とあるカフェ店員の運命の出会い
それは衝撃だった。
よく『一目惚れすると身体に電流が走る』と言うが、ビビビッどころじゃない。脳天から一気に雷に打たれたように、ズガーンッと電流が走った。まぁ、今まで雷に打たれた事なんてないのだけれど。
それはほんの偶然の出会い。ただの一店員と一お客様。お客様の彼女がたまたま店員の俺を呼んで、ただ注文を取りに行っただけ。それなのにーー。
俺は佐々木光輝、二十五歳。チェーン店のカフェの店員をしている。顔は中の上、身長は175センチ。どこにでもいる極々平凡な野郎だ。
その日は生憎の雨空で、お客様もそれ程多くなかった。かといって暇って訳でもなくて、適度に仕事がある感じ。朝のラッシュも過ぎ去って、今日も平凡な一日なんだろーな、って思いながら仕事をしていた時。
「すみませーん」
「はーい、只今参ります!」
俺は女性客に呼ばれ、伝票片手に呼ばれた先へと向かう。
「お待たせ致しましたーー」
そう言ってその女性客と目が合ったその時。
ズガーンッ
俺は雷に打たれたような衝撃に襲われ、一瞬固まった。
(なっ……なんだこの衝撃は!? いや、ていうか、この子……すっげぇ可愛い!!)
固まっていたのは一瞬だったが、それでもその女性客は怪訝な表情をした。その表情にハッと我に返った俺は、慌てて注文を伺う。
「ご、ご注文は何になさいますか?」
「ブレンドコーヒー、ホットで」
「かしこまりました。ブレンドコーヒーをホットでお一つでございますね。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「はい」
注文を終えた女性客はすぐに俯いてスマホを弄り始める。
(ああ……俯く姿も可愛い……。もう二度とこんな可愛い子には出会えないかもしれない……)
そう考えた俺は次の瞬間、居ても立っても居られずに思わず口を開いて。
「あのっ……」
「はい?」
「一目惚れしました! 俺と清く正しく美しく、お付き合いして下さい!」
その場が水を打ったように静まり返った。まぁ、いつも流れているジャズは相変わらず流れていたのだけれど。
「はぁー……俺の慌てん坊さんめ……」
「おいおい、慌てん坊さんなんて可愛い柄じゃねぇだろう?」
俺の独り言を聞いた先輩が肩を叩きながらそう言ってくる。
「しっかし、『清く正しく美しく』ってどんな付き合いだよ。清く正しくは分からなくもないが、美しくって……。ぷぷっ、しかもお前、速攻断られたしな」
「言わないで下さいよ……。ああもう、すげー恥ずかしい。その場に居合わせた常連さんの生暖かい目とか、俺これから仕事出来る気がしねぇっす……」
「まぁあんなに可愛い子なら一目惚れすんのも分かるけどなー、所詮高嶺の花だ、すっぱり諦めろや」
「うっ……はい……」
こうして先輩に慰めという名の『お前にゃ無理だ』宣告を受けた俺は、肩を落として帰るのだった。
次の日。
仕事が休みの俺は本屋に来ていた。
(えーと、『俺にまかせろ!』第三巻は……おっ、有った有った)
目当ての本が見つかり、手に取ろうとすると丁度誰かの手とぶつかった。
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ……って、え!?」
「え? あ!? き、昨日のーー」
「貴方っ、なんなんですか!? もしかしてストーカー!?」
「へ? い、いや、俺はただーー」
「変態! 最低! これだから男って嫌なのよ!」
「へ、変態!? ご、誤解ですお姉さん、俺はたまたま今日仕事が休みで、『俺にまかせろ!』第三巻を買いに来ただけで! 決してストーカーした訳じゃ無いですよ!」
「……証拠はあるの? 私がこの漫画を手に取ろうとしたのを見てわざと同じタイミングで手を出してきたんじゃないの?」
「違います! 俺はこの漫画のファンで……! あ、なんだったらあらすじも言えますよ! この『俺にまかせろ!』は炊事掃除がプロ並に上手い主人公がテクニックを披露しながら近所のおばちゃんから一人暮らしを始めるお坊ちゃままで色んな人を助けていくヒューマンストーリーでーー」
「分かった、分かったわ! ……疑ってごめんなさい、私、男性には嫌な思い出があって……。つい貴方の事もそういう奴らと同じだと思ってしまったの。本当にごめんなさい。お詫びに何か奢らせてちょうだい」
「えっ、いえ! そこまでしてもらう訳には……」
「良いの、貴方の事を貶すような事を言ってしまった自分が許せないの。だからお詫びに、お願いします!」
「あ……じゃあ、一つお願いが……」
「なに?」
「あなたのーー」
「鳴崎葉子さん、かぁーー」
『あなたのお名前を教えて下さいませんか?』
そうお願いした俺は鳴崎さんの名前をゲットして、変態として捕まる事もなく無事家に帰宅した。
帰宅した俺は手に入れた『俺にまかせろ!』第三巻を読む事もなく、ベッドに仰向けになりながら鳴崎さんの名前を呟く。
(まさか本屋で偶然会うなんて……。名前以外の事は何も聞けてないけど、この辺に住んでんのかなぁ。それか職場がこの辺とか……。何にしても、二度あることは三度ある。もしかしたらまた会えるかも!? もしまた会えたらそれは運命、だよなぁ)
「むふ……むふふふふふ……」
また会える事を期待して変な笑いをする俺は、現実はそうそう甘くない事を知るのだった。
「はぁ……」
(今日も会えなかった……)
あれからカフェではいつ鳴崎さんが来ても良いように入り口を常に気にするようになったし、休みの日はあの本屋に行ったりその近辺をぶらついたりしてるのに、会えない。全然会えない。本屋で会ったあの日から三ヶ月も経つのに、会えない。
「やっぱり運命なんて無いんだ……」
そうボヤきながら店の看板を『close』に変えようと外に出た時だった。
「あの……」
「はい?」
声を掛けられ、振り返ると。
「もう、閉店ですよ……ね?」
「あっ……あぁあ〜!」
俺の大声に肩をビクつかせた彼女ーー鳴崎さんは、驚いた表情で俺を見つめている。
「はっ! あっ、す、すみません! 閉店じゃないです、まだやってます、どうぞどうぞ!」
「あ、はい……ありがとうございます……」
俺はドアを開けて鳴崎さんを招き入れると、看板を『close』に変えた。
「こちらのお席にどうぞ。では、ご注文が決まりましたらお呼びください」
「はい、ありがとうございます」
鳴崎さんに会えた嬉しさで頬が緩むのを必死に抑えながらキッチンの方に向かうと、先輩がちょいちょいと手招きしてきた。
そして声を出来る限り小さく出し、話しかけてくる。
「おい、もうcloseの時間だろう? 何お客様入れてんだよ」
「すみません、なるさ……ああ、ええと、前に俺がここで告った子だったんでつい……」
「あ? マジかよ。あの子か。お前まだ諦めてなかったのか? 仕方ねぇな、今回だけだからな」
「ありがとうございます、先輩!」
先輩に笑顔で返事をすると、鳴崎さんからすみませんと呼びかけられた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「カルボナーラとブレンドコーヒー、ホットでお願いします」
「かしこまりました。カルボナーラお一つ、ブレンドコーヒーをホットでお一つでございますね。コーヒーはいつ頃お持ち致しましょうか?」
「食後でお願いします」
「かしこまりました。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「注文は以上なんですけど……。あの……」
「はい?」
「あ、貴方のお名前を……教えて頂いても、良いですか?」
「へ?」
なんとも間抜けな声が出た。俺は想像の範疇を超えた彼女の言葉に頭がフリーズする。
「な、名前……? お、俺の、ですか?」
「はい……。ダメ、ですか?」
「あ、ええ、い、いや、駄目じゃないです! 全然! お、俺の名前は佐々木光輝です!」
「佐々木光輝さん……。ありがとうございます。もう行っても大丈夫ですよ」
「あっ、はい!」
俺はぎこちない動きでキッチンまで行くと、注文が入ったメニューを読み上げて伝票を棚に貼り付ける。
(な、ななななんでいきなり俺の名前を……。この三ヶ月すれ違ってもいないのに、一体どういう心境の変化だ!?)
俺は料理を運ぶ時もコーヒーを運ぶ時も緊張しながら鳴崎さんの元へ行ったが、その後話しかけられる事は無く、彼女は普通に食事を済ませ会計も済ませて帰ってしまった。
彼女が帰った後、抜け殻のようになっている俺に先輩が何かを言っていた気もするが、何と返答したのかさえ覚えていないままその日は帰宅した。
信じられないことに、彼女は次の日もそのまた次の日も、それから一カ月間俺が出勤してる時を狙ってるかのように来て、しかも俺が鳴崎さんばっかりチラチラ見てるせいか知らないが俺にオーダーを頼んで来た。
今日もいつものように来店し、いつものように俺がオーダーを受けて俺が頼まれた物を運んだ。
「お待たせしました、ブレンドコーヒーになります」
「ありがとうございます。あの……佐々木さん」
「はい?」
「今日この後……お時間ありませんか?」
「えっ……。じゅ、十九時に仕事が終わった後は特に予定はないですけど……」
「じゃあ……此処じゃなんですから、近くのファミレスで夕飯でも……」
「あっ、はい! じゃあ仕事終わったら〇〇キッチンに行きますので……」
「では、お待ちしています」
「はい」
こうして約束を取り付けた俺達は、十九時過ぎにファミレスで落ち合うことになった。
約束の後は緊張で手が震え、何度も水を落としそうになったがなんとか終業まで耐え、鳴崎さんの待つファミレスへと向かった。
「いらっしゃいませー、一名様ですか?」
「あ、待ち合わせをしてて……」
キョロキョロと店内を見回すと、窓際のテーブル席に座っている鳴崎さんを見つけた。
「あ、あそこです。すみません、ありがとうございます」
急いでコケる事のないよう気をつけて進むと、鳴崎さんがこっちに気付いた。
「あ、来てくださってありがとうございます、佐々木さん」
「い、いえ、こちらこそ……。す、座っても良いですか?」
「はい、どうぞ」
俺は鳴崎さんの向かいに座ると、まともに顔を見れずにメニューに手を伸ばす。
「お、俺、お腹減っちゃいました……ははっ、何にしようかな〜」
「ふふっ、お仕事お疲れ様でした」
(わ、笑った!?)
思わず顔を前に向けると、微笑みながら俺を見る鳴崎さんの姿が。
(ううう、うわぁぁあ〜!)
俺は顔に熱がどんどん上がっていくのを感じて顔を伏せた。おそらく今の俺の顔は真っ赤になっている事だろう。
「佐々木さん、今日は貴方とお話したい事があって……」
「お、お話!? な、なんでしょう?」
「お腹、空いてるんでしょう? まずは何か頼みましょう」
「あっ、そ、そうですね。じゃあ俺は和風ハンバーグにしようかな」
「私はグラタンにします」
それから店員を呼んで料理を注文し、料理到着迄の間に自己紹介をする。
「では改めて、私は鳴崎葉子。ここから二駅先のショッピングモールの雑貨店で店員をしています。年齢は二十四歳です」
「あ、俺は佐々木光輝。知っての通り『カフェ・カリド』の店員で……二十五歳です」
「あっ、私より年上だったんですね。その節は大変失礼な事を言って申し訳ございませんでした」
「いえっ、俺こそ初対面でいきなり変な告白したりしてごめんなさい! そんな男ですし、ストーカーに間違えるのも無理ないですよ」
「いえ、初対面で告白されたのは初めてではなかったので……。ただ、今までの男性は皆執拗に口説いてきたり、彼女がいるにも関わらず私に告白してきたりする人ばかりだったので、つい警戒しちゃって……」
「そうなんですか。そいつらをシュレッダーにかけて微塵切りにしてやりたいですね」
「あははっ、本当にそうですね……。あ、私より年上なんですし、タメ口でいいですよ?」
「えっ。じゃあ……タメ口で。あ、鳴崎さんもタメ口でいいよ。一歳しか違わないんだし」
「そうですか? それじゃあ……遠慮なく」
「どうぞどうぞ」
「佐々木さんは『カフェ・カリド』で働き始めて何年になるの?」
「正社員としては大学出てからだから、三年目かな」
「どうしてカフェで働きたいって思ったの?」
「あー、そんな立派な理由じゃないんだけど……。大学時代にバイトしてたのが『カフェ・カリド』で、そこで出会った先輩にすげぇ良くして貰って……それに、お客様から笑顔でご馳走様、とかありがとう、とか言われるのが単純に嬉しかったから、かなぁ。気付いたらあそこがすげぇ心地いい場所になってて、毎日大変だけど楽しいんだ。だからあそこで働くことに決めた」
「そっかぁ、じゃあ『カフェ・カリド』でバイトしたのは運命だったんだね」
「運命? ……うん、そうかもな。俺にとってあそこで働くことは運命だったのかもしれない。おかげで鳴崎さんにも出会えたし」
「あははっ、出会えて良かった?」
「うん、すげぇ良かった。毎日がキラキラ輝いて見えて、無駄にソワソワして、鳴崎さんから名前を聞かれた時なんかドキドキが止まらなくて、ああ、恋ってこんなに楽しいんだってーー」
そこで俺ははたと気付いた。これじゃあまたしても告白してるも同然じゃないか!
「あっ、えっと、やっぱ今の無しーー」
「お待たせ致しました〜、和風ハンバーグとグラタンになります」
俺の言葉を遮るように、店員が料理を持ってきた。
「以上でよろしかったでしょうか?」
「あっ、はい。ありがとうございます」
「それではごゆっくりどうぞ」
店員が去った後、俺は沈黙する。怖くて鳴崎さんの顔が見れない。
「……食べましょっか、佐々木さん」
「あっ、うん」
俺はスルーされて嬉しいんだか悲しいんだか、複雑な心境のまま和風ハンバーグを口に運んだ。
料理を粗方食べ終わった後、鳴崎さんがやっと本題を切り出し始めた。
「それで、今日のお話なんだけど……」
「あっ、うん。何?」
「その……。『俺にまかせろ!』について語り合いたくて……」
「へっ?」
「実は、私の周りでは『俺にまかせろ!』を読んでる人が居なくて……。本屋さんで佐々木さんが読んでるのを知ってから、あの本について語り合える相手かもしれないと思ったら我慢出来なくて……。最初は、告白してきた相手だし、失礼な事言っちゃったし、佐々木さんと語り合うなんて無理! って思ってたんだけど。でもどうしてもあの本の感動を誰かと分かち合いたくて! 今日お誘いしちゃったんです!」
「お、おう……なるほど。確かにあの本は俺の周りにも読んでる人は居なくて、あの感動を誰かと分かち合いたいって思ってたけど……。お、俺で良いの? 俺、そのー……。す、好きなんだよ? 鳴崎さんの事……」
「そ、それでも良いの。私……この一カ月佐々木さんの仕事ぶりを見て、どんな相手にも優しく丁寧に対応する姿に尊敬の念を抱いたの。それで……貴方に、と、ときめいて……」
「と、ときめいて……? そ、それって、す、好き……だったり……あはは、そんな訳ないかぁ〜」
「……きかもしれない」
「え?」
「すっ、好きかもしれないの! 佐々木さんの事が!」
「えっ。えぇぇえ!? お、俺を!? えっ、だって俺だよ!? 平々凡々な俺だよ!? 鳴崎さん……か、からかってるならーー」
そこで俺は気付いた。鳴崎さんの顔が茹で蛸のように赤くなっている事にーー。
俺の脳みそはあまりのキャパオーバーに完全にショートした。
「さ、佐々木さん……? 佐々木さん? 佐々木さん!?」
ガクガクと鳴崎さんから肩を揺さぶられ、やっと俺の思考は回り始めた。
俺は……告白……されたのか? 誰に? 鳴崎さんに。いつ? 今。俺は……俺はーー
「……っ! 鳴崎さん!」
「はっ、はい!」
「おおお、俺と、清く正しく美しくお付き合いして頂けませんか!」
「はっ、はい! 宜しくお願いします!」
「あああ、また変な告白しちゃったやっぱり駄目だよねこんな俺なんてーー。……え? 宜しくお願いします?」
「は、はい、あ、うん。お願い……します……」
「…………」
俺は目頭が熱くなるのを感じた。涙が出そうになるのを堪え、鳴崎さんを見つめる。
「よ゛、よ゛ろ゛じぐお願いじます……」
完璧に鼻声な俺の言葉を聞いて、鳴崎さんは満面の笑みで頷いた。
それから数ヶ月後。
「ーーだからね、ニキビ肌はタオルの毛羽とかゴミが原因になることもあるから、キッチンペーパーで優しく抑えて水気を拭くと良いらしいよって教えたの。使い捨てだからいつも清潔な物で拭けるしねって。友達もさっそくやってみる! って喜んでて……。効果が出るかは暫く経たないと分からないけど、『俺にまかせろ!』のテクニックを披露出来て興奮しちゃった」
「あー、それは興奮するな。でもまさか炊事掃除がプロ並に上手いだけだと思ってた主人公がまさか美容テクニックまで披露するとは思わなかったよな。俺も十代の頃はニキビに悩んでたから、もっと早く知りたかったなぁ〜」
「ふふっ、そうよね。でもこれからはどんどん美容テクニックも披露して、私の友達にも『俺にまかせろ!』を読んで欲しいわ」
「そうだなぁ。読者が増えるのは嬉しいからな。でも、もしお友達が『俺にまかせろ!』を読み始めたとしても、俺を捨てないでくれよ?」
「捨てないよ! 私……光輝君に出会って人生が変わったの。男なんてみんな下心がある生き物だと思ってたけど、光輝君みたいに何の見返りも求めずにただ優しくできる人も居るんだって知って……。私も光輝君を見習って、人から尊敬される人になりたいって思ってる」
「そ、そんな褒められても、コンビニ限定スイーツしか出ないんだからな!」
「あははっ、楽しみ〜」
俺は、内心思っていた。
俺こそ人生が変わった。あの日、あの雨の日、葉子に出会って雷に打たれて、そこから俺の人生は劇的に変化した。
恋って凄い。恋って楽しい。
運命なんてものがあるのなら、俺は運命の神様に感謝しよう。
葉子と出会わせてくれてありがとう。