食い倒れ(2012年4月6日)
もう何年も前の話になるが、大阪に住んでいる知人が、あるとき昼食に連れていってくれた。
当時私は、ずいぶん大阪から遠い所に住んでいたから、大阪の繁華街などめったに来られなかった。
不思議なことに、その日何を食べさせてもらったか、覚えていない。
覚えているのは、途中、車の中から見た、ある光景だ。
「あそこ、すぐ近くに、寿司屋が二軒ありまっしゃろ」
知人の言葉に左を見ると、確かにひどく近い距離に寿司屋が二軒ある。
「右の店は、きったのうて古い店ですわ。けど、安うてごっつううまい。左の店は、店構えはきれいで、味も値段もそこそこ。お昼時ですやろ。こういうとき、東京やったら、休憩時間の残りとか、味とか値段とか、いろいろはかりにかけて、何人かは左に並ぶんやないですかなあ。ところがね。大阪では、みーんな右の店に並ぶんですわ。遅いぞ〜、早くしろ〜、いうて文句言いながらね。これが大阪いう所でっせ」
その言葉が、正しく大阪人の気質を言い当てていると、やがて私は知ることになる。
大阪人にとって、食とは平和ではない。
大阪人にとって、食とは戦いである。
決して妥協の許されない、熾烈で過酷な戦いなのである。
気の弱そうな女の子は、金を払うに値しない料理を目の前にしたとき、驚くような罵詈雑言のボキャブラリーを披露してくれた。
品の良い老紳士は、土産にもらった八個のたこ焼きのうち一個にたこが入っていない、という許し難い怠慢を発見したとき、ぐちぐちと文句を言い続けた。あとで聞いたところでは、とうとう翌日、直接店に苦情を申し立てたそうだ。
そうだ。
大阪人にとって、食とは、戦いなのだ。
それ以外の生き方など、彼らは知らない。
大阪人とは、倒れるまで戦い続ける、食の戦士なのだ。
もしかしたら、食い倒れとは、戦い抜いてようやく安らぎを得た勇士への賞賛の言葉なのかもしれない。
(2012年4月6日執筆)