カレーの味
小学生の頃に家庭科の授業でエプロンを作成したことがある人は、どれくらいの数いるのだろうか。
当時、流行していたアニメや有名スポーツブランドのロゴを使用して、派手なものを作った人は記憶に鮮明に残っているのではないだろうか。
俺も例外なくその一人で、青と黒を基調にしたスポーツブランドにした記憶がある。
その思い出たちも、今は自室のタンスの中で出番を待っていることだろう。
残念ながら、君の出番は将来子供でも生まれない限りは、俺の身に再び袖を通すことはない。
と、なぜこんなことを今更思い返しているのかといえば、青井家のリビングで懐かしいピンクのキャラクターエプロンを身に纏った幼馴染がいたからだ。
「それでは、休日のお昼づくりを始めます」
「よろしくお願いします、先生!」
黒の腰かけエプロンを身に着け、手を洗いながら彼女に向けて言うと、気合の籠った声が返ってくる。
学校が休みの休日に、前々から心から頼まれていた料理教室を開いたのだが、正直恐怖しかない。
些細なトラブルは容易に想像ができるので、なるべく被害が少なく終えることだけを考えよう。
「では、手を洗ってから食材の下ごしらえを進めます」
台所の蛇口で手を洗う心を横目に、冷蔵庫から用意した食材を取り出す。
今回は、料理の入門としても多く作られるカレーを作ってもらうつもりだ。
ジャガイモに人参、玉ねぎに今回は彼女の希望で鶏もも肉を用意した。
いわゆるチキンカレーだ。
チキンヤローではないので、その点ご注意願いたい。
我が家よりも少し広めのキッチンで二人並んで立つと、ピーラーを心に手渡しジャガイモを指さす。
「ジャガイモは洗ってあるからまずは皮を剥こう、その時に芽は必ず取り除くこと」
「はいはーい」
右手でピーラー、左手でジャガイモを持つ。
そして、指を立ててナックルボールでも投げるのかというぎこちない手で、作業は進行していく。
時折、滑って「あっ」という声が彼女の口から零れるたびにビクリト心臓が跳ねる。
決して上手とは言えない者の、すべての皮を剥き終えると、次に人参も同じように皮むきをさせる。
そして、玉ねぎをまな板の上に置く前に、黄金色の薄皮を剥がす。
「玉ねぎは伊達眼鏡とかあると、目が痛くなりにくいからおすすめだ」
「はい! ありません!」
「左様ですか……」
元気でよろしい。
持っていない場合は、そうなんですねと頷いてくれれば大丈夫ですよ。
包丁を握り、むんずと野菜を掴み気が付いたように心が言う。
「豚の手だね」
「猫の手な」
胸を張って言ってくれたところ申し訳ないが、どれだと指先ピーンと伸ばしてますね。
即答で訂正したことに不服そうな顔をしてこちらを見上げるのをスルーして、まな板に食材を並べる。
同じ野菜を手に取り、隣でレクチャーする形式で二人で食材を刻む。
出来るだけ丁寧に、大きくなってしまっても良いので順に作業を進めると、最後に鶏肉に手を付けた。
「鶏肉は刃が通りにくいから、滑らないように気をつけてな」
「ジューシーさを際立てるために、そのまま焼いてしまうのは」
「食べにくいだろ」
鶏モモ肉を一枚乗せたカレーとか見たことないぞ。
今回はあくまでノーマルなカレーを目指す、だから意外性は無しだ。
グラグラと、不安定な彼女の手を支えて肉の処理を終えると、ようやく火を使った工程へと進む。
ここからは、本当に単純な作業になるので二人でのんびりと焼き色を付けて水を鍋に入れると、ぐつぐつ煮立てる。
「あとは、ルーを溶かせば完成だ」
「あれ、チョコレートは?」
冷蔵庫から、一枚の板チョコを取り出して心が尋ねる。
その問いに首を横に振ると、その手に取ったお菓子を冷蔵庫へと戻す。
「りんごは?」
野菜室から取り出されたりんごも、同じように取り上げると冷蔵庫へと戻す。
しかし、彼女のアイディアは止まらない。
「はちみつは?」
「何か隠し味を入れないと気が済まないの?」
調味料の棚から、はちみつが入った瓶を取り出す心に言う。
料理が得意でない人ほど、隠し味や凝った調理過程をしたがるものだが、それは一通り料理が慣れた人がやるものだ。
彼女が入れそうなものを一通り撤去すると、炊飯器が米を炊き終えたことを知らせる音を鳴らす。
「焦げないように鍋をかき回しておいて」
「隠し味……」
依然として不服そうにしてながら、鍋をかき混ぜる姿に苦笑を浮かべて二人分の皿を用意する。
今回は心の料理を見守るために、インスタントだがコンソメスープを用意したのでそれも同じく二人分お湯を注ぐ。
わずかな合間、彼女から目を離して戻ると既にそこは激しい炎が立ち込めていた。
「あわわわわ」
「何入れた!?」
おたまを持ち、その場で掛けるように足を上げていた心に聞くと、彼女は焦りながら答える。
「オリーブオイル!」
コレステロールゼロと唄ったボトルを手に取り言った彼女の隣に駆け寄り、すぐに火を消し蓋を閉める。
しばらくそのままにして、火が収まったのを確認すると一つ息を零す。
幸い、隠し味程度に入れていたことで表面が焦げてしまう程度で済んだので、安心してから一言注意を述べる。
「勝手に色々入れないこと!」
「はい……ごめんなさい」
目尻に涙を浮かべて謝る彼女の頭に手を置いて、慰めるように笑顔を浮かべると、少しして彼女は普段通りの明るい表情へと戻る。
焦げてしまった場所だけ取り除き、二人分のカレーを盛って食卓に着く。
一口食べた時、僅かに苦みを感じたが、最初はこんなものだろう。
向かいに座った心も大きな一口を放り込むと、その完成度を確認して言った。
「苦い!」
心のカレーは焦げの味、この失敗を彼女の女子力向上にしてほしいと切に願う一日だった。