#8 これを衝撃的と言わずにはいられない
俺の人生は谷ばかりだ──。
そう言って悲観していたら、なにもかも俺の掌から零れ落ちて、最終的に残ったものは、甘えと、努力を怠った自分への失望感。
嫌なことから逃げて、なにがいけないんだろう。
大人になることが【我慢すること】だとするなら、俺は子供のままでいいと思った。
無理に背伸びして、大人ぶってみても、それは大人の皮を被った子供。
子供は子供にして大人にならず──。
いや、それも俺が【現実逃避】しているだけの言い訳かもしれない。
異世界にいけたら──と、思ったことが誰でもあると思う。
それは、子供だけじゃない。
いい歳した大人だって、酷い現実から解放されて、陰気なチーレム生活を送りたいと思うだろう、それが【漫画】や【アニメ】や【小説、ラノベ】や【ゲーム】の主人公に自分を投影して、可能な限りの【異世界ライフ】を各々が形成している。
俺は以前、どうして異世界にいく主人公達が【死んで】異世界へ渡るのかを考えたことがある。
【死】という、あまりに身近にあって遠いものに対しての、一種の興味だろうか。それとも、単純にテンプレだからだろうか? 実は、トラックには異世界にいくための装置が搭載されていて、運ちゃんのその後の人生と引き換えに……なんて、こんなくだらないことを丸一日考えて、結局、異世界にいく理由なんて【行きたいから】という、なんとも率直過ぎる答えに行き着いた。
多分、俺もそうだったんだろう──。
うんざりするくらい同じ時間を繰り返して生きるのは、死んでいるのも当然。
人生に刺激が欲しい。
それも、自分の人生が変わるような刺激が──そうして気づけば。俺はロード・トゥ・イスタの世界に飛ばされたのだ。
でも、これが俺の望んだ異世界ライフだったんだろうか──?
痛い、苦しい、辛い……。これでは、元いた俺の世界と変わらない。むしろ、自分の行動ひとつで【死】に直結するなんて、ハードモードもいいところだ。ただ──人並みに充実感はあったかもしれない。
誰かに期待されることなんて、今までなかったから、浮かれていたのかもしれない。
分相応という言葉すら忘れて、期待されていると有頂天気分に浸り、結果がこれだ。
とてもじゃないが、ダサいにもほどがある──。
『それでもあなたは、仲間を守ろうと必死に戦ったのでしょう?』
誰だろうか──?
とても優しい声で、俺を慰めるように、その言葉を俺の心を揺さぶる。
(だけど、俺は弱過ぎた……だから、俺は死んだんだ……)
そう。俺は死んだ。
その事実は変わらない──。
『大丈夫。私が傍にいるから……』
こんなに優しい声の女性が傍にいてくれるのなら、死というものは俺が考えていたものよりも、いいものなのかもしれない。
(君は一体、誰なんだ……? 女神……?)
『そうね……。私は〝それ〟とは正反対の存在かもしれない──
あなたを殺したのは、私なのだから』
── ── ──
「……ッ!?」
てっきり死んだかと思ったが、どうやら一命は取り止めたらしい。
痛みはなく、至って健康体だ。
(ここはどこだ……?)
どうやらどこかの屋敷のようだが、この部屋には俺しかいない。
ベッドの横に大きな窓がある。窓の外は、やはり、見慣れない風景。
黄昏時のような、紅に染まった空。
ゴツゴツとした岩肌を剥き出しにしている山々が遠くに見える。
手前には湖だろうか……それにしては、湖の色がおかしい。
空の色を反射しているだけかもしれないが、薄い赤が混じるような色をしている。
(こんなマップ、イスタの世界にはなかった……もう、知らないことだらけで嫌になるな……)
夢の中で俺に語りかけていた女性……あれは、俺を殺したと言っていたが、もしかして魔王だったのあろうか。そういえばアーマンが【魔王が世代交代した】みたいなことを言っていたっけ。現・魔王は女性なのか……。
(……女性?)
そうだ。確かレイティアは【魔王と番になれば元の世界へ帰れる】と言っていたが、レイティアは現・魔王が女性だとしっていたのだろうか? まあ、あれでも一国の姫君だ。見た目こそ俺の妹【秋原 音瑠】そっくりな貧に……控え目な体型だが、姫なら現・魔王が女性だってことを知っていいてもおかしくはない。それも、アデントン公と何度も会談しているから、世界情勢については俺よりも理解しているだろう。
まあ、それは置いておくとして──だ。
(ここは一体どこだよ……)
空の色からして、夕暮れ……ということではなさそうだ。この場所の空は常時この色なのだろう。つまり、察するに──この場所は【魔界】である可能性が高い。だが、俺の知っている魔界とは違うのでなんとも言えないのだが……。
コンコンコン……と、小さく三回、誰かが部屋の扉をノックした。
「ど、どうぞ……」
恐る恐る声をかけると、軋む音を立てながら扉が開く。
そして、現れたのは、あまりにも無防備な姿をした現・魔王、そのひとだった。
あの時感じた邪気は感じない。こうして見れば、優しそうなお姉さんみたいだ。
……いや、このひとは凶暴だ。
なんて凶悪な乳をしてやが……なにを考えてるんだ俺。馬鹿なのか? 馬鹿でした。
「よかった。目が覚めた……加減を間違えて消し炭にしてしまった時は、どうしようかと思いました……」
「……け、消し炭?」
い、今、さらっと、とんでもないことを口走ったよな……?
「蘇生に時間がかかってしまいまして、申し訳ありませんでした……」
「蘇生……? どうして殺した相手を……?」
すると、現・魔王は頬を赤らめてこう言い放った。
「一目みた瞬間、あなたに恋をしてしまったので……あ、あの時はその、恥ずかしくてつい……」
えっと、どこからツッコミを入れるべきだろうか。
「恥ずかしいからって、消し炭にするやつがあるかッ!? ……と、えっと……俺の恋したって……マジか……? ……と、どうやって蘇生したんだ……かな?」
まあ、他にも聞きたいことは山ほどあるが、今知りたいのはこのみっつだ。
「すみません……でも、その……気持ちよかったですよ……蘇生」
気持ちいい蘇生って、なんですかねぇ……!?
「とても逞しくて……濃厚でした……」
やめて……。
まるでピロートークみたいな生々しさがあるからっ!!
ピロートークの意味がわからないお友達は、別にググらなくていいからね!
……誰に話しかけてるんだ、俺は。
「寝ているうちに、俺の……」
「で、でも……そうしないと、あなたの蘇生ができなかったので!! 私の魂と一度同化させて、あなたの記憶を形成しながら、新芽を育てるように肉体を形成していくのは、なかなか骨が折れる作業でしたが、あなたの魂……心は、この世界の人間達よりも逞しくて、本当に大変でしたが、気持ちのいい汗を流せました」
「……」
紛らわしい言い方をするんじゃねぇよ──ッ!!
ちょっとだけ、残念だとか思っちゃっただろッ!?
なにが残念なんでしょうねぇ!?
「そして、私はあなたがこの世界の人間じゃないことを知りました。記憶を形成するには、私もあなたの記憶を覗く必要があったのです。お許しください」
「まあ、覗かれて困るような記憶じゃないし、別に……というか、魔王もくせにやけに低姿勢なのはどうしてだ……? それのほうが怖いんだが……」
すると、魔王はさらに頬を赤らめて俯き、もごもごとなにかを呟いている。
「なんだよ……言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれ……」
「だ、だって……人間の姫からも祝福されるなんて思ってもいなかったので……そ、その……け、結婚を……」
あ……、ああ……ああああ……っ。
そうだそうだそうでしたねぇ!!
あのお姫様、俺と魔王の結婚なんてぶっ飛んだ願いを込めて俺を召喚したんでしたねぇ!?
「ま、待ってくれ……。記憶を覗いたんだから、俺の名前も知ってるよな……?」
「もちろんです!!」
「じゃあ、俺のことを名前で呼ばないのは……」
「夫婦になるから……に、決まってるじゃないですか……あなた」
あなた=夫ですね!!
つまり、夫=あなたであり、あなたは夫で……。
「すまん。話に全然ついていけてないんだが……急展開過ぎやしませんかね? ……それに、この世界を征服しようとしている魔王と結託なんてできると思うのか?」
「征服……? 私が人間界を征服して、なんのメリットがあるんでしょうか? 人間は勘違いをしているかもしれませんが、魔界は資源の宝庫です。なので、資源不足の人間界を征服するメリットを感じません。メリットよりもデメリットのほうが多くないですか? それに、世界を征服しようとしているのは人間のほうです。先ほども言いましたが、魔界は資源の宝庫で、魔力濃度も人間界と比較できないくらいです。私は、攻めてくる人間達からこの世界を守るために戦っています。もし私が本気でそちらを攻めていたら……お察しいただけるのではないでしょうか?」
ぐうの音も出ない正論だった──。
言われてみれば、確かに人間界は資源不足だ。だがそれはこの【魔族との戦争による物資不足】だと『思い込んでいた』んだ。実際はそうじゃなくて、魔界の資源を得るために【人間達が引き起こした戦争】だったと……。察するに、街付近にいるモンスターがあまりに強敵だったのも、魔王が人間達を魔界に来させないようにするための防衛手段。
もしこれが【真実】だとするなら、過激派の連中はこのことを隠して、魔界の資源を狙っている族もいいところだ。アデントン公は、それに疑問を唱えて、抵抗しているということになる。
ただ、腑に落ちないことがある──。
この世界に飛ばされてきた先代の英雄達……即ち『英雄達』は、このことを知って、どうして人間達を説得しようとせず、戦場に散っていったのだろうか……? この事実を知ってなお、魔族とことを構えるなんて、はっきり言って無能もいいところだろう。
あ……そうか。
この戦争を引き起こしたのは、【先代の魔王】か……。
「お気づきになったみたいですね……そう。この戦争を引き起こしたのは先代の魔王。元々、魔界は武力で物事を片付ける脳筋が大多数を占めています。そんな脳筋無能魔王に魔界を統治させるなんて、それこそ愚の骨頂……だから私は、魔族のしきたり道理、武力で先代魔王を打ち倒し、この魔界に革命を起こしました。ですが、先代が撒いた戦の灯火はなかなか消ずに、未だ人間と魔族の睨み合いが続いている状態なのです。私は、人間が和平を望むのなら受け入れようと思っています。資源の提供だって推しみません。人間と共に、平和に暮らせる世界を作るのが私の夢ですから……」
「じゃあ、俺が魔族の言葉を理解できるのって……もしかして……」
「僭越ながら、あなたが召喚される際に魔力介入したんです。次に現れる英雄と、言葉を交えることができれば、きっとこの現状を変えることができると思って……」
俺の格安コスト召喚の理由はこれか……。
だって、異世界から英雄を召喚するのに、たかが魔力結晶三〇個とか……スーパーの半額弁当より安い、破格の値段だぞ。例え、現代が第二次高度成長期と言われている俺の世界でも、ここまでのインフレは聞いたことがない。
しかし、だ──。
俺にだって人権がある。まるで政略結婚みたいに『はい結婚しましょう』というわけにもいかない。ぶっちゃけてしまうと、目の前にいる魔王は、俺のタイプではある。優しくて、上品で、頭のかいてんも早い。優良物件、逆玉の輿状態だ。でも、そこに愛があるかといえばそれはまた別問題。
俺は、ラッテに気持ちが動いている。
ラッテも俺に好意を抱いてくれている。
俺の人生で、初のキス相手であり、両思い状態……。
こういう時の主人公って『相手の好意に気づかないフリ』して、ハーレムを築きあげるんだろうけど、俺にそんな器用なことはできない。むしろ、チョロインをホイホイと釣り上げることができるやつが、どうして自分が住んでいた世界でモテないんだってほうがどうかしてんだろ……。まあ、確かに今の俺はモテ期到来中かもしれない。ただ、その相手が全員年上ってのが吃驚なのだが……。
俺は年上にモテるような属性だったのか……ッ!?
……いや、待て。早まるな俺。
こいつは『一目みた時から』と言っていたが、いつ、どこで俺を見たのだろうか? 俺の中にある記憶に、こいつが登場したことはあっただろうか……ない。では、なにかしらの魔道具を用いて、俺達を観測していた……? この可能性なら充分納得できるのだが、どうにも腑に落ちない。それに、召喚魔術に干渉したということは、少なからずあの場所にいたということ……。
待て待て待て……あり得ない。こんな答えがあっていいはずがないッ!! ……だが、今までの答えが物語っている。そして、どうやってもひとつの答えに導かれるように収束していく。
「……それにしても、こんなところに別荘があるとは、〝ミストリアス〟という名は伊達じゃねぇな。ここならアデントン公も来ないし、快適じゃないか?」
「でも、ここにいつまでも留まるわけに……は……ッ!?」
「まあ、そうだよな……【レイティア=ミストリアス=ウェン=ハルデロト】姫様よう……?」
魔王は一歩後退り、目を丸くして驚いている。
「わ、私は〝魔王〟ですよ……? ど、どうしてその名を……?」
「は? お前、わざとヒントを出していたんだろ、俺に気づいて欲しいがためにさ?」
「な、なんのことでしょうか……?」
なるほど、あくまで……(魔族だけど)しらを切るつもりか。
なら……、答え合わせをするだけだッ!!
真実はじっちゃんの名にかけていつもひとつ──ッ!!
「先ず、お前……レイティアはアデントン公に対して、協力することを避けていた。これは一見、判断しかねる案件だと思わせるが……その実、牽制していたんだ。ふたつの派閥が暴走することがないように」
「もしそうだとして、アデントン公の言い分は〝魔族との対話〟です。それは私の願いでもあります。もし私がレイティア姫だとするなら、即座にアデントン公についたのでは?」
「そうだな──。お前が言っていることはもっともだ。でも、そう簡単にはいかない。なにせ、アデントン公との会談は今に始まったことじゃなく、俺がこの世界にくる以前から設けられた席だ。魔族との対話と言えども、魔族と〝交渉〟できる人間がいない。人間はおろか、ハーフドさえ、モンスターの言葉を一言一句理解できるとは言い難いだろう。だからお前は【召喚魔術】を使って俺を召喚した。しかし【英雄召喚】となれば、魔力結晶ではなく【魔力水晶】が必要になる。そんな高価なものをおいそれと悪戯に使ったら、今度は〝姫としての立場〟が危うくなる……そこでお前は考えた。【自分の持つ魔力を媒体にすればいい】と。魔力結晶や魔力水晶は、根本的には同じような素材だし、そこに自分の魔力を干渉させれば【魔族の言葉を理解できる英雄を作れるかもしれない】と考えたんだろう。まあ、これは半信半疑で、ぶっちゃけると成功率は低いが、結果は成功。どこからか俺がリザードマンの言葉を聞いた……とか、そんな噂を耳にしたかなんだかは知らないが、その矢先に今回の事件だ……。自分が誘拐されたと思い込ませるために、泥人形でラッテの部下そっくりのパペットを用意してから、部屋をわざと荒らして、あえて【召喚魔術】が書いてある魔道書を持ち出した。だが、それだけではリアリティに欠くと思ったお前は、荒くれ一派に声をかけていたんだろう。まあ、そこにシュガーがいたことは計算外だったと思うが。そんな感じで誘拐事件をでっち上げて、あえて過激派の影をチラつかせていたのは、この件が【過激派の仕業】と見せかけて信用を落とし、俺というネゴシエーターを引っ提げて登場して、見事、和平交渉成立ってわけだ。そのためにわざわざ俺を殺してまでここに連れてきたんだろ? お前の魔力が俺の中にあるのなら、一度くらいなら蘇生もできる。だって、お前の魔力だからな。好きに扱えるのも当たり前だろ?」
魔王は焦る様子もなく、ただ黙考している。
実際問題、今俺が語った推理まがいなものは穴だらけだ。それは自分でもわかっている。例えば、『いつから入れ替わっていたのか』とか、『どうして俺の妹の姿を選んだのか』とかな……。探せばいくらでも矛盾を突くことができてしまう。証拠と呼べるものだってない。俺の推理は憶測であり、妄想の域を脱しない。
『なかなか面白い推理だったよ名探偵君。小説家にでもなったらどうかね?』
……みたいな、犯人からの嫌味がどこからか聞こえてきそうだ。
でも、この魔王はレイティアでも、魔王でも、主張は一貫している。
『平和な世界にしたい』
この主張がある限り、俺に危害を加えることはないだろう──まあ、蘇生した相手を再び殺すなんてサイコパスのような行動をしないという保証もないのだが……。
俺はベッドの上で腰だけを上げて、返答を促すように魔王をじっと見つめる。
魔族の女王は、憂の瞳を浮かべながら、真紅に染まる空を見つめていた。背筋をピンと伸ばし、凛とした佇まいで、彼女はなにを思っているんだろうか?
俺はベッドから立ち上がろうと試みてみる──が、思うように動くことができずによろめいて、結局、ベッドの端に座るのが精一杯だった。
「まだ体が馴染んでいないんです。無理はしないでください……あなた」
「あ、ああ……ありがと」
背中を支えてくれたその手は暖かかった。
「……そろそろ答えなければいけないですよね。そう──、あなたが今話したことでほぼ間違いありません。それと、あなたが倒した戦士ですが、私が治療を施しましたので生きていますよ。彼にも私の魔力を少し注いだので、魔族の言葉が理解できるようになっています。今は、この館で【執事】として働いてもらってます」
意外だな。戦士が武器を捨てて執事になるなんて……。
「ちょっと待ってくれ……。俺は何日くらい寝ていた……?」
「一〇日間です。それまでの【レイティア】としての責務はちゃんと泥人形にしてもらっていますのでご心配なく」
便利だな、クレイマン。俺も一体欲しいところだが、魔力がないと扱えない代物だろう。ソードマスターである俺には厳しそうだ。
「それと……その、こ、婚約の件ですが……」
「そう言われてみれば……どうすんだ?」
「あなたがラッテに好意を寄せているのは知ってます。いえ……他にも色々と知ってしまったのですが……ひとつだけ、消滅もせず、頑丈な封印のように、私にも開けられない記憶がありまして……その、〝ロード・トゥ・イスタ〟とはなんでしょうか? この世界において〝イスタ〟とは【精霊】を意味する言葉ですが、それとなにか関係が……?」
どうしてその記憶だけ消滅することなく存在していたのかはわからないが、このことを説明するべきなんだろうか?
(いや……。今は話す時じゃないよな)
魔族だけじゃなく、人間同士も争っている状況で、この情報を漏らすわけにはいかない。
俺の状況は『タイムトラベラー』に似ている。未来(と言えなくもない)のこの世界の出来事を知っている俺が、ここで全ての情報を開示してしまったら、俺も予想ができないほどのタイムパラドックスが発生する。……というか、すでにこの世界で発生している事象は、俺が知っている物語と全然違うけど、保険として崩したくない。
「すまん。そればかりは言えない」
「そうですか……では、その件はあなたが話せると思ったら、私に教えてくださいね……?」
「ありがとう。……そうする」
「では……」
魔王は小さく咳払いをした。
「──話を戻します。ラッテとあなたの関係についてですが……その、まだ私にも挑戦する資格はありますか……?」
「挑戦って……?」
「そ、そんなこと……女性の口から言わせないでください」
「あ……そういうことか……。デリカシーを欠いたみたいだな、悪い」
「どうなんですか……ッ!?」
もの凄い剣幕でせまられて一瞬たじろいでしまい、咄嗟に俺は──
「あ、ありますッ!!」
……と、答えてしまった。
「……よかった。私の夢はまだ閉ざされてはいないんですね……」
(これって、ラッテを裏切りる行為になるのだろうか……なるよなぁ……)
自己嫌悪している俺などお構いないと、魔王は小さくガッツポーズを決めていた。
「……それで、これからどうする? 俺が国王陛下に謁見して、この件を説明すればいいのか?」
「お、お父様にこの件を説明ッ!? そ、そんな……まだ早過ぎますよ。ラッテからも許可をもらっていないですし……でも、あなたが本気だと言うなら……」
こいつ、なにか盛大に勘違いしてないか……?
「俺が話すのは和平の件だぞ。それ以上でも以下でもないからな?」
「そ、そうですよね!? じょ、冗談ですよー? あはは……はぁ」
本気で勘違いしてたらしい。
「えっと、謁見に関してはもう少しお待ちください。まずはアデントン公と話をつけなければなりませんので。お父様との謁見をスムーズに運ばせるには、アデントン公の協力は不可欠。私とアデントン公であなたを推して、解決に向かいましょう」
確かに、俺のような平民の意見が通るほど、この世界は甘くない。話を通すのであれば、権力者の後押しが必須だ。それに、議会も開かれるだろう。その時、過激派がどう出るかだが、それも謁見までに片付けなければならない。
(やることが多過ぎる……。これは、高校生の領分を遥かに超えてるだろ……緊張で吐き気がしてきたわ……)
つか、引きこもってるから、高校生って自覚はあんまりないんだけどさ。
「ところで、ひとつ質問なんだが、いつから〝レイティア〟として活動してたんだ? 魔王であるお前とレイティアでは実年齢が違い過ぎるだろ?」
ある意味、この質問は一番大切かもしれない。
主島リストルジアで数々の功績を納めてきた王の第一後継者となっている姫、レイティアが実は魔王だった……なんて、大スキャンダルもいいとこるで、これが世界に知れたらリストルジアの栄光は言葉の通り『終わり』を迎えるだろう。それが狙いで、本物のレイティアを殺して魔王が入れ替わり、国の内側から崩していく──という筋書きならなんとも魔王らしいのだが……目の前にいるこの魔王は『平和主義』であり、人間に危害を加えることを最小限に抑えている。ということは、この魔王が『本物のレイティアを殺害した』と考えるには些か矛盾が生じる。
「本当は……私はレイティアであり、レイティアではないんです」
「どういうことだ?」
「〝本来なら生まれてこない存在〟……つまり、本当は、レイティアは死産でした」
死産……だと……?
おいおいおいおい……ちょっと持ってくれ。さすがに本筋のストーリーから逸脱し過ぎじゃないか?
「私はそれを知って、まだ体内で眠る赤子……レイティアに成り代わったんです。この国を……世界を変えるためには、当時の私にできる最善の手段だと思いました」
えっと……つまり、こういうことか。
魔王は王妃の体内で死んでしまったレイティアと『入れ替わって』、そのまま『レイティア』として産まれた。……まあ、自由に姿を変えることができる魔王なら、そんなこともできるとは思うが……あまり褒められたやり方ではないな。
「じゃあ、本物の……死産される予定だったレイティア本人はどこに……?」
「私の中にいます。彼女は私とひとつとなって、今も生きています……しかし、私と切り離されたら死んでしまいますが……」
「レイティアの姿になる時は、【レイティア本人の意思が表に出る】って解釈で間違いない……のか?」
「はい。彼女は私と共に生きているので、私と意識を共有しています。〝人格が交代する〟というわけではないですが、私がレイティアになれば、レイティアらしい行動を取る……というわけです」
「つまり、趣味趣向も異なる……ってこと?」
「はい。レイティアがあなたのことを【冴えない】と言ったのは、つまり、そういうことです。だって、私はあなたを一目見た時からずっと……いえ、なんでもありません!」
恥ずかしがったり、困ったり、笑ったり……喜怒哀楽が激しいやつだな。これじゃまるで人間と差して変わらないじゃないか。……いや、もしかしたら魔王の中に存在しているレイティアが影響しているのかもしてれない。
随分とややこしい魔王だなぁ……魔王?
「なあ、お前の名前はないのか? さすがに〝魔王〟って呼ぶのもアレだし……教えてくれよ」
「そうでした。まだ自己紹介をしていませんでしたね。私の名前は【ルネアリス】と申します。お気軽に【ルネ】とお申し付けくださいね?」
「ルネ……か。よろしくな」
「はい……あなた」
その『あなた』って響きがこそばゆい感じすんなぁ……。
「あ、あのさ。まだ婚約とか、恋人にもなってないし、俺のことはレオって呼んでくれないか……?」
「あなたがそう言うなら……残念ですがレオと呼ばせていただきます……」
えー……なんか悪いことしたみたいじゃん……。
すげーしょんぼりしちゃってんじゃんかぁ……。
「……わかったよ。ふたりきりの時は〝あなた呼び〟でいいけど、それ以外の時は〝レオ〟で徹底してくれよ?」
「はい! ありがとうございます、あなた♪」
異世界でハーレム……俺には絶対ないと思ってたんだけど……これがモテ期というやつなのか──ッ!? せめて、俺の住んでた世界でモテ期を体験したかったなぁ……切ないぜ。
しばらく俺とルネはたわいもない談笑を交えながら、お互いの情報を共有していた。そんな昼下がり、コンコン──と、ノックの音が部屋に飛び込んだ。
「レオ君、いいかな? お邪魔するよ」
俺が滞在している部屋にやってきたのは、あの時、俺が頭部をかち割った戦士だった。しかし、今は執事としてこの屋敷で働いていると言っていたが……似合い過ぎだろ、燕尾服。
「やあ、起きたようだね……ルネアリス様。またそのような姿で……レオ君も男なのですから、過度な露出はお控えください」
「ふふっ……もうすっかり私の執事ですね。ミゲイル」
「最初はかなり戸惑いましたが……レオ君、気分はどうだい?」
自分が殺した相手に心配されるのは、なんだか不思議な感覚だ。それに、とてつもなく申し訳ない感が否めない。
「だ、大丈夫で……す。そ、その節は……すみませんでした」
「僕を殺したことかい? 君は気に病むことはないよ。僕がレオ君よりも劣っていただけのことさ。それに、新しい就職先もなかなか快適だしね……主人が些か問題ではあるけど、さ」
あの時殺り合った時はじっくり見ることはなかったけど、こうして明るい場所で見ると、この人の育ち良さがわかる。整えられた金色の長髪を後ろに結んでいて乱れることはなく、しなやかな動きには気品すら感じられる。元々、上流階級出身だったのだろう。物腰が丁寧なのがなによりの証拠だ。
一方、ルネの格好はほぼ下着同然。これでは執事に怒られても文句はいえないだろう。
ルネは反論したいと言いたげな表情でミゲイルを睨む。
「そんな顔をされましても、僕はあなたの執事となったわけですから、小言のひとつやふたつ、言わせていただきますよ? あ、そうそう。レオ君は僕に敬語を使う必要はないからね? 本来なら僕も君に対して敬意を払わなければならないんだけど、君と僕の間柄だ、堅苦しいことはなしにしよう……どうかな?」
「えっと……それをいうなら俺のほうこそ、ミゲイルさんに頭が上がらないんだけど……わかった。ミゲイルさんがそういうなら、そうさせてもらうよ」
「ありがとう」
ニコッと笑顔を向けるミゲイルさんの笑顔は、とてもさわやかな好青年という印象を受ける。これは……まぎれもなきイケメン……ッ!!
「それと、レイナード……もうひとりいた戦士だけど、彼は不器用なだけで、悪いやつじゃないんだ。もし、再び合うことがあれば、仲良くしてもらえると嬉しい。腕も立つ優れた戦士だからね」
「わかった」
「さて……ルネアリス様。そろそろお仕事の時間では? クラフトマンにずっと働かせるつもりですか?」
「わ。わかってます! それじゃ、私は人間界で仕事をしてきますので、あな……レオは回復するまでゆっくりしていてください」
「僕も屋敷の仕事があるから失礼するけど、もし動き回れるようであれば、好きに屋敷を見てくれて構わない。僕の他にも使用人達がいるけど、彼らには伝えてあるから襲ってこないから安心してくれ。……それじゃまたね、レオ君」
── ── ──
「ふぅ……なんだか疲れたな……」
嵐が過ぎ去ったように静けさを取り戻した部屋で、俺はベッドに寝転んで、ぼけっと天井を眺めていた。
これからどうなってしまうのだろう──?
言い知れぬ不安が、俺の心に影を作り蝕んでいく。
今さっき聞いた話を思い出しながら、自分がそう立ち回るのが正しいかを模索してみるが、俺が知っているイスタの大筋ストーリーからは激しく脱線したこの世界で、自分の記憶を頼りに動くことはできなそうだ。『情報』としては貴重だけど……。
ルネは【レイティアとしての公務】と【ルネアリスとしても責務】を同時にこなしているようだ。二十四時間フルで仕事をしているなんて、それどこのブラック企業だよ。
これから俺は人間と魔族の板挟みになるんだよな……しかも、それが政治であり、世界平和のためときたもんだ。ろくに勉強もしていない俺には相応しくない役目なんだよなぁ……。
あれだよ、もっと単純な話だと思ったんだ──。
RPGの世界って、勇者が目覚めて魔王を倒してハッピーエンドってのが基本だ。そこに政治が介入してくる作品は極めて稀だったりする。しかも政治とは名ばかりの『脳筋部族抗争』が主だっている。ゲームで考えるなら、むしろその脳筋部族抗争のほうが面白いんだよ。でも、実際問題──そのゲームの世界に入れば色々と問題が露見したりするのが、今、俺がいる世界だ。でも、普通、ここまで本筋のストーリーから離れるか!?
なんて嘆いても仕方がないか──。
「体に力が入るようになってきたし、屋敷を探検してみようかな」
ベッドから腰をあげて、俺は部屋の扉まで体がちゃんと言うことを聞くのか確認しながら、扉を開いた──。