若狭のフグ(6)
足湯を堪能して山を下りた私たちは、福井県年縞博物館に立ち寄った。
全然知らなかったのだが、水月湖の年縞は、年代測定の物差しとして、世界標準に認定されているのだそうだ。
そもそも年縞とは何か。
「プランクトンや鉄分など、季節によって異なるものが湖の底に毎年積もることで、縞模様になった泥の地層」のことなのだという。
冬と夏では堆積物の色が違うので、ここが一年というみきわめができる。
そして水月湖は、七万年ものあいだ、大きな天変地異や水の大量の流入によって地層が荒らされることなく堆積し続けてきた場所であり、その層を数えることで、これは百年前、これは千年前、これは一万年前と、それぞれの層のできた年代を確認できる。
水月湖の年縞は、それ自体が環境変動の貴重な情報の宝庫である。
たとえば、含まれた花粉を調べることで、当時が寒冷な気候であったか温暖な気候であったかを調べることができる。
しかし七万年ものあいだの地層が確定できることの意味は、実はとても大きいのだという。
というのは、放射性炭素年代測定法の基準となるからだ。
水月湖の年縞を調べれば、一万年前の地層では、炭素14の減少率がどの程度か確認できる。ということは、世界中で発掘された、骨や土器の炭素14の減少率を、水月湖の調査で得られた値と照らし合わせることによって、その骨や土器が何年前のものであるのかを知ることができるというわけだ。この年代測定の世界的な物差しとして、水月湖の年縞は認められているというのだ。よくわからないが、すごい。
なお、筆者の科学知識はきわめて低レベルである。説明に間違いがあったらご容赦願いたい。
年縞博物館を出た私たちは、〈源与門〉といううなぎ屋で昼食をとった。
聞けば百年以上四代にわたってうなぎ屋を続けている店だという。
店構えも立派で、なかに入れば広々している。
六人ともうな丼(上)を頼んだ。わかめ汁が付いているが、二百円アップで肝吸いにできるという。
むろん、六人とも肝吸いにしてもらった。
近くに居合わせた客全員に、店員さんは同じことを聞き、一人残らず肝吸いにしていた。
商売上手だと思ういっぽうで、最初から肝吸いにしておいたほうが早いんじゃないかと思った。
それで、わかめ汁に変更すれば二百円安くなるというのはどうだろう。
それだとわかめ汁を選択する人が続出するかもしれないが。
とても長い時間待たされた。
たぶん、注文が入ってからうなぎをさばいて焼いているのだと思う。
うまかった。
何とも言えず活きのよいうなぎだった。
蒲焼きにされたうなぎの活きがよいなどと言うと、表現がおかしいようにも思うが、そうとしか言いようがないのだ。
さっきまで生きていたウナギが、口のなかで踊り出す。
そうとでも言うしかない歯ごたえであり、弾力なのだ。
背開きで、蒸してから焼くのを関東風、腹開きで、そのまま焼くのを関西風というのだとすれば、これは間違いなく関西風のうな丼だ。
だけれどもこのウナギの存在感の強さは、関西風というより、やはり若狭風なのかもしれない。
山椒も印象的だった。驚くほど鮮烈な香りを放つ山椒だった。目の粗いミルで挽いたように、一粒一粒の形がわかる。そして非常にからいが、それだけでなく、風味が切り立っている。山椒は香辛料なのだと思い知らされた。ここまで香りと味が際立った山椒を食したのははじめてである。
食べたあと何時間たっても、口のなかに味と食感がよみがえる。
こうしてエッセイを書いているこの瞬間にも、うなぎが口のなかで暴れる感覚がよみがえる。
食事のあと、野鳥観察センターでマガモやカルガモを望遠鏡で観察した。
今日立ち寄ったレインボーライン山頂公園にせよ、年縞博物館にせよ、野鳥観察センターにせよ、作り方や案内のしかたがあか抜けしていて、施設は美しく、スタッフのマナーもとてもよい。さすが福井県である。公共的な施設にはふんだんにお金をかけている。
道の駅で買い物をしたあと、私たちは帰路についた。
県境を越えるまでは鉛色に沈んでいた空が、滋賀県に入るなり明るく輝いた。
やがて車は大阪に入った。無遠慮に照りつける陽光にうとましさを感じた私は、若狭の昏く優しい空を、どこか懐かしく思い出していた。
(2019年12月15日執筆)




