昨日の反省(2015年1月2日)
越乃寒梅は冷やで飲む酒だ、ということは重々承知している。
いるのだが、珍しく一升瓶の越乃寒梅が手に入り、ちびちびと飲んでいるうちに、
「これを燗したら、どんな味がするんだろう」
という好奇心がうずき出してしまった。
そんな実験ができる機会が人生に何度あるだろう。
これはもうやってみるしかない。
もちろん味が飛ぶような熱燗にはしない。
人肌よりわずかに温かいだろうかというほどの燗である。
そもそも本当にいい酒は燗をしても味は壊れないものである。
吟醸酒や大吟醸を燗するのはもったいないといえばもったいないが、やってみれば意外においしい、ということが多い。
越乃寒梅は、きっと燗してもうまい酒であるような気がした。
結論からいうと、その予測は間違っていた。
口に運んでみると、するっと喉を通る。
通るのだが、あまりにあっさりしている。
もちろんあっさりしているのは越乃寒梅の特質なのだが、期待していた芳潤な香りはなく、やや気の抜けたようなあっさりさである。
そして二杯、三杯と杯を重ねるうちに、口の中にからみを感じた。
「あれ? 寒梅にこんな強いくせがあったのか?」
と思ううちに杯を運ぶ手が止まってしまう。
結局一合のとっくりの熱燗を飲み干すのに、結構な時間を要してしまった。
ここからは単なる臆測である。
私は越乃寒梅は日本酒臭さもなく、きついからみや苦みもなく、まとわりつく甘さもなく、まことに水のように素直で癖のない酒で、それでいて豊かな香りとうまみを持つ希有の酒だと思っていた。
日本酒の欠点を克服した日本酒だという評価を聞いて、なるほどと思ったものだ。
だが、そうではなかったのかもしれない。
越乃寒梅には、からさも、苦みも、甘さも、あるのではないか。
ただしそれらが渾然一体となり絶妙のバランスを保つことにより、まったく喉にひっかからず、すうっと入っていくし、舌の上に嫌な後味を残すこともない。
それでいてあらゆる味蕾が刺激され、酒の持つ様々なうまみを味わわせてくれる。
例えていえば、いろんな色の光をバランスよく混ぜ合わせれば白い光になるようなものだ。
ふわりとした酔い心地のわけはよくわからないが、味覚的にはそういう面があるのではないか。
それを燗することによってバランスを壊してしまった。
そのためからさだけが引き立ってしまったのではないだろうか。
越乃寒梅を手に入れたかたは、ぜひ同じ実験をして検証していただきたい。
私はもう二度とやらないが。
(2015年1月2日執筆)




