蒜山高原の牛乳(2012年8月19日)
年に一度の仲間内の旅行で蒜山高原に来た。
今、国民宿舎の窓際で、夜明け前の山並みを遠望しながらこれを書いている。
ついでにいえば、東館である。
薄墨を流したような雲が空を覆い、右から左にゆっくり動いている。
宿は高台にあるので、緑の地平は一度下方におりてゆき、やがて上方に盛り上がり、木々に覆われて一度途絶える。
そのはるか向こうに、巨大な山が立ち上がっている。
上蒜山である。
頭を雲に突っ込んでいるので、上のほうは見えない。
その右隣が中蒜山、さらに右側が下蒜山なのだろうか。
その下蒜山とおぼしきあたりに、ぽつんと赤焼けが現れた。
昨日車を走らせて加西を過ぎてから、二度激しい雨に見舞われた。
まったく前方が見えない激しい雨だ。
ところが蒜山のインター辺りでは、雨が降った様子がない。
山の天気とは不思議なものだと思った。
インターを出てほどなく、道の駅があった。
ジャージー牛乳を飲んだ。
成分無調整だからよく振って飲むように言われた。
一生懸命振った。
とても一生懸命振った。
そして瓶のふたを開けた。
白い液体ではなく、白い固体がみえた。
かちかちの硬さではなく、ぷるぷるの硬さだ。
横に向けても、ひっくり返しても、牛乳は瓶から出て来ない。
売店に行くと、アイスクリーム用の紙スプーンをくれた。
そのときも、よく振れば混ざりますと言われた。
上の部分をすくって食べると、下に牛乳があった。
下の部分はちゃんと液体で、上側の二センチほどだけが、固形化していたのだ。
それから牛乳を飲んだ。
それなりにおいしかったが、少し物足りない感じがした。
固形化していた部分を下の液体部分とよく混ぜて飲めば、もっと濃厚な味だったのだろうか。
しかし、しかしである。
私はよく振ったのだ。
とてもよく振ったのだ。
だが牛乳は混ざらなかった。
思うに、ふたはぴたりと牛乳に接触しており、わずかなすき間もなかった。
だから混ぜても音がしなかったのだ。
そのような状態で、振って混ぜるのは至難の業だ。
釈然としないものを感じながら、道の駅前のひまわり畑で記念写真を撮った。
蒜山の国民宿舎の夕食はバイキング形式だった。
品数も多いし、いろいろ工夫がみられ、感心した。
たとえば、刺身や生ハムの春巻き風の前菜は、一口ずつ小鉢に入れられている。
茶碗蒸しは、出来たてをワゴンで運んで配っている。
天ぷらとしゃぶしゃぶは、客前に屋台があつらえられ、板前さんが目の前で調理してくれる。
名物のそばやヨーグルトもおいしかった。
最年長の参加者のかたは、女房の痴呆が進んできたので、今年が最後の旅行になるよ、と笑っていた。
ラドン温泉につかってから寝た。
こんなにぐっすり寝たのは久しぶりだ。
書いている間に太陽が稜線から顔を出した。
まぶしくて直視できないほどだ。
高原の朝は清々しく、どこまでも続く緑の野原は、涙が出るほど美しい。
今日はそば打ちを体験してから出発する予定である。
自分で打ったそばは、さぞうまいだろう。
とても楽しみだ。
(2012年8月19日執筆)
追記
これを活動報告に書いたあと、読者のかたからご指摘いただいたのだが、「成分無調整」ではなく「ノンホモ」ではないかということだった。
そして、ノンホモ牛乳は、振りすぎるとバターになるとのこと。
なんということだ。振りが足りなかったのではなく、多すぎたのだ。




