生きようと言い続けよう
これにて完結です。
生きるとは何か――多少余裕のある人生を生きた者ならば、そのことを一度くらい考えたことはあるだろう。
人は生というものを特別視する。映画や小説、漫画、演劇といった創作物もそういう要素に溢れている。人は『生の意味』を求める生き物であると言ってもいいだろう。
しかし、普遍的に『生の意味』を指し示すものは存外にない。辞書に意味は乗っている。だが、それは言葉で説明したものだ。生きることを表現した創作物は沢山ある。だが、それは脚色されたものだ。
生きることに本当に意味はあるのだろうか。生きたいとはどんな欲望なのだろう。生きるとはどういうことなのだろう。生きると実感できるのはどんな時なのだろう。
世の中には、そんな考えを巡らせることが好きな人間が居る。
「で、僕は言ってやったんだ! 『脇役にあっさり食われる主役側に問題がある』って! 顔真っ赤にして口パクパクさせる姿は、ほんとうに笑えたね!」
「お前ほんと性格悪いな」
「それ、私も言ってやりましたよ。『2話しか出ない脇役に話題完全にもってかれて恥ずかしくないんですか?』って言ったら、顔真っ赤にしてました」
「お前もかよ」
「はっはっは! クッソ受けるわなぁ! あんさんら、ほんま問題児やんねぇ!」
「お前が言うな。あと、食べ処だからって騒ぎ過ぎだぞ」
とある食べ処で話に花を咲かせる4名の若い男女。
ひたすらツッコミ役になっている青年はまさにそういうことを考えるのが好きであった。
赤みがかった茶色の眼を細めながら、青年は同席している3名を見やる。彼の隣に座るのは、金色の髪の毛をショートオブにした勝気な女性である。狐を想起させる糸目であった。
その向かいに居るのは、儚さを感じさせる白一色の少女。全体的に色素が不足しているように見える。
そして、彼の向かいに烏羽色の長髪と黒曜石のような黒目が特徴的な女性が座り、笑っている。
その全員が死にたがり屋だとは、この店に居る誰も知らないだろう。
「しっかし、ここで一番ショボいの、新条なんやない?」
「何を今更。俺はただの大学生で、そっちのふたりは今や人気俳優。お前は次のオリンピックで、柔道の内定選手だぞ」
「ほんまショッボ! クソザコナメクジやんけ!」
「そんなクソザコナメクジと楽しく話をしてるお前らは本当にバカだと思うぞ」
「なんやなんや! 拗ねんなや! うちの唐揚げ分けたるさかいな!」
「方言ごちゃ混ぜやめろ」
かつては同じ高校に通っていた4名だが、今や大きく変わった。
本質的には変化していないが、少なくとも社会的立場は変わった。
「大和は相変わらずだね! 『吉良吉影は静かに暮らしたい』を地で行く在り方、最早感服するよ!」
「え。大和先輩、若い女性殺して手首保存してるんですか?」
「するか。それだと静かに暮らせないだろうが」
「はっはっは! 理由がそっちなんは、ほんま新条っぽいなぁ!」
新条大和は異常者である。
彼は己にサイコパスの気があることを自覚しており、概ね周囲からの評価も同じだ。
彼は己が共感能力に欠ける人間であることを知っている。時に怪物と呼ばれることもある。しかし、可能であればその怪物性を誰かのために発揮したい。守るために使いたい。
ここで1つの問題が生じる。誰かのため、あるいは守るためとはどういうことなのかだ。何をすれば誰かのためになるのだろうか。どうすれば守ったと言えるのだろうか。
本当に誰かのためになったかどうかなど、分からない。もっと言えば、ある者にとっては破滅と言えることがある者にとっては救いとなる場合もある。
そんな不確か状態で、何をして他者のためになるというのかを見極めるのは非常に難しい。
それでも彼は考え、進んできた。その結果、今彼の前に3名の死にたがり屋がまだ生きた状態で居る。
「とりあえず、陽子と田沼の俳優としてのブレイク及び玉木のオリンピック出場内定に乾杯だ。お茶だけどな」
「「「乾杯」」」
生きたいといつだって思っている大和には理解できない、死にたがり屋達。
そのこれまでの軌跡と、これからの軌跡。
それが末永いものであること彼は願った。
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生きようと言い続けよう
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天才とはアンバランスで、不器用だ。
天足は、凡人が気にしないものが気になって仕方ない。
天才=手際が良いではない。天才と言っても様々な種類が居て、偏った者も居れば目立たないだけで非常にバランスが良い者も居る。
しかし、それでも本質的には皆アンバランスだ。器用に見えるのは得意分野だけで、それ以外は子ども以下の場合もある。
坂木陽子と田沼幸子はまさにその典型例であった。役者としてまさに天才である二人は、しかし人間としては非常に脆く、弱い。
誰かに心的に依存せねば生きていけない、酷く脆弱で、消極的な生き方しかできない。
それでもまだ二人は生きていて、今新条大和の前に居る。
大和はそのことが嬉しかった。
「そういえばさ、大和が一度だけ出演したドラマを偶然見たけど、ほんと酷い演技だったね! ネットでも『顔はいいのに棒演技ww顔だけww』って言われてたよ!」
「昔の話を蒸し返すな。あれは何度も断ったのに押し付けてきた向こうが悪い」
「先輩はちゃんと全力でやりましたよ。サカキはまさにああいう感じです。無機質で、言葉が死んでいる。それが逆にエンジュには救いになったんです。解釈完全一致でしたね」
「助け船を出すように見せかけて傷口に塩を塗るな」
「いや。全然傷になっとらんやんけ。自分自身で録画見てゲラゲラ笑っとったやん。うち、あん時初めてドン引きしたわ」
「お前もか、ブルータス」
大和の隣に座っている狐のような女性は、玉木綾。快楽主義者である。
狂い具合で言えば、坂木陽子と田沼幸子が赤子に思える異常者だ。
大和と同様のサイコパスの気があるだけでなく、その性質を楽しんでおり、尚且つ能動的に死のうとしている。
陽子と幸子は『生きたい』と思えないから死にたがっていた。一方、綾は『最高の死に方』を求めて死のうとしている。その原因は、幼少期の彼女に臨死の恍惚を教えてしまった大和自身にあるらしいのだが、彼としてはとんだ藪蛇である。
玉木綾は止められない。どこかで必ず大和が決着をつける必要がある。その日がいつ来るかは完全に未知数で、大和はそれを少しずつ先延ばしにするのが精いっぱいであった。
極論すれば玉木綾が生きようが死のうが彼の人生に大きな影響はないが、やはり生きて輝いて欲しいという思いがある。
各々が自分の人生を生きて、それぞれなりの輝き方をする――それを守るのが、大和のライフワークであった。
「大和はさ。大学卒業したらどうするんだい? 適度な会社にでも就職するつもりかい?」
「先輩、いっそうちの劇団に来ませんか? 先輩のファンがこの前入ってきましたよ」
「なんであの演技でファンができるんだよ。目、節穴なんじゃないか?」
「『サカキの演技まじパネェっす! 自分カンドーしました!』って言ってました。分かる人には分かるんですね」
「やっぱ節穴だな」
大和が今後どうするかは確かに重要だが、それは彼自身の問題である。
陽子達が気にする必要はない。彼女達と違って、大和は生きたいのだ。毎日『生きたい』と思って過ごしている。
だから、どんな形であれば己にできる精いっぱいをする。
「でも、あの演技で一定数のファンはできたと思いますよ。うちの劇団でも結構話題に出ますし」
「反面教師として、だろ」
「いえ。あぁいう超然とした役って、ただの棒演技だと薄っぺらいんですよ。先輩の演技はそういうのとは違って、『あ、怖いな』ってものがあるんです。演劇の才能ありますよ」
「あぁ。確かにそういう部分に限れば大和は天性のものがあるね。純粋な演技力はクソザコナメクジだけど」
「一番大事なとこが駄目じゃないか、それ」
陽子と幸子が笑う。
どちらもまだ生きていて楽しいと思えているようで、大和は嬉しかった。
学生だった頃の二人はもっと停滞感があったが、いざプロとして役者の舞台に踏み入ると、瞬く間に開花した。人間性には相変わらず問題があるが、間違いなく活き活きとしている。
暫くはこの二人は大丈夫だろうと、大和は確信していた。後は、彼自身がどの程度二人の『生きたい』という思いを強められるかである。
こうして実際に全員で顔を合わせるのは1年ぶりだが、通話やチャットでのやりとりは今でもほぼ毎日行っている。時間が合えば会いもする。
そんなこんなで、大和達はこうして一堂に会しているわけだ。
「まぁ、ゲリラ的な催しとかなら参加してもいいけどな? 観客が居て、お金をとるものに出るのはあまりに失礼だ」
「あ。それいいですね。私、声のお仕事もやったりするんですよ。来月からニチアサにも出るので、見てくださいね」
「僕もアニメの方に少し出るよ。ちょい役だけどね」
「そうなのか」
「ボイスドラマとかありだと思いますよ。効果音とかはフリーのとか色々ありますし、素材購入するのもありですし。そういう『趣味』としての繋がり、素敵だと思いません?」
「成程。まぁ、そういうのならいいぞ」
幸子の口から趣味という言葉が出てきた。
大和はそれが無性に嬉しく、内心笑う。
彼から見て幸子は1番最初に自殺するのではないかと思っていた相手だけに、まだこうして生きているのが奇跡的だ。もっとも、まだ油断はできないが。
現状、幸子は役者としての生を楽しめている。それだけでも大分救いになっている筈だ。幸子もまた、究極的には大和にとって居ても居なくても大差ない存在だが、輝いてくれるならその方がいい。当然だ。
大和は人間の可能性が好きだ。
学校で目立たない日陰者だって、実は素晴らしい夢があるかもしれない。勉強が苦手だった者は、その経験を活かして良い教師になるかもしれない。ある者は後に有能な研究者になるかもしれない。物づくりが好きな者は製造業や芸術方面で花開くかもしれない。
動物は異端な同類を排除する傾向にある。人間とて同じである。しかし、世界的に活躍している者はその異端な同類なのだ。その芽を潰すことは、人間の可能性を自ら潰す行為である。
勿論、例えそういった目覚ましい活躍がなくともいい。平凡で中途半端であっても生きていい。そんな世界を彼は欲する。
だからこそ、幸子が生きるなら、当然その方が彼にとっては都合がいい。
「もし何か作ったらうちも聞いてみるわ! 新条がどれくらい棒演技が知りたいけんねぇ!」
「勝手にしろ。……でも、確かにそういうのはアリだと思うぞ、田沼」
「なら、通話とかしながらやりませんか?」
「時間が合えば全然OKだ。ふたりの都合が合うかが問題だけどな」
「時間は作るので大丈夫ですよ!」
「ま、それは僕もそのつもりだ。趣味でやる分には急ぐ必要もないしね」
幸子は確かに生きることに積極的になっている。
そして、それは陽子も同様であった。
高校時代、『僕、生きてもいいんだよね?』と聞いてきた陽子が今純粋に生きることを楽しんでいる。高校時代にはあった様々な柵から解放されつつある。
まだ成人していない陽子だが、確かに仕事があり、成功している。それも、実力によるものだ。確かに実力があり、その力で立場を確立した。
陽子はこれから先、どんどん自立していく。どんどん独立し、楽しめるようになる。己が自由になればなる程、心に余裕ができる。
陽子と幸子は大学に行かずに役者となったが、それはきっと正解だったのだろうと大和は思った。
異端児である二人には、学生のままでは結局限界があったのだ。
「この駄弁りが終わったら、また仕事か?」
「そうだねぇ。明日からまたドラマの撮影があるんだ」
「私もですね」
「成程」
お互いやることは多い。
かく言う大和も、大学生として色々やることは多い。
今の大学は数十年前の大学……俗に言う『創作の中で描かれる大学』とはまるで違う。出席はカードリーダーなどでしっかりとるし、小テストなどで実際の出席も確認される。期末試験だけに出ればOKという時代など、遥か昔に終わっている。
しっかりした大学であればある程、やることは多い。講義内容も多岐に渡り、課題も多い。高校までと違い、教科書などでもまだ用語が統一されていない領域について学ぶことになる
大和はそんな時代の大学生である。やることは多いが、楽しい。知らないことを学んで、それがいつしか己の知識となり、知恵となる感覚が彼にはたまらなく愛おしく思えるのだ。
学習というものを楽しめさえすれば大学は楽しい場所だと、彼は思う。
無論、それ相応の大学でなければその実感は得られないだろうが。
何はともあれ、大和は今の生活を楽しんでいた。
そして、これから先も己にできることをしていく。
「うちも最後の追い込みトレーニングやなぁ。オリンピック、別に見んでもいいけど、見る時は相手を応援せんでぇな?」
「「相手を応援する!」」
「人の心とかないんか?」
「お前が言うな」
来年、ここに居る4名の内3名が故人になっている可能性はけしてゼロではない。
大和は事故などがない限りまず死なない自身があるが、能動的な死にたがり屋一人に、消極的死にたがり屋二人が居る。
どこかで歯車がズレてしまえば、全員居なくなるかもしれない。そんな危うさの中で陽子達は生きている。陽子と幸子が能動的に生きる理由も消極的に生きる理由も失えば、そこで詰む。綾は死を先延ばしにする快楽が生きたままでは得られなくなったと悟れば、すぐに契約通りのことを大和にさせる。
最悪の場合、陽子と幸子は自殺し、綾は大和がその手で殺すことになるわけだ。そういう危険性がある面子なのである。
だからこそ、大和は己にできることをせねばならない。
「来年も、こうやって集まって話そう」
「急に何だい、大和。珍しくウェットな物言いだね」
「せやなぁ」
「うるさい。とにかく、陽子も、田沼も、玉木も……全員とまたこうして会いたい。1年後、ちゃんと顔を合わせて」
大和は『生きたい』という強力な欲望があるからこそ、絶対に自死を選ばない。
だが、それは彼の話であって、残る3名はそうではない。彼と同じになることを強いるのも不可能だ。
だからこそ、来年もこうして集まろうと願うのである。
「別に予定が合えば来週とか来月とかでもえぇんやない?」
「そうですよ、先輩」
「ん。そうだね。予定が合えば、通話でもなんでもしようじゃないか!」
「……うん。そうだな。そうしよう」
破滅願望――それは、現実を拒絶するが故の願望。
理由や形は何にせよ、『終わりたい』と思うのだ。
どう終わりたいかは人それぞれだろう。例えば玉木綾の場合、味わった人生最大の快楽が臨死の恍惚だったが故に、もう一度それを再現して死ぬことを望んでいる。その再現のために、元凶らしい大和が選ばれた
田沼幸子と坂木陽子の場合、己が世界から否定されているような気がして、しかし自ら死ぬこともできず、己を終わらせてくれる誰かを欲した。そして、それが大和だった。
結局のところ、大和はいつか3名全員に死をもたらす死神なのかもしれない。しかし、彼は皆に生きて欲しい。生きて、人間の可能性というものを良い意味で見せて欲しいのだ。
だからこそ、彼は何度でも言う。何度だって口にする
「俺は生きたい。またこうしてバカみたいなやりとりをしたいからな。だから――皆も生きよう」
何度だって生きようと言い続けよう――そう心に決め、大和は笑った。