いました。ですが、それだけ多くの人に愛される人間が生贄に捧げられるという事実に誰しもが打ちひしがれました。


 その日の夜は盛大な祭が行われました。この世に未練のないように最大の贅が尽くされます。それは生贄に捧げられる者のためでもありましたが、残された者たちが全てを忘れるためでもありました。サアラは誰よりも愛されていましたからその年の祭りは例年以上に乱痴気騒ぎで、村の誰もが満面の笑顔で、酒を浴び、歌い、踊り、涙を流し、狂っていました。そんな狂乱の中でただ一人、少女はいつもと変わらず涼しげに笑っていました。


 次の日の朝、めかし込んだサアラが森の入り口に立っていました。手には籐のカゴ一つ持って。見送りには両親だけが立ち会います。


「いってきます」


 当たり前に、いつものことかのようにサアラは口にするとためらいなく森の中に入って行きました。残された両親はただ森に消え行く娘の後ろ姿を見つめることしかできませんでした。


 静かで、日も登り切っていない森はどこか不気味ではありましたがサアラが歩みを緩めることはありません。森の中を歩いて行くと大きな祠があり、その中に化け物は居るとサアラは聞かされていました。サアラは立ち止まることなく中へ中へと進んでいきました。


 薄暗い祠の中を進んでいくと吊るされたランタンが仄かに照らす少し広めの空間にでます。空間にあるのは手前に小さな椅子、向かいに大きな椅子、その二つのみ。サアラはちょこんと小さな椅子に腰掛けました。すると目の前の大きな椅子がゆらりと動きます。

 少女が椅子だと思ったそれは大きな化け物、グェンツェフでした。グェンツェフは黒く、それでいて影のようにのぺっとしていて、じっとしているとそれが生き物であるとは到底思えませんでした。


「新しい生贄か」


 唸るような低い声がゆっくりと言葉を紡ぎます。


「ええ、そうですわ」


 サアラはさもあらん事のようにそう答えました。


「今年はうまいといいな」


 そう言うやいなや、化け物は立ち上がり少女の前にゆっくりと歩みました。

 自分の倍以上あろうかという化け物は近くで見るとそれの表面が毛でもなく、皮膚でもなく、サアラの持ち得る知識では表現できない事により一層化け物であるという実感が湧きます。 足は二本、手は二本、形だけで言えば人間に近いのでしょうか。 太く長い七本の指、頭の右側に小さめな二本の角、左側に一本だけ大きな角、目は顔のどこにあるのかわからず、大きく一際黒い洞窟のような口が開いているばかりでした。


「私はサアラと言います。 お名前はお聞きしてますわ、グェンツェフさん。 少し質問よろしいかしら?」


 突然の言葉にグェンツェフは何も答えません。それを了承と得たのかサアラは続けます。


「なぜ、生贄を欲するのですか?」


 サアラが一つ疑問を投げかけます。

 グェンツェフは一つ頭を掻くと答えました。


「腹が減るからだ」


「お腹が減るのなら、森の動物や木の実を食べれば良いのではなくて?」


「普段は、それらを食べている。だが、一番うまいのはきれいな人間のこころだ」


「人間のこころは美味しいのですか」


「そうだ。どんな馳走よりもまっすぐなこころを持った、さらに言えば女のこころが一番うまい」


「我慢する事はできないのでして?」


「無理な話だ。人間も木の実だけを食えといっても無理だろう。それと同じだ。そもそも、こちらとしては今すぐに全部食い荒らしてやってもいいのだ。それを十年に一度にしてやっているのだからこれ以上駄々をこねられても、困る」


「一度に全部食べてしまうより十年に一度は必ず食べられたほうが良いということなのかしら」


「ああ、お前らの祖先にとても交渉上手な男がいた。そいつは一歩たりとも引かず怯えずその条件まで譲歩させられた」


「もし、その約束を破ったらどうなりますの?」


「もちろんこちらも好きにやらせてもらう」


「生贄さえ捧げていれば約束は守っていただけるのですね」


「こちらが約束を違えることはない……そうだな、『これ以上どんなこころを食っても旨いと感じられない程のこころ』を食えたなら、あるいは生贄を必要とすることもないのかもしれない。そんなこころ、まず無いだろうが」


「そこまでおっしゃるなんて、余程こころの味にこだわってらっしゃるのね」


「もちろん、こころはうまければうまいほどいい。去年はひどかった。十年に一度の楽しみだというのにやってきた娘は自分の虚栄心を満たすために生贄になるというふざけた女だった。食えるには食えたが、あれ以下のこころはないだろう」


「どうでしょうね。私は自分がそれほど出来た人間だと思いませんもの」


「なに、食ってみればわかることだ」


 グェンツェフがサアラに向かって手を伸ばします。


「おまちになって」


「命乞いなら聞く耳持たぬぞ、こちらは十年待ったのだ」


「十年待ったのならあと少し待ったとしても変わりないでしょう? 私、おいしい食事の取り方を知っていますの。お戯れに私の言うとおりにしてくださいな」


 グェンツェフは少しの間の後サアラに向けた腕を引っ込めました。


「ただ食うばかりもこれだけ繰り返せば飽きがくる。いいだろう。その戯れとやらに付き合ってやる」


「まず食事はこんな埃っぽくて暗いところで取るものではありませんわ」


 そういうとサアラは祠を出ようとします。


「逃げようというのではないだろうな」


「そんなに心配ならこうしておきましょう」


 サアラはグェンツェフの指を一本握りしめました。


 行きしはおどろおどろしく感じた森も祠の中とは違い澄んだ空気が満ち溢れ、差し込む光が眩しく、神聖めいてさえ感じられました。

 サアラはカゴからワインを取り出します。


「私たちの村では素敵な食事にワインは不可欠ですのよ」


 言いながらにサアラがグラスを用意します。


「わいん、とやらがなんなのか知らぬが毒は効かぬぞ」


「私はそんなことはしないと言ってますのに」


 そう言うとサアラはグラスに注いだワインを一息に飲み干しました。


「ああ、日が出てるうちからワインを飲めるなんて私は幸せものね」


 それを見たグェンツェフはサアラの手からワインボトルを奪い取るとそのままボトルごと口の中に入れてしまいました。


「……甘いような、酸いような、渋いような、不思議な味だ。人間は面白いものを作る」


「お気に召したかしら?」


「こころほどではないな」


「あら残念。でしたら次は歌を歌いましょう」


「うた、か。それなら知っている。時々村から聞こえてくる、音のことだろう」


「でしたら話は早いですわね。私が歌ってみせますからよく聞いてくださいな」


 サアラはカゴから小さなハープを取り出すと優しく弾き始め、それに合わせて一曲歌って聴かせます。サアラの歌は澄んでいて、ハープの音色と相まって静謐な森の中ではより一層神秘的なものでありました。


「貴方もお歌いになって」


「おまえの歌を聴いているだけでいい」


「恥ずかしがり屋なのね。だったら私の代わりにハープを引いてくれないかしら」


「無理だ」


「ちゃんと教えますから」


「その楽器は小さすぎる」


「あら、私の手が空けばもっと素敵なものをお見せできるのに」


 グェンツェフはしばし考えるそぶりを見せた後口の中に手を入れると大きな黒いハープを取り出しました。


「貴方そんなこともできますのね」


「いいものでなかったら、すぐさまお前のこころを食ってやる」


「ご期待に添えるよう頑張りますわ」


 サアラは運指の少ない曲をゆっくり、丁寧に教えていきました。グェンツェフのハープは重く響くような寂しげな音色でしたが教えられたフレーズを奏でると幻惑的で独特の深みがあるものでした。どうにか一曲弾けるようになるとサアラは言います。


「では私の踊りをご覧に入れましょう」


 不慣れなグェンツェフのハープに合わせるように、ゆっくりと、大きな動きでサアラは踊ります。サアラの美しい四肢が流れるように動く様はそれだけでも見るものを楽しませます。

 ハープを弾きながらその光景を見るグェンツェフは、ここに在らずといった様相でありました。


「今度こそは一緒に」


 サアラは無理やりグェンツェフの指を取ります。サアラは自分の歌に合わせてゆっくりとステップを踏み、それにつられてグェンツェフの足もおぼつかないながらに動きます。


 一人と一匹はどれだけの時間そうしていたのでしょうか。踊り、歌い、ハープを弾き、ワインを飲み、気がつけば辺りは月明かりで照らされていました。


「私の身勝手に付き合ってくださってありがとうございました。それでは最後に」


サアラはカゴからナイフを取り出しました


「そんなものでは傷一つ付けられんぞ」


グェンツェフは口元を緩めてそう言いました。


「ええ。貴方にはね」


少女はナイフを深く、自分の胸に突き立てました。


「どうぞお食べになって」


 少女の手により差し出されたこころはルビーのように赤く、獅子のように力強く脈打っていました。

 化け物は恐る恐るそのマグマのように熱いこころを手にとると、ゆっくりと口に運びました。

 瞬間、薔薇の香りが口の中に充満し、すもものようにみずみずしい外皮を噛むとよく熟れたリンゴの蜜だけを集めたような汁が溢れ出しました。


「こんなにまずいこころは初めてだ」


 それ以来化け物が人のこころを食うことはなくなりました。

 代わりにワインの供え物を祠に祀るという風習が生まれました。

 時折森からはハープの音が聞こえてきます。



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