#9 だがそれはトラップボックスである。
屋敷の中は俺が思っていたよりも清潔に保たれている。だって、モンスターが暮らす屋敷だぞ? 普通なら天井に蜘蛛の巣は張っていたり、そこらに骸骨が転がってたり、そういうのを想像するだろ。だが、この屋敷内にはそういった『恐怖演出』のようなものはなく、人間味のある『貴族の屋敷』に近い。近い──という表現になるのは、やはり魔族だからだろうか、鎧が動いたり、絵画が喋りかけてきたり、ここはどこぞの魔法学校かと言いたくなる事象がしばしば……。さっきなんて、廊下の突き当たりにあった宝箱をあけようとしたら、宝箱に……
『あ、開けないでください……っ』
──と、怒られてしまった。
あれはきっとトラップボックスなんだろうけど、妙に萌え声だった。見た目と声が一致しないとここまで萌えないものかと、なかなか感慨深いが、驚いたことには変わりない。あまりこの屋敷にある物……特に、廊下に配置してある物品の数々に触れないほうがよさそうだ。
一通り屋敷の中の探索を終えた俺は、特にやることもなくなり、ミゲイルさんを探すことにした。いつまでもここにいられない──人間界では保守派と過激派が一触即発なのだ。俺がどうこうできる問題ではないが、一応、魔力結晶集めの依頼も残っている──が、モンスターと話ができるようになり、それが板についてきた俺には、以前のようにモンスターと戦えるのか疑問でもある。だって、話が通じる相手の背後から斬りかかるなんてできないだろ? まあ、俺は魔族……モンスター達の肩をもつつもりはないが、それでも平和的に解決できるのならそれに越したことはない。
「はぁ……どうすりゃいいんだよ……」
どでかい溜め息をエントランスに置いてある大きな掛け時計の前で吐き出すと、背後から誰かが声をかけてきた。
「そこの人間」
振り返ると、この屋敷を守護しているリザードマンが声をかけてきた。
(赤い皮膚……レッドリザードマンか。……気まずいな)
以前、レッドリザードマンを倒し、しかもそのリザードマンの剣を、どんな理由にせよ奪ってしまっている。
「貴殿が持ってる剣について、聞きたいことがあるんだ」
「あ、ああ……なんだろうか?」
「貴殿が腰に下げてるその剣……見た目こそ綺麗になっているが、俺達と同じオーラを発している。もしかしてその剣は俺達が使っている剣では?」
どう答えるべきか──ここで回答を間違えれば、戦闘になること必至……。でも、俺が初めて戦った相手だし、立派な戦士だった。それを嘘偽りで塗りたくりたくない。罵倒されようが、やはり本当のことを言うべきだよな。
俺は事の顛末を目の前にいるレッドリザードマンに詳しく話した。
「──と、言うわけで、俺はそいつの剣を大切に使ってるんだ。お前達からすれば気持ちのいい話じゃないよな」
しかし、レッドリザードマンは首を振った。
「戦士としての誇りを最後まで持ち戦った同胞を、そこまで買ってくれてありがとう。俺達は戦う以外の術を知らない。戦場に出れば先陣を切って突撃する。それに、こんな見た目だ。誰も【竜】とは認めない。しかし人間、どうやらお前は違ったようだ。その戦った同胞も、最後にその言葉を聞けて、戦士の誇りを胸に死ねただろう。……感謝する」
深々とお辞儀をするレッドリザードマン。
こんなことをされたら、これからどんな顔してモンスターと戦えってんだ……。
「……して、人間。確か魔王様の婚約相手と聞いたが、本当なのか?」
「レオでいいよ……その件に関して、言明は控えさせてくれ……で、それがどうかしたのか?」
「そうか、自己紹介をしていなかったな。俺はこの屋敷のガードをしているガリフという。気軽にガリフと呼んでくれ」
「わかった──それで、ガリフ。俺になにか?」
ガリフは一度周囲を見て、誰もいないことを確認してから口を開いた。
「レオ……貴殿のように、我らの言葉を理解して、なおかつ、意思疎通が可能な人間はこれまでいなかった。……今ではミゲイル殿もいるが……戦うことを躊躇っているのではないかと思ってな」
「そ、それは……」
鋭いところを突いてくるやつだな……。
「戦場では言葉が通じたとしても、戦わなければ生き残れない。それは人間の戦も同じだろう。だから迷う必要はない。それに、俺達全ての魔族が魔王様に従っているわけでもないんだ」
「……まさか、こっちにも派閥のようなものがあるのか? 例えば〝旧・魔王派〟とか……」
「……察しがいいな」
ガリフは感心したように呟く。
「貴殿の言う通り、この魔界は〝新・魔王派〟と〝旧・魔王派〟に分断されている。俺達リザードマン族もそうだ。全てのリザードマンが魔王様……ルネアリス様に従っているわけじゃない。だから、戦闘になったら迷うな、戦え」
「ガリフ……情報をありがとう。それを聞いて、少し悩みが解決したよ」
「もし、他になにかあったら俺に聞いてくれ。もっとも、今はミゲイル殿のほうが情報を得ていると思うが、レオ、貴殿は人間の中でも敬意を称するに値する。できる限り協力しよう……友として」
まさか、ここにきて魔族の友人ができるなんてな。俺が住んでいた世界で孤立していたのが嘘みたいだ。それに、ガリフからは信頼もされている。人生って、本当になにが起きるのかわかったもんじゃない。
「そこにいるのはレオ君……と、ガリフじゃないか。ガリフ、君が屋敷の中にいるのは珍しいね。たまには休んでいいんだよ?」
「ミゲイル殿、俺はこの屋敷のガードだ。休むことは許されていない。中に入ったのはレオに用事があったからでな……職務に戻ろう。……俺のことを言う前に、ミゲイル殿も働き詰めではないか。いくら〝ハーフド〟となったからといっても、無理はよくないぞ?」
「肝に命じておくよ。ありがとう、ガリフ」
この屋敷にきてから、カルチャーショックの連続だ。
こんなに人間と魔族がフレンドリーな関係を築いているなんて、俺が知り得るゲームでもなかなかない。【亜人種】として捉えるなら話は別だが、彼らは【敵】として存在している。そんな相手と人間が言葉を酌み交わし、互いに労うなんて……。
「驚いたかい?」
俺が目を丸くしているの見て、ミゲイルさんは微笑を交えながら話す。
「これが魔王、ルネアリス様が夢見る世界の一片さ。とてもじゃないが、僕にはその夢を叶えるのは不可能に思えるけど、実現しているこの場所を思うと、それも不可能じゃないのかもしれないね……でも、やはり反発する勢力は出てくる。全人類、全魔族を統一するということは、即ち【覇王となる】ということだ。レオ君、君はどうしたい? ……どうなりたい?」
「お、俺は……」
初めて選択を迫られている気がする──。
これまで俺は、誰かに従って過ごしていた。自分で選んで物語を進めていなかったが、ここにきて、初めて【分岐】を提示された気がする。
俺は、どうするべきなのか──。
理想を追い求めるのなら、このままルネに着いて、人間達と交渉を続けることになるが、人類の敵と認識されるだろう。しかし、人間側に着いて、魔族と交渉することを選べば、俺は物語で【勇者】という位置付けをされて、魔族と敵対すること必至──。
選択肢を選ぶって、こんなに苦しいものだったのか──。
「今の君には少し意地悪な質問だったかもしれないな。でも、この選択は君が進む道に、確実に立ち塞がるだろう。……よく考えておいたほうがいい」
「……ミゲイルさんは、どちら側に着くつもりなんだ?」
「それこそ愚問だよ。僕はもう魔王様、ルネアリス様の所有物さ。君の選択次第で、僕は君と再び戦う可能性もあるし、このまま友好的関係を続けられるかもしれない。レオ君がどういう選択をしようと、僕は君の選択を尊重するつもりだ。でも、できるなら良き友人として、これからも付き合っていきたいね」
ミゲイルさんは、ルネに蘇生された際に【半魔族】になった。そして、ルネに忠誠を誓って、今は執事としてこの屋敷で働いている。
正直なところ、羨ましいと思った……。
やることが明確になっているのなら、その答えに向かって突き進めばいい。でも、俺は違う。俺が立っている現状は、とても不安定だ。フワフワと浮きだって、少しでも足を踏み外せば真っ逆様に転落してしまうような足場。攻略サイトもない、まぎれもない現実。
「俺がどうするかは、俺が決めなきゃいけない……」
「そうだね。選ばないという選択肢は残念ながらない……それが君の立場だから」
「ありがとうミゲイル、参考にする」
「殺された相手から感謝されるって、なんか複雑な気分になるよ……ははっ、冗談だからそんな顔しないでくれ……あ、そうだ。そろそろ食事にするから、部屋に戻ってくれるかな?」
「そうさせてもらうか……そういえばずっとなにも食べてないから空腹だ」
ミゲイルに人間界へ戻る方法を聞こうと思っていたけど、それは食事を済ませてからでもいいかな。
ゲテモノが出てきたらどうしよう……。
── ── ──
出された食事はこの世界にきて、一番豪華だった。
ステーキだぞ、素敵。
ゲテモノが出てくるかもしれないと、少しでもビビっていた数時間前の俺を助走つけて殴りたい。そうか、これが『ガンジーさえ助走をつけて殴るレベル』という言葉の意味か。
窓の外は相変わらず紅に染まっている。この世界にいると、時間の概念があやふやになりそうだ。今は一体何時なんだろうか? この部屋に時計はないので、一階のエントランスまで行かなければ時間を確認できない。そもそも、人間界と魔界の時間が同じとは限らないので、あまり当てになりそうもないが……。
もう冷めてしまったスリなんちゃら──そうだ、思い出した。この世界の紅茶の名前は【スリータ】という名前だった。喉につっかえていた骨が取れたようにスッキリしたが、今、それを思い出したところでなんの意味もない。それをポットからカップに注ぎ、喉を潤す。別に喉が乾いていたわけじゃないが、なにもしないでいるのは手持ち無沙汰で、とりあえず目についたスリータを飲んでみただけ。
今、人間界はどうなっているのだろう──。
ラッテは元気かな、ダリルは相変わらずやる気を感じない言動をしながら周りを監視しているのだろうか。招き猫のみんなにも会いたい。特に、モラ。結局、モラはいくつなのかまだわからず終いなので、戻ったらそれとなく聞いてみよう。親方はどうしているだろうか? 俺が思うに、親方はラッテのことが好きだ。
ごめんな、親方。その恋は実りそうもないぜ──。
そういえば、あの失礼過ぎる服屋の店員……名前はなんだったか……確かトーラとかいう名前だったか。あいつはどんな処分を受けたのだろうか……なんだ、案外俺はこの世界を気に入ってんじゃねぇか。元の世界に戻る必要なんてあるのか? 人間と魔族の戦争を回避して、その確執を埋める──やることはハードだけど、やり甲斐は充分だ。非・生産的な暮らしをしていた今までの生活よりも、この世界での暮らしのほうが何倍も楽しい……その代わりに危険度は跳ね上がるけど。
「どっちがいいんだろうなぁ……」
不意に漏れた心の本音は、溜め息となって吐き出された。
この世界では、俺のチート過ぎるステータスも役に立たない。そりゃ、俺には実戦経験なんてものはないし、剣に触ったのも最近だ。そんなやつが戦場にポッと出されて無双する……なんて、夢物語もいいところだ。でも、ちょっと憧れてたんだけどな──、一撃で強敵を倒して『あれ? 俺、またなにかやっちゃいました?』って、素っ頓狂に構えるの。やはりファンタジーはファンタジーであり、現実とは程遠いんだと、最近痛感する。
この世界はゲームの世界でありながら、ゲームの世界とは異なる現実の世界。これを飲み込むのに時間がかかったが、ようやくそれも飲み込むことができた。あとはもう、ひたすら自分を鍛えるしかない。嫌なくらい現実味がある異世界なこって。
そうだ、そろそろミゲイルさんに話を聞きに行こう。夕飯の配膳もある程度落ち着いただろうし、ミゲイルさん本人も食事を終えているはずだ。
「いつまでもここで、ダラダラ過ごしてらんねぇしな」
ミゲイルさんの部屋って、どこにあるんだ──?
── ── ──
部屋から出たものの、ミゲイルさんの部屋がそこにあるかわからないので、そこら辺にいる魔族に聞いてみるのが一番手っ取り早いだろう。俺は、この近くにいる萌え声の【トラップボックス】の元へ向かった。
廊下の突き当たりに、まごうことなき宝箱がある。普通の冒険者ならその立派な細工が施されている宝箱を見て、『もしかしたらレアアイテムが入ってるかもしれない』と、心を踊らせるだろう。しかし残念、あれはモンスターである。トラップボックスは【アンデット族】に分類されているが、このモンスターには厄介なことに聖属性攻撃が効かない。おい、お前はアンデットだろ──と、ツッコミたくなるが、それは運営に抗議して欲しい。
そんな吃驚箱であるトラップボックスの前に立ち、蓋を軽くノックした。
『はい……あ、さっきの人間さん。……もしかして、やっぱり私を開けようとするんですか……?』
目を閉じて、この声だけに耳を傾ければ、瞼の裏側にオドオドしながら困惑の表情を浮かべる少女が──しかし、トラップボックスである。
「さっきは悪かったよ。改めて自己紹介させてくれ。俺はレオ、人間の剣士だ」
ソードマスターって名乗りたかったけど、今の実力ではそう名乗ることは自分の実力を慮ると、名乗れそうにない。
『私はフィレと申します……その、よろしくお願いします……?』
「よろしく、フィレ。あのさ、ミゲイルさんの部屋を探してるんだけど、どこにあるのかな?」
『……』
あ、あれ……? 黙り込んでしまったぞ……?
俺、なにか変なことを聞いたか……?
『私にその質問をするのは、意地悪ですよぅ……。私はここから動けないので、ミゲイルさんがどの部屋にいるのか分かりません……うぅ……』
そうか、彼女? はトラップボックス……つまり、足がないから動けないのか!!
「わ、悪い……。ガリフにでも訊ねるよ。悪気はなかったんだ……本当にすまん!!」
『……じゃあ、お詫びとして、ひとつお願いをしてもいいですか……?』
「お詫び……か。ああ、いいよ。なにをすればいいんだ?」
『それはですね……?』
誰か、この状況を説明してくれまいか……?
確かに俺は『詫びをする』と言ったが、どうしてトラップボックスを抱えながら、屋敷を歩かなくちゃいけないんだ……。しかも……そこそこに重いんだけど!?
『我儘言ってごめんなさい……重いですよね……?』
「こ、これくらいだいじょうぶだぜ、あはは……」
『ありがとうございます……。私、トラップボックスなので、自由に歩き回ることができなくて……以前は魔王様が散歩に連れて行ってくれたりしたんですけど、最近は忙しいようで……』
なるほど……。確かに同じところでじっとしているのは退屈だよな。ここがダンジョンならまだしも、襲われる心配もない魔王の屋敷だ。開けようとする者を襲うトラップボックスにすれば、かなり退屈かもしれない。だけど、フィレをダンジョンに移したところで、冒険者に勝てるのか──と考えると、それもまた微妙なところであり、ルネはきっと保護目的で屋敷に移したんだろう。
こうやってトラップボックスを抱えていると、普通の宝箱との違いがわかった。それは、トラップボックスというのは、箱そのものが体であり、体温を微かに感じるということ。それに、なんだか甘い、いい匂いがする……あれ? よく見ればこのトラップボックスは可愛いのかもしれない……。
『あ、あの……言い忘れていましたが、私には、人間が近づくと【魅了】が勝手に発動しちゃうんですが、レオさん……大丈夫ですか……?』
それを早く言ってくれませんかねぇ!?
普通に魅了されちゃってましたけどなにか!?
「あ、ああ……大丈夫……じゃないかも」
『ごめんなさい!! やっぱりここで下ろしてください!!』
いや、そういうわけにもいかないだろ……。
だってここ、階段だぜ?
こんなところで下ろしたら綺麗な体に傷がついてしまう……って、うおぉぉぉっ!? 魅了って恐ろしいなおい!?
「こ、この際致し方ないだろ……これもお詫びの一環と受けとめればいいんだろ?」
『え……? あ、あの……はい。ありがとうがざいます……レオさん』
この箱、めっちゃ可愛いじゃねぇかこのやろう──ッ!!
「……レオ。どうしてフィレをそんなに大事そうに抱えているのだ?」
この屋敷の警護、ガードを務めているガレフがいるのは、一階のエントランスにある玄関の外。そこまでフィレを抱えて歩いた結果、ガレフに変な目で見られてしまった。
『久しぶりです、ガレフさん』
「ああ、久しいな。俺は普段屋敷の中には入らないから、もう何ヶ月振りか……?」
「どうして中に入らないんだ? 屋敷内の警備もガレフの役目じゃないのか?」
「……屋敷内をよく見てくれ。……警備が必要だと思うか?」
ああ……絶対に必要なさそうだな……。
ガレフが言いたかったのは、屋敷の中にもモンスターが所々に存在しているので、そもそも警備が必要ないということだろう。
「して、俺になにか用があって来たんだろ?」
「あ、そうだ。ミゲイルさんの部屋ってどこにあるんだ?」
「ミゲイル殿は、一階にある書斎の隣の部屋に滞在しているが、ミゲイル殿に用事か?」
ガレフは小首を傾げながら、尻尾を一度揺らした。
「いつまでもここにはいられないからな。俺は……俺しかできないことを探しに、人間界へ戻ろうと思う」
「そういうことか。ならば急いだほうがいいぞ?」
「え……? どうして急ぐ必要があるんだ?」
俺の問いに、フィレとガルフの声が重なった。
『そろそろ(お)風呂の時間だ(から)』