ひろめ市場「やいろ亭」(後編)(2012年11月23日)
そもそもある料理にどんなワインが合うかというのは、一般論にすぎない。
白ワインといっても数え切れないほど種類がある。
同じ料理でも味付けやたれや薬味で相性は変わる。
組み合わせは無限といってよく、既成観念など捨て去って、そのときたまたま出遭ったワインと料理を楽しめばよい。
いや、ワインにこだわる必要もない。
要するに、酒は酒だ。
あまりに自分の嗜好から外れる酒を回避する程度の知識さえあれば、あとは成り行きまかせでよい。
もちろんこれは、自分だけの楽しみを考えた場合の話であり、誰かをもてなすということになれば、やはり一般的なセオリーが無難ではある。
ところで、カツオといえば、忘れられない店がある。
数年前、仕事で高知に行った。
仕事は無事終わり、先方の世話役の人と夕食を食べに出た。
こちらは三人、あちらは一人、合わせて四人である。
どんなしゃれた店に案内してくれるかと思ったら、ビルの一階に入っていく。
ひろめ市場、と看板が出ていた。
わかりやすくいえば、屋台村である。
鮮魚店、精肉店、雑貨屋、洋服屋、飲食店などが軒を連ねている。
飲食店エリアの中央には机と椅子を並べた小広場があり、飲食ができる。
ずいぶんリーズナブルな所に案内してくれたなと思った。
実際、リーズナブルだった。
だが、料理も酒も、最高だった。
少し前まで学校の先生をしていたという世話役の人が連れて行ってくれたのは、「やいろ亭」という店である。
店の名は、ヤイロチョウという高知の県鳥からきているとのこと。
顔なじみらしく店のご主人とあいさつをかわし、カツオの様子を尋ねる彼。
ご主人答えていわく、今日は非常にいいカツオが入ったので、刺身がいける。
刺身?
カツオなのに?
カツオの刺身?
彼が、刺身とたたき、どっちにしましょうと訊いてきたので、両方、と答えた。
私たちの目の前に、カツオの刺身と塩たたきが供された。
ほんとに刺身である。
そのデリシャスなこと!
信じられない。
これがカツオ?
いや、確かにカツオだが。
それを食べたらカツオが赤身だという観念さえ吹き飛んでしまった。
今までカツオのたたきは手応えはあるがやや単調な味わいだと思っていたが、それはただ本当のカツオを知らないだけのことだったのだ。
最高の状態のサワラよりもなお繊細で奥行きがある。
生臭さなどみじんもない。
特別な仕入れ先があり、生のカツオが手に入るからの味らしい。
小広場を挟んでちょうど反対側に、各種焼酎を置いてある店がある。
見事な品揃えで、しかも素晴らしく安い。
ここに足を運んでは、かめから柄杓で焼酎を汲んでもらいつつ、カツオの刺身に舌鼓を打った。
その夜はホテルに泊まった。
翌日、こよなく龍馬を愛する高知男児である彼は、われわれを龍馬記念館に案内してくれた。
記念館の屋上からは太平洋が一望できる。
開け放たれた青空のもと、海から吹く潮風を胸に吸い込みながら、碧い海に見ほれた。
次に海水風呂に連れて行ってもらった。
その後、彼が関西に来たときには、とっておきのホルモン屋にご案内した。
ちょうど昨日、あるイベントで彼と顔を合わせたので、店の名前を確認してこのエッセイを書いている次第である。
あの高知行きから二年ほどのあいだは、どこの店に行ってもカツオのたたきを注文する気にならなかった。
罪な店である。
余談だが、「迷宮の王」第二部最終話「邪神の迷宮」でミノタウロスが使う武器は、「やいろ亭」のご主人が使っていた、昔ながらのカツオ包丁を見た印象から生まれた。
(2012年11月23日執筆)




