サクランボ狩り(2012年8月9日)
2009年の七月に、仕事で山形県天童市に行った。
向こうでの受け入れをしてくれた人は、偶然以前からの知人だった。
仕事は無事終わり、その知人の紹介により、私たちはサクランボ狩りをした。
サクランボ農家の温室の中には、何十本もの佐藤錦の木が生えていた。
それぞれの木に、山ほどサクランボがなっている。
食べる分にはどれだけ食べてもよいが、持ち帰りは別途買う、という条件だった。
木から直接サクランボをもぎ取って口に運ぶ、というのはなかなか楽しい体験だ。
ぷりぷりでつやつやしていた。
日の光に照らされたその美しさは、今も心に鮮明に焼き付いている。
化粧をしているわけでもないのに、どうしてあんなに美しいのだろう。
女性の化粧には、それとしての美がある。
だが、あのサクランボたちには、まったく手が掛かっていないのだ。
いや、手が掛かっていないというと語弊がある。
肥料もやるし、風雨から守りもしていただろう。
それでも、サクランボそのものに対して、化粧じみたことはしていないはずだ。
人間の手が触れないことによって生じる美というものが、自然にはある。
たくさんのサクランボを食べた。
どの木のサクランボが一番おいしいかなどと、皆で調べた。
驚いたことに、まったく同じ親から出来た木で、隣り合って生えていても、味はまったく違う。
同じ木でも、北と南の枝では味が違う気がした。
蜂が飛んでいる。
ああ、受粉に必要なんだろうなあ、と気が付き、農家の人に何匹ぐらい蜂を飼っているのか訊いてみた。
その蜂は業者から購入しているのだという。
一回買えばそれでよいというものではなく、毎年買わないといけないらしい。
一度に、三十万円とか四十万円とかいう金額が必要になるそうだ。
知人が車でドライブに連れて行ってくれた。
たくさんのサクランボ畑がある。
盗難が深刻化しているらしい。
窃盗犯たちは、熟れごろの畑に夜やって来る。
彼らは枝や木を折り取っていくのではない。
煌々と投光器で木々を照らしながら、きちんとサクランボを収穫していくのだ。
大量のサクランボを手際よく収穫していくらしい。
防犯カメラを設置しても、泥棒の姿を確認して家から畑に駆け付けるあいだに、賊は仕事を済ませて立ち去っている。
「孫よ」で有名な大泉逸郎さんのサクランボ畑も盗難の被害に遭ったそうだ。
ひどい話である。
「水車生そば」で板そばを食べてから、天童市を後にした。
(2012年8月9日執筆)




