「吉次(よしじ)」心斎橋店(前編)(2012年9月18日)
その店は、繁華街の近くなのに不思議なほど目立たない路地にある。
牛タンを食べさせてくれる店である。吉次心斎橋店という。少し北には鰻谷店というのもあるそうだ。店長は仙台の名店「司」で修行したというだけあって、料理の仕方も付け合わせなども仙台風である。飲み物メニューを開けば、宮城の清酒と焼酎がずらりと並んでいるのも楽しい。
牛タンというのは、割合に高いものだ。この店でも、牛テール焼きの七百円台やタンシチューの六百円台はまだしも、牛タン炭火焼きは一皿でほとんど二千円する。だが、それでいい。牛タンは、ばくばくと大量に食べるものではなく、好みの酒を味わいながら、じわりと舌を楽しませるものだからだ。
先週の金曜日、あるイベントの打ち合わせ会があり、委員たちを送り出したあと、私を含めた三人の事務方で吉次を訪れた。冷房の効いた二階に上がり、温かいおしぼりでさっぱりすると、まず注文したのは、もちろん生ビールだ。乾杯して喉を潤すと、タン刺しとポテトサラダを注文した。
タン刺しは、見た目だけで私をうならせた。サシの入り方が実に美しい。地肌の新鮮な赤色に、このうえなくよく映える。小さいのだが、分厚い。角切りに近い厚みがある。すり下ろしたニンニクとショウガが添えてあるので、これを乗せて醤油を付け、口に運んだ。
何という柔らかさ。
きりっとした形を保っているので、ひんやりとした舌触りを予想していたが、それは裏切られた。タン刺しは、まったくの常温だったのだ。常温でこの凛々しい姿を保てるということが、品質と新鮮さを物語っている。
噛みしめれば、マイルドでうまみのある肉汁があふれ出す。酒の進む味だ。だが、ここであわてて酒と共に肉を呑み込んではいけない。肉は口の中に残して、じっくり待つのだ。すると信じられないほどの甘みが湧きだしてくる。待てば待つほど甘みが増す。これは、楽しい。
生ビールとタン刺しだけで、もう帰ってもいいかな、と思うぐらい舌を満足させてもらった。
友人の勧めにしたがってポテトサラダに箸を伸ばした。味の濃いイモだ。水っぽさなどまるでない、ほくほくのポテトサラダで、上には炙った肉の細切れが振りかけてある。これはもはや単なる添え物ではない。脇役だとしても、田中邦衛級の脇役である。
さて、いよいよ牛タン炭火焼きである。たっぷりの皿に盛られたそれは、見るからに風格を感じさせる。青菜の漬け物が惜しげもなく添えられていて、その脇には青唐辛子の味噌漬けも付け合わせられている。
タンは、タンらしい丸みを持っており、ざっくり厚めにスライスされている。あとで知ったのだが、スライスしたあと塩コショウを振りかけ、ラップで密封して熟成させてから、強火でさっと焼き上げるのだという。
しっかりした歯ごたえがある。噛み切ったとき、ぷつんという手応えを感じる。塩味は控えめだ。肉の味を殺さないためだろう。舌が新鮮な味覚を失わないうちに、ビールを飲み、喉に肉を味わわせる。
ふむ。
鼻孔に抜ける独特の香味。これがタンだ。タンの臭みだ。よく目にするタンやタン料理は、この臭みを抑えている場合が多い。が、これは逆だ。タンならではの臭みをしっかりと引き出している。
二切れ目を口に入れ、今度はじっくり噛んでみる。何度も、何度も。すると表面に付いていた味が消えたあとに、苦みとこくと、塩っぽくない塩味のようなうまみがにじみ出てくる。これがこの肉本来の塩味なのだろうか。
聞きかじりの知識だが、日本人は牛肉に柔らかさを求めるが、フランス人は硬さを求めるともいわれる。辻静雄氏の著書の中に、ヨーロッパのある地方の牛は、海ぎわの潮風をたっぷり浴びた牧草を食べて育つという話があった。その牛の肉は硬く、歯ごたえがあるのだが、噛めば噛むほど肉自身が持つ塩味がしみ出してきて、その地方独特の複雑な風味を味わうことができるのだとか。
このタンの炭火焼きを食べていて、ふとそんな話を思い出した。このタンは、どこにでもある味ではない。ある地方の土と風が染みこんだ味なのだ。当然、クセもある。そのクセも含めて味の全体を感じ取りたいものだと思いながら、私は箸を進めた。(後編に続く)
(2012年9月18日執筆)




