豆腐のお歳暮(本編)(2012年12月7日)
どうしてこんなに重いのか。
十人分の豆腐でも入っているのか。
と思いながら発泡スチロールのふたを取ると、私の目にペットボトルが飛び込んできた。
しかも二本。
……水?
水だった。
「温泉どうふ用調理水」とある。
温泉どうふ?
わざわざ鍋用の水を同梱しているようだ。
期待感が高まる。
そもそもこれは、洛中のど真ん中に住む生粋の京都人が他府県のよりにもよって豆腐を贈答品に選んだ、という興味深いお歳暮なのだ。
今日は朝から外出して仕事だった。
夕刻、寒い風に震えながら自転車で帰宅して、さらに仕事を片付けた。
食事をする部屋に上がったときには、すでに鍋で豆腐が煮えていた。
くせのある匂いだ。
沸き立つと鍋が白く濁った。
まるで豆乳鍋のように。
肉系の具は入れていないようだ。
豆腐と添付の花型昆布のほかは、ネギとエノキだけというシンプルな鍋だ。
豆腐をすくって器によそう。
おお!
豆腐が溶け出している。
木綿でも絹ごしでもない。
とろとろの豆腐を食べてみる。
味のある豆腐だ。
だし味は……微妙だ。
独特のくせがあり、相当人を選ぶだろう。
ポン酢ダレとごまダレの瓶が同梱されていたので、味をみた。
ポン酢ダレは、酸味が切り立っているが、刺すような鋭さはない。
醤油のうまみが酸味をうまく包み込んでいる。
しかしとてつもなく力強いたれだ。
舌の上に乗せると、くいくいと舌の奥を刺激し、喉の奥に突き進むかのごとき刺激を感じる。
ごまダレも強い味だ。
こんなにきついごまダレは初めてではなかろうか。
それぞれ豆腐に掛けてみたが、あまり美味には感じなかった。
一般的な味ぽんを試してみたが、そのほうがよかった。
だが、何かが違う。
何かがちぐはぐだ。
解説書のようなものがあったはずだと思い出して、どこにやったか聞いた。
それを読んでみる。
ふむふむ。
調理水と豆腐を一緒に鍋に入れて強火にかける。
白く濁ってきたら弱火に。
完全に白濁し豆腐の表面がとろーりとなったら出来上がり。
さらに雑炊の作り方が書いてあり、ご飯を入れてひと煮立ちさせ、きのこ具材を入れ、最後に「一の塩」で味を調えれば出来上がり、とある。
一の塩?
見れば小さな塩の袋がいくつか付いている。
一袋を鍋に入れた。
すると、どうだ。
スープの味がぐんと引き締まって、好ましい味になった。
味をみながら次々と塩の袋を破っていれ、結局全部を投入して、納得できる味になった。
面白い味だったが、美味だったかと言われると、どうだろう。
豆腐を食べ終えたあと、少し落ち着きが悪い気がした。
そこで、ご飯を器に盛って、土居の塩昆布を乗せてお湯を掛けた。
これを食べて満足した。
こんぶの土居は、わが家の近くにあるなじみの店だ。
この店主はよい趣味の人で、店に足を運んだだけで楽しい気分になる。
土居の塩昆布は、神宗の塩昆布やこうはらの舞昆のような切り立った派手なうまさはない。
だが、じわじわと染みてくる優しく素朴なうまみがあり、私は大いに気に入っている。
美味しんぼという漫画にも、何度か取り上げられていた。
余談だが、美味しんぼの原作者である雁屋哲氏には以前お会いしたことがあるのだが、私の印象ではなぜか、やくみつる氏と重なるものがある。
それほど似た顔立ちでもなかったのだが。
さて結局、豆腐の評価だが。
普通の豆腐に飽きた人が食べるような格別の豆腐なのではないか、という推測を述べるにとどめておく。
私はまだ豆腐初心者のようだ。
(2012年12月7日執筆)
追記
今年も同じお歳暮を頂いた。もちろん、同じ相手からである。あれ以来毎年お歳暮は同じ品である。
食べ方が上達したせいなのか、舌が肥えてきたのか、非常に美味だと感じている。
最初にお豆腐だけを食べるのも、溶け出した成分が泡雪のようにまとわりついて独特の味わいがあるし、豆腐を食べたあと、入れて炊いた肉や野菜も、優しくて包み込むような甘みがある。豆乳鍋に少し似ているが、豆乳ほど自己主張が強くないスープで、あとを引かない。
今年は、湯葉ができなかった。なぜだろう。豆腐を炊いて食べたあとに、鍋の表面に湯葉ができるはずなのだが。
本当に豆腐というものは奥が深い。
(2019年12月21日執筆)




