赤飯の湯漬け
昨日あるイベントがあって、折詰を頂いた。
帰宅してその折詰を開くと、二段目に彩りよくご飯物が詰めてあり、そのうち一列は赤飯だった。
それを見て思い出した。
私は、赤飯をそのまま食べるのも好きだが、冷たくなった赤飯を湯漬けにするのも好きだ。
それを見た叔母が、こう言ったのだ。
「まあ、なんてぜいたくなことを」
赤飯の湯漬けはぜいたくなのだろうか。
叔母によると、ちょっと昔なら、そんなぜいたくをすると目がつぶれるぞと怒られたという。
よくわからない感覚だが、ちょっとわかる気もする。
かつて赤飯は、特別なときにしか食べられない大変なごちそうだったのだ。
その特別なごちそうを、そのまま味わわず、本来の味を損なうようなやり方で食するのはもったいないということなのではないだろうか。
とすると、叔母の言う「ぜいたく」は、貴重なものを投げ捨てる振る舞いだという批判的な形容だったのだ。
とはいえ、うまいものはうまいのである。だから少しも「ぜいたく」ではない。
お茶でもいいが、やはり赤飯には白湯が合う。ごま塩を振りかけ、奈良漬けを添えてあれば、もう言うことはない。この場合、奈良漬けがベストマッチだと思う。たくあんも塩昆布(昆布の佃煮)もそれなりに合うが、奈良漬けには勝てない。
ちょっとよいお茶でお茶漬けにして、塩も振らず添え物なしで食するのもおしゃれである。
そういえば、頂きものの富田漬は、まだ残っていたろうか。あれも一年たったものは、奈良漬けに近い。
今日の昼は妻がいない。
よし。
昼食のメニューが決まった。




