ビールの賞味期限(2012年5月9日)
大学時代のことである。
私は、北軽井沢にあるリゾートホテルのレストランで、ひと月少々のあいだ働いた。
私ともう一人の人物は、派遣会社からそのとき派遣されたメンバーのトップとみられていたので、レストランのマネージャーとサブマネージャーから、いろいろと相談を受けた。
あるとき、倉庫に連れて行かれた。
山のようにビールケースが積まれていた。
その時点での日本での売り上げトップスリーのメーカーのビールだ。
たくさん買うと安いからと、雲の上の上役が大量に買い込んだらしい。
製造年月日には相当の幅がある。
格別空調の効いた倉庫でもないので、品質管理は難しい。
ビールは熱に弱い。
この夏は暑かった。
そしてもちろん、新鮮なほどビールはうまい。
時間がたつほど味は落ちるものなのである。
マネージャーとサブマネージャーは、どこからどこまでが売ってよいビールで、どこからどこまでが売ってはいけないビールなのか、その見分けを相談してきたのだ。
売ってはいけないビールは断固廃棄する許可を上役からもぎ取ったらしい。
素晴らしい。
ホテルマンの鑑である。
「実際に飲んでみるしかありません」
それが私たちの答えだった。
かくして、レストランスタッフ全体による一大試飲会が実施されたのだった。
各社のビールを、製造年月日ごとに抽出して、冷蔵庫で冷やした。
大きな冷蔵庫に保管してあったビールも一緒に評価した。
テイスティングするスタッフには製造年月日が分からないようにして、評価してもらった。
また、他人の評価に影響されないように、どう評価したかその場では口にせず、用紙に記入してもらったのである。
経過は飛ばして結論を述べる。
三か月だ。
三か月なのだ。
気持ち悪いほど、皆の評価は一致していた。
製造年月日から三か月までのビールはうまいが、それ以上過ぎたビールは客に出してはならない。
逆にいえば、そのときのテイスティングでは、気温が上がった直後だからなどということは結果としてほぼ問題にならなかった。
相当に熱かったという日をくぐり抜けたビールも、三か月以内であれば、良心に恥じず売れる味だった。
製造年月日からどのくらいたっているか。
それこそがビールの味を大きく左右するのだと、皆の意見の集計が物語っていた。
何しろ、倉庫にあったビールと、ずっと冷蔵庫にあったビールを比べても、やはり三か月という境界線は揺るがなかったのだ。
正直、あそこまではっきりした境界線が出るとは思ってもいなかった。
「おい、嘘だろう?」
結果を集計したとき、私はそう思った。
冷蔵庫にあったビールは、倉庫のビールより長く味を保つに違いないと思っていたからだ。
だが、そうではなかった。
冷蔵庫の魔力も、時の経過による味の劣化には及ばないらしい。
私たちは、倉庫にあった三か月以内ぎりぎりのビールと、冷蔵庫に入れてあった三か月過ぎぎりぎりのビールを、あらためて飲み比べた。
詳しい味は覚えていないが、「うおっ。ほんま、ちがうわあ」と言い合ったのを覚えている。
人により嗜好は違うのだから、売ってよい境界線も人により違うとも予想していた。
ある程度の傾向が出ればあとは責任者が判断することだと考えていたのだ。
ところがそこには、その場の誰も知らなかった厳然たるルールがあった。
もちろん、全部に○を付けた人や、全部に×を付けた人もいた。
しかし、全体としては明らかに三か月という境界線があったのである。
これは一般的な現象であるかどうか知らない。
現在も通用するかどうか知らない。
だが、私にとっては、このことは体験的事実として揺るがない。
だからわが家では、私の目が届く範囲で実施している。
客に出していいビールは、製造年月日から三か月まで。
それを過ぎたビールは、うっかり客にださないよう、可能なかぎり早期に処分しなくてはならない。
よく冷やしてから。
(2012年5月9日執筆)