生きてもいいのかなと言った
坂木陽子は死にたがりの生きたがりだ。
矛盾しているが、合っている。
彼女自身、自覚したのは最近のことだ。それまでは消極的に生きていたが、彼女は存外生きたいという思いを抱いていたらしい。
彼女がそのことに気づいたのは、己よりもずっと頭のおかしい後輩と出会ったからだ。田沼幸子という死にたがりの少女と出会い、彼女は少しだけ己に希望を見出した。
案外自分はこの世界で生きられるのかもしれないと思ったのだ。
そして、彼女はそのもしかしたらを少しだけ確認したいと思った。
「大和。少し話いいかい?」
ただ一言を求め、彼女は親愛なる怪物に声をかけた。
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生きてもいいのかなと言った
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新条大和は己がどうしようもなく歪な存在だと知っている。
知っているが、そう生まれ、育ってしまったものは仕方ない。どうしようもない。
受け入れるしかない。受け入れて前に進むしかない。それが彼にできる精いっぱいだ。歪な存在なら、せめてその歪さを誰かのために発揮したいと、彼は思うのだ。
誰かが輝く可能性を守ることができるなら、彼という異常者にも価値が出てくる。彼が誰かを守れば、その誰かがまた他の誰かを守ってくれるかもしれない。
それでいいのだ。それがいいのだ。大和は誰かが輝く可能性を見たいのだ。それこそが、彼が生きる醍醐味なのだ。
彼自身は輝けないが、誰かが輝くのを見守るだけで嬉しかった。
「陽子。急にどうした」
「まぁ、話を聞いてくれたまえ。実はね……僕は……生きることに案外肯定的なのかもしれないんだ!」
「お、そうか。いいことじゃないか。おめでとう」
「あー!? 信じてないな!? 本当なんだぞ!?」
「分かってる。嘘なんかじゃないって、ちゃんと分かってるさ」
放課後、帰路においてふざけた調子で言う陽子……大和の親友の笑顔に嘘はない。
彼女の演技力は本当に凄まじいが、大和はそこに仄暗いものを見出さなかった。
今彼女は心の底から思ったことを口にしているらしい。軽い調子で言っているのは、不安だからであろうと彼は推測した。
芝居がかった言動をする時の陽子は、大抵の場合不安を隠している。大和はそれを知っている。だから、いつも通りの口調で返すだけでいい。
変に気を使うよりも、いつも通りに振る舞うのが彼女にはいいのだ。大和はそれを知っている。だから、演技はない。そもそも彼にそんな演技力はない。
大和は陽子のブラックダイヤモンドのような目を真っ直ぐ見て、笑った。
「僕さ……生きてても、いいんだよね?」
「当たり前だろ。俺なんか、毎日『生きたい!』って思ってるぞ」
「ぷっ……なにそれ! 不治の病に苦しむ病弱な人間かよ!」
「そうだなぁ。確かにそんな人間が真っ先に考えそうなことだなぁ」
大和は笑う。
ただただ笑う。坂木陽子という親友と笑い合う。
大和は生きたい。生きていたい。必死に生き続けたい。どんなに自分がおかしいとしても、生きたい。だから生きる。生きたいという強い渇望が彼にそうさせる。
生きていれば良いことも悪いこともある。時に有頂天になり、時に崖っぷちになる。時には転落さえするだろう。それでも彼は生きたい。生きたいという本能は止められない。
本能に支配されているだけと言われたら、確かにそうかもしれない。しかし、彼は己の本能に真っ直ぐ向き合い、その上で己が生きる理由を己自身の手で手に入れたい。
理由は後付けでいい。ただ、その理由が彼自身にとって納得のいくものでさえあれば、それでいいのだ。
「俺はさ、陽子に生きて欲しいよ。大切な親友だからな」
「そうか~……面と向かってそう言われると、気恥ずかしいなぁ」
「俺の勝手な願いだけどさ……生きて欲しいっていうのは本気だ。これからもお前とこうしてアホみたいなことを話したい」
「……うん。僕もだよ」
「だからさ。生きよう。『もう満足だ』って思う時まで、生きるんだ」
大和は陽子に生きて欲しい。彼女が輝く未来を見たい。
彼は玉木綾にいつか殺すと約束したのと同じ口で、陽子に生きろと言う。
坂木陽子、玉木綾、田沼幸子。彼の周囲には死にたがりが多過ぎるが、玉木綾は己の死を最高の快楽にするために色々と努力する、ポジティブな死にたがりである。
一方の陽子と幸子はネガティブな死にたがり。積極的に生きる理由がないから死にたいと思っているらしい、そんな存在。逆に言えば、生きる積極的な理由が生まれさえすれば、生きることはできる。
玉木綾は楽しく生きて楽しく死ぬことを目的としている。あれを止める術は大和にはない。精々先延ばしにできるかどうかであろう。
大和は既に玉木綾については諦めている。田沼幸子もどこかで限界がくると感じていた。
せめて陽子だけには生きていて欲しいと、彼は思っているのだ。
「う~ん……そうだね。ならさ……大和が僕の人生をもっと楽しくしてくれるんだよね?」
「努力するよ」
「うん。ならいい! 生きよう! 生きたいって思ってみよう!」
「うん。それでいいと思う」
陽子は天才だ。演者として必ず大成する。
その才能が開花せず埋もれるなど、悲しい。彼は、彼女がその才能を存分にふるう未来を見たい。
そうでなければ楽しくない。面白くない。原石が磨かれぬまま朽ちていくなど、悲劇だ。大和はその才能が発揮されるのを見続けたい。
身勝手な願いだが、そう思ってしまったものは仕方ない。その願いを叶えたいと思う気持ちは、彼には止められない。
輝く者達を見続けることが、彼が生きる理由の1つなのだ。
「そういえば、シロ君は結局どこで練習してるんだい?」
「シロ?」
「さっちーだよ。さっちー。白いからシロ」
「あぁ……なんか時々うちに来てるよ。俺にサカキ役やらせるの好きみたいだ」
「そうかぁ……そうだよねぇ。演劇部に誘っても、僕以外じゃ練習にならないだろうから……僕が世話してやるかねぇ」
陽子が笑う。ただただ笑い、軽やかな足取りで歩く。
大和はそれが無性に嬉しく、同じく笑う。
「いいんじゃないか。実力で言えばほぼ拮抗してると思うし」
「すぐ僕の方が上に行くよ。彼女には子役の経験があるとしても、僕は天才だからね!」
「はいはい。天才天才」
「というわけで、これから大和の家で練習しよう!」
「その前に次の中間テストの勉強」
「うげっ!!」
大和はサイコパスの気があり、その怪物性は誰かを傷つけかねないものだ。
しかし、それを誰かを守ることに使えたらその怪物性にも価値がある。
「テスト勉強程つまらないものはないよ!」
「頭はいいんだから、もっと手際よくやれば時間も浮くぞ」
「うっそだー!」
「本当のことだろ。玉木みたいなのは理想だな」
「あの狐かー」
「狐って……まぁ、分かるけどな」
大和と陽子は他愛ない話をしながら歩く。
こんな日がずっと続くことはありえない。どこかで何かが変わる。ならば、変化の内容はせめて本人にとって良いものであて欲しいと大和は思う。
「とにかく、バカみたいなとこで躓かないように色々準備するぞ」
「ラジャ! あ、今日はアップルジュースがいいな! クッキーもあると尚いいね!」
「お前。人様の家の茶菓子に注文つけるなや」
「いいじゃないか、あはは!」
「まぁ、あるとは思うけどなぁ」
大和は生きたいという本能が強く、他人の生存本能がそれ程でもないことに驚くばかりだ。
しかし、それが個人差というものである。大和はそれを知り、己の生存本能を誰かに分けたいとすら思う時がある。
生きてもいいんだよね――そんなこと、大和は絶対に聞かない。彼は生きたくて生きているからだ。生きる理由は自分で見つけ出すものだと思っているからだ。
「あるならいいじゃないか! なに! 夕食前に軽く食べるだけさ!」
「たまには差し出しで何か持ってこい。うちの茶菓子ばっかり減ってるじゃないか」
「まぁ、それもそうだねぇ。よし! ならコンビニよろうか!」
大和は陽子に生きて欲しい。その願いは本物だ。彼は彼女が輝く姿を見たい。
「どうせ全部お前が食うんだろ?」
「? 当たり前じゃないか」
「太るぞ」
「天才は太らない」
「嘘つくな」
生きていいか――その答えが肯定以外であることなど、最初からありえなかったのだ。