#01
「…ったく、素直じゃないんだから」と溜まっていた洗濯物を洗濯機に放りこみながら、小さく笑った。
母が、父の定年した翌日に離婚を切り出したのには、夫もひとり息子の猛も驚いたが、一番驚いているのは、父だっただろう。
結婚して、今年で三十年。真珠婚式だったはずだ。
辰則と香織の娘・美奈代には、幼い頃父親と遊んだ記憶なんて片手もなかった。どこか行くにしても、母しかいなかった。
『友達は、休みの度にお父さんと遊びに出かけたりするのに、どうしてうちはいつもお母さんだけなのっ?!』と幼かった頃、父親がいるのに遊べない寂しさを母にぶつけたことがあった。
その時の母の困ったような、寂しそうな顔は今でも覚えている。
だからこそ、自分の子供には寂しい思いをさせたくなく、同じ職場で
事務職をしていた彼に求婚された時は、父ではなく母に真っ先に報告した程だった。
仕事、仕事、仕事…人間の父。そんな父が、長年付き添った母に離婚話を切り出され、あまりの母の強気な態度に思わず「はい」と署名捺印し、翌日区役所で受理された…らしい。
「はい、お父さん。邪魔よ邪魔!」洗濯物を干し終え、今度は居間や他の部屋の掃除。それが終わったら、トイレやバスルームの掃除。のんびりとしている暇はない。
「あぁ。すまん」掃除機の先で父を追いやると、何故かその場で立ったまま固まる。
小さくため息をつきながらも、″今頃母は何をしているんだろう?″と考えた。
「ほら、退いて退いて…。これ持ってて!」とそこらに散らばっていた雑誌数冊を父に持たせると、またしてもそのまま固まっている。
「ちょっと、お父さん! そんなとこ突っ立て内で片付ける!」と言っても、首をかしげるだけで動こうとしない。
「どこに?」
「……。」全てを妻任せにした仕事人間男は、片付けも掃除9のしかたも忘れてしまったらしい。
(これじゃ先が思いやられるな…)
父から雑誌を奪い取り、
「雑誌はここっ!」とテレビ横のマガジンラックを指さし、父をみた。
「う…。な、なんかアレだね。お前、母さんみたいだ」
垂れた眉を更に下げながら、言う父に嫌味のひとつでも言いたくなるが、押さえておこう。
「お父さん、スーパーの場所位…」と父の顔を見て、聞いた事を後悔した。冷蔵庫の中は、賞味期限が切れた食品が多く、事前に用意してあったおかず類も手つかずのまま、腐っていた。
(お母さん、お父さんの鉱物ばっかり作っておいたみたい…)
「これ持って!」と母さんがいつも使っているエコバッグを父に放り投げ、お上りさんを案内するが如く、近所のスーパーまで道を教えた。
「俺、ひとりだよな?」と呆れ顔で私を見てはいるが、笑ってはいる。
が!!
「いい?一応、今週分のおかずを作って冷凍しておくから、ちゃんとレンチンして食べてよ? わかった?」と、エコバッグに買った食材を入れながら、何度も念を押す。
「うん。それ位は出来るから」そう返してはいたが…
(じゃ、なんで冷蔵庫に入っているのを腐らせたの?)
言い返したくもなる。
家に帰り、父さんにお茶を渡しながら、急いで料理を作っては、冷まし冷凍庫に詰め込んでいく。
(ちゃんと、自分達の物も作ったけどね)
「ふうっ。なんとか、いいかな? お父さん?」テレビの音がするから、見ているのかと思えば…
「呑気な顔…」ソファーの上で、待ちくたびれて眠っていた。
「お父さん!」身体を揺さぶりながら、揺り起こす。
「母さん…」寝言だろうか…。
(離婚してから、急に白髪が増えたのかな? 前は、年齢の割には黒かったのに…)
「ほら、お父さん。ご飯できたよ!」の声で、目を開け、
「なんだ、お前か…。目を開けて損した」ノソノソと起き上り、周りをキョロキョロし出すも、何かを思い出したのか、小さくため息をついていた。
「いい? 冷凍庫の中に、父さんの好きなおかず入ってるから」
「うん」父さんが、食べ始めるのを見て、何度も同じようなことを言い、私は夫と息子が待つ家へと向かった。