#7 ゲームオーバーは突然に。
湿った空気を肌に感じながら、俺達はこの水路の出口へと進んでいる。
「少し肌寒いな……大丈夫か?」
ラッテの様子を後ろから見ているが、ラッテも少し寒いらしい。両手で交差しながら摩っている。
「大丈夫です。それより、そろそろ出口に出てもいい頃なのに、出口が一向に見えないのはおかしいと思いませんか?」
言われてみればその通りだ。かれこれ一時間は彷徨っている──。
「もしかして、同じ場所をずっと進んでいる……のか?」
「ええ……可能性としては、上位の空間操作魔法でしょう。迂闊でした……敵が追跡者を警戒しないはずがありません。私達のように、あの通路に気づいた者がこの魔法にかかるようにしていたのでしょう」
空間操作魔法とはトラップ魔法の一種で、対象がその空間に足を踏み入れた時に発動する魔法だ。今回のような『空間と空間を繋げてループさせる魔法』は、『マップ魔法』とも呼ばれているが、実際にプレイヤーがつかうことはほぼない。大体がメインストーリーで登場する『ストーリー限定魔法』だが、なるほど──これは確かにウザい。体力、精神力、集中力、それらをじんわりと削っていくな……。そして、弱り切った相手を、一網打尽にってのが、この魔法を使ったやつの魂胆だろうが──甘かったな。トラップ魔法とわかれば対策ができる。
「〝穴〟を探すぞ」
「穴……とは?」
「これはトラップ魔法で、空間と空間を繋いでループさせる魔法だ。一見、攻略不可能と思うがそうじゃない。必ず〝繋ぎ目〟がある。その繋ぎ目のことを〝穴〟と呼ぶんだ。なにか違和感を感じたら教えてくれ」
無理矢理空間を捻じ曲げるんだ、絶対にその影響が色濃く反映される場所があるはず──そこにアスカロンを捻じ込めば、その糸を断ち切ることができるはずだ。
しかし、明かりが『ランタンひとつだけ』というのは不便だ……。
ゲームなら、例え暗くても全体を見れるような画面調整が施されているが、この世界においてそれはない。昔、沖縄のがま(洞窟)に入ったことがあるが、この水路は正しくそれと似ている。このランタンがなくなったら……いや、こういう心配をするのはよそう。
ラッテは左右、上下をランタンで照らしながら進む。岩影が揺れて、不気味さがより一層引き立つが、文句を言っている場合ではない。
スッ──と、ラッテが一方を照らしながら動きを止めた。
「レオ様、もしかして〝穴〟とはあれでは……?」
明かりが差し示すほうに目を凝らすと、サッカーボールくらいの歪みが壁に生じている。吸引こそされないが、まるで小さなブラックホールのようだ。
問題はここからで、その歪みが発生しているのが、水路を跨いだ向こう側ということだ。飛び越えられない距離ではないが、もし、落下してしまえばただでは済まない。俺の脚力がどれほど向上しているのかわからないが、やるしかない……。
「いけますか……? 無理なら私が行きますが……」
「ラッテじゃアスカロンを扱えないだろ。こいつがなきゃ、あの歪みを消滅させることは不可能だ……やってやる」
壁際ギリギリまで下がり、助走をつけて飛ぶ──ッ!!
「……っ!! あ、危ねぇ……ギリギリだったわ」
あと半歩跳躍が足りなければ、俺は水の中へドボン──だっただろう。
「レオ様!! ご無事ですか!?」
「大丈夫だ、問題ない!!」
むしろ、問題なのはこれからだ──。
ぽっかりと口を開けている歪みの前に立って、背負っていたアスカロンを両手で構える。
俺の予想が正しければ、ひと突きで歪みは消え去る……のだが、この世界において、俺の知っている情報がどこまで通用するのかがイマイチわからない以上、不足の事態に陥る可能性も否定できない。最悪、飲み込まれる危険性だってある。
(なに怖気づいてんだ……やるしかねぇだろ!!)
腰を下げて、アスカロンを垂直に保ちながら、身を捻るように引き、そして──
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
勢いよく歪みを貫いたが──感触はない。まるで、なにも貫いていないようにも思えるが、アスカロンは確かに歪みを貫いている。ゆっくりと引き抜くと、歪みはアスカロンの動きに合わせて徐々に狭くなり、全て引き抜いた時には、歪み自体が消えていた。
「なんとか上手くいったか」
「大丈夫ですか、レオ様ッ!!」
反対側にいるラッテが大声で叫ぶ。
「ああ、そっちに戻──ッ!! ラッテ、上だッ!?」
天井から粘りのあるゲル状のモンスターが、ラッテを飲み込もうと垂れ下がっていた。
「きゃっ!!」
赤い色から察するに、ゲル状のモンスターは【デスアメーバ】かッ!!
毒の粘液が厄介なモンスターだが、防御力自体は低い。しかし、あれに飲み込まれたら……普通の人間ならほぼ即死だ。
「クソッ!! 今行くぞ──ッ!?」
気づかなかった──なん匹ものレッドアメーバが集まり、俺の足をがっしりと掴んでいる。
「邪魔……すんじゃねぇッ!!」
まるでジェルの水溜りのようになっているレッドアメーバに、アスカロンを突き刺す。貫かれたレッドアメーバ集合体は、散り散りになって散開した。
「ラッテッ!!」
ラッテがいる向こう側まで飛び、纏わり付いているレッドアメーバを斬り裂こうとアスカロンを向けるが、相手も馬鹿ではないようで、ラッテを盾にするように俺のほうへ向ける。
「これじゃ斬れねぇ……どうすればッ!?」
ラッテの表情が苦悶の色から、どんどん生気が失われていく──。
「迷ってる暇はない……ラッテを傷つけないように斬るしかねぇな……ッ!!」
アスカロンを地面に突き刺して、腰に下げているドラゴントゥースを抜く。
アスカロンより小振りのドラゴントゥースなら、ラッテを傷つけてしまうリスクは少ないはずだ。
(狙う場所は、両脇の間か、股の間……どっちだ、どっちが正解だ──?)
少しでも太刀筋を迷えば、ラッテの体を斬り裂いてしまう……しかし、その実、両方共、針に糸を通すような精密さが必要だ。
(落ちつけ……大丈夫だ。俺ならできる──ッ!!)
ドラゴントゥースを中段に構える。
「そこだ──ッ!!」
貫いたのは右の脇の隙間、そこに刃を突き刺すと、ラッテの体、右半分に纏わり付いていたレッドアメーバの粘膜が吹き飛んだ。
「一撃じゃ駄目か……なら──ッ!!」
レッドアメーバが防御姿勢を取る前に、俺はもう一撃、左脇の隙間を貫いた。
ようやくレッドアメーバ本体だけを処理できたが、解放されたラッテの意識がない……。
「ラッテ、しっかりしろッ!!」
ぐったりと横たわるラッテの肩を揺らすが、反応がない。
「遅かったのか……クソッ!!」
その時──ラッテの左手の指先が、ピクリと動いた気がした。
「ラッテッ!? おい、意識が戻ったのかッ!?」
「バッグ……解毒……魔法薬……」
「バッグの中に解毒の魔法薬が入ってるんだなッ!?」
「は……はや……く……」
他人のバッグを漁る趣味はないが、緊急事態だ。
肩から下げているバッグをガサゴソと漁る。
「……これか」
小さな小瓶に入っている、紫色の液体。なんとも毒々しい色をしているが、これで合っているはず。
「ラッテ、口を開けてくれ……飲ませるぞ」
力なく開いた唇の隙間に、解毒薬を流し込むと、ゴクリ……と喉が鳴った。
「ありが……とう、ございます……、少し楽になりました……」
「楽になった顔色じゃねぇよ……。しばらく休むから、ラッテは回復に専念してくれ」
「もうしわけ……ございません……」
俺は羽織っていたマントの裾を引き千切り、中心を流れる水路の水でそれを軽く濯いでからラッテの元へ戻り、ベトベトになっている体の部分……触っても怒られない範疇を引き千切った布で拭った。
「レッドアメーバの粘液って、こんなに粘つくのかよ……」
「すみません。私が油断したばかりに……」
「ラッテが無事でよかった。今はそれだけでいい」
「しかし、このままではレイティア様が……」
ラッテが言わんとすることはわかる。このまま時間が経過すれば、それだけレイティアに危険が及ぶ──と、言いたいんだろう。それに、自分がレイティア直属のメイドであり、盾でもあるラッテが、ずっと自責の念に駆られているのも知っている。しかし、今は動ける状態ではない。無理して動けば、それだけ体に負担がきて、今以上に危険な状況に陥る可能性が高い。
「……心配すんな。レイティアは必ず俺が助け出す。だから、今はゆっくり休めよ」
「……まるで勇者みたいですね」
「これでも一応、英雄として召喚されたんだが?」
「そうでしたね……あの、レオ様。ひとつお願いがあるのですが……体が冷えてしまって……その、抱きしめていただけますか……」
はい……?
「火を起こせない現状、暖を取る方法はそれしか……不本意ですが、お願いできませんか……?」
「……マジか」
なんだこのLTIの世界に有るまじき恋愛イベントは──ッ!?
いや、待て……これはもしかすると【ラッテルート】に入ったのかッ!?
つまり、今、画面にはふたつの選択肢が‘ポップアップしていて、俺に選択を迫っているのだ。
考えろ……相手は年上、二十五歳のメイドさんだ。アサシンでもあり、戦闘でも引けは足らない……。しかし、ここでラッテを選択すれば、他のキャラ──レイティアルートは確実になくなる。
(ここにきて究極の選択だぞ……)
だが、考えてみろ。今回の件は『正当な治療行為』ではないか……?
別にすけべな展開ではなく、純粋な治療と捉えれば、まだ俺には選択肢が──
「レオ様……寒いです……」
もう……どうにでもなれッッッ!!
俺はラッテの隣に寝そべる。決して寝心地がいいとは言えないゴツゴツとした冷たい地面は、確かに体温を奪う。
「そんなに離れていては、暖まれません……こちらへ……」
俺はラッテより年下だし、ラッテからすればまだまだ子供かもしれない。だが思春期の男子というのは『そういうこと』を想像してしまうもので、俺の三つめの剣が、まさに今、堂々とそそり立とうとしている……岩に突き刺さる性剣の如く──。この場合、『考えるな、感じろ』というアドバイスは危険である。めっちゃ考えるし、そもそも感じたらアウトなのだ。
「はぁ……わかったよ」
仕方なく……を装い、俺はラッテの隣へ寝転がった。
すると──ラッテは自ら手を伸ばして、俺を抱きしめたのだ。
「……っ!?」
落ち着けっ!! 落ち着くんだっ!! 相手は病人だぞっ!?
跳ね上がる鼓動。ドクドクと脈は加速し、謎の汗が額から一筋垂れる──。
「こんなわがままを言ってしまい、本当に申し訳御座いません……」
ラッテの体は確かに冷たい……そうか、本当に苦しかったんだ。なのに俺は……思春期だからと言い訳しながらも、そういうことを期待してしまった……最低だ。
俺は左手をラッテの首の下に差し入れて、腕枕にした。
「レオ様……? いえ、ありがとうございます……」
ギュッと体を密着させてくるが、兎に角、なにも考えないように努める。
「抱き締められるなら、もっと若い女性のほうがいいですよね……もう少しだけ、こうさせてください」
「……こんな時に言うことじゃないが、ラッテは充分綺麗だぞ」
「え……?」
「さっきから自分を値踏みし過ぎだ。俺は別に迷惑なんて思ってないし……俺こそ、英雄なのに弱い。ぶっちゃけ心が折れそうにもなった。だけど、俺を頼りにしてくれるひとがいて、心配してくれるひとがいて、鼓舞してくれるやつも、稽古つけてくれるやつもいた。元いた世界じゃ考えられないことばかりで……ああ、えっと……なんて言えばいいんだ? クソ、上手い言葉が出てこねぇ……。つまり、俺にはレイティアと同じくらい、ラッテも大切なんだよ」
これじゃあ、なにが言いたいのかさっぱりわからないな……。
「そんなこと、生まれて初めて言われました……あなたは本当に不思議なひとですね」
少し、ラッテの体温が戻ってきた気がする。
「いつか……この世界が平和になったら……」
「ん……?」
「……いえ、なんでもありません。あの、もう少し……私を抱き締めていただけませんか……?」
俺は右手をラッテの左肩に回して、腕枕にしている右手と交差するように強く抱き締めた。
「……して、ください」
「なにか言ったか?」
「なんでもありません……」
そのあとは、俺もラッテも黙って、ラッテが回復するのをひたすら待った──。
── ── ──
ようやくラッテの体の中に残っていた毒もなくなり、すっかりもとの調子を取り戻したラッテは、さっきのことなど忘れたように、再び俺の前を歩いている。
「レオ様、見てください……外ですッ!!」
やっと出口か──もう何時間も同じところを歩かされただけに、休憩を挟んだが、それでも俺達の体力はごっそり削られていた。
出口を抜けると、そこには大きな湖が広がっている。
日は落ちていて、空には一面、無数の星が瞬いていた──。
「ここは……?」
見たことがない場所だ。
湿原地帯と呼ぶべきか、地面には雑草がいくつも茂る。
「あの小屋が怪しいですね……」
まるで隠れ家のようにひっそりと佇んでいる簡素な小屋の窓から、室内の明かりが漏れている。
──身を隠すには、持ってこいの小屋だな。
「突入しますか……?」
「正面からは危険だ……裏口を探して室内に侵入し、レイティアを探して退散するのが一番いいだろうな……ラッテ、その役目はお前に託したい」
アサシンは隠密行動に長けたジョブだ。それに、鍵を開ける特技もある。俺よりしなやかな身のこなしができるラッテには、余裕のミッションだろう。
問題は、敵の戦力がどれほどなのかということだ。【魔法帝】レベルの上級職を持つ者が、少なからずひとりは存在する。それに、レイティアを連れ去った隠密行動に長けている職……それこそ、相手にも【アサシン】クラスがひとり存在するのは明らかだろう。だが、それだけじゃない。この作戦を企てた参謀もいるはずだ。
(少なくても三人。多くて五人くらいのパーティか……)
これは俺の勘だ。
もしかするともっと多いかもしれないし、少ないかもしれない。
これ以上は、出たとこ勝負になりそうだな。
「俺が正面からやつらの気を引きつける。その隙に……頼んだぞ」
「わかりました……必ずレイティア様を見つけだし、合流します」
「駄目だ。レイティアを助けたら一目散に逃げろ。お前の役目は戦うことじゃない、救出だ。来た道を引き返すんだ。それまで、俺がやつらの足止めをする」
「で、ですがッ!!」
「お前達が生きていれば、まだ希望はあるだろ。勿論、俺だってこんなところで死ぬつもりはない……生きて戻るさ。……さて、それじゃ暴れま──ッ!?」
ラッテの唇が、俺の唇と重なる──。
「……絶対に、生きて戻ってきてください……レオ様」
「お、おう……任せろ……」
あまりの不意打ちに驚いたが、今は、ファーストキスを奪われたなんて考えている場合じゃない。
「よし。作戦開始だ──ッ!!」
── ── ──
俺は小屋の正面に立った。
これから戦う相手はモンスターではない。
畜生ではあるが、赤い血の通う人間だ。
人を殺す──それがどいうことなのか、俺にはまだ理解できていない。しかし、殺らなければ殺られる……この世界は、そういう世界なんだ。
「おい、ここに隠れてるのはわかってんだ。出てこいよ……雑魚共ッ!!」
安い挑発だな……自分の語彙力の無さに呆れるぜ。
ドアの奥、室内でざわざわと物音が立つと、鎧を纏った戦士風の男がふたり、漆黒のマントを羽織った性別不明の者がひとり姿を現した。
(前衛がふたり、後衛がひとり……か。案外敵さんも考えてんだな。あのマントの……あれが魔法帝か? アサシンの姿が見当たらないとなると、小屋の中には首謀者含めて約ふたりは残ってるってことか)
鎧を纏った戦士風の男が背中に背負った戦斧を構える。
「なんだこのガキ……? てっきり追っ手かと思ったが」
「そう言ってやるな、レイナード。彼も騎士団の一員かもしれないぞ?」
もうひとりの戦士風の男が、腰から剣を抜いた。
「無駄口を叩くな。どちらにせよ、生かして返すわけにはいかん……」
マントの中から黄色の魔石が付いている杖を取り出した魔法帝は、巫山戯た態度をしているふたりを嗜めるように口を開いた。
「おいガキ。一応聞いておこう……名は?」
「レオだ」
「オレ様はレイナードだ。よろしく……なッ!!」
横一閃の薙ぎ払い──それくらい読んでいた。
だが……
「ミゲイル!!」
「ああ……さよならだ、少年ッ!!」
「……ッ!?」
しまった……こいつ、いつの間に背後を──ッ!?
咄嗟にドラゴントゥースを抜き、上段から放たれる一撃を剣の腹で受け止める。
ガツンとした衝撃を両手に受けながら、なんとか即死級の一撃を回避したが……。
「どけ、ミゲイル……悪魔の雷槍ッ!!」
上級雷魔法──ッ!! クソ……詠唱なしかよッ!!
魔法帝の杖から、怒号を轟かせる雷の槍が、一直線に俺を貫こうと迫る──その時、再び【あの現象】が起きた。
世界が、まるで時を進めることを抗うかのように、その速度を急激に落とす──。
(なんだかわかんねぇけど……有り難い限りだなッ!!)
止まっているかのように動かない雷の槍を躱して、俺の背後から離れようとしている戦士、ミゲイルの腹部をドラゴントゥースで横に斬り裂いた。
「……ッ!? い、いつの間に──」
「先ずはひとり目──」
ドラゴントゥースを左手に持ち替え、背負っていたアスカロンを右手で、そのままミゲイルの頭部から下に振り下ろす。
「ミゲイルウゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」
殺っちまった……。
俺は、人を殺した……。
「レイナード、やつはただの剣士ではないようだ。二の舞になりたくなければ、油断するでないぞ」
「……チクショウが。わかってるッ!!」
状況は二対一、俺が不利という状況は変わらない。いや……むしろ悪化した可能性もある。
(落ち着け……戦況を見極めるんだ……ッ)
ジリジリと距離を詰めてくるレイナードは、戦斧を上段に構えて、俺を警戒しながら睨みつける。もう、俺に対して油断はしてくれない。それは後方にいる魔法帝も同じようで、常に杖の先を俺に向けている。戦闘経験で言えば、圧倒的に相手の方が格上……読み合いでは絶対に勝ち目はない。俺にできることは、怯むことなく剣を構えて隙を作らないことだ。
「おい……確かレオとか言ったな。お前は今、自分がなにをしてんのかわかってんだろうなぁ……?」
「……」
やつの口車に乗っては駄目だ。ここは沈黙を通す。
「チッ……黙りかよ。まあいい、そのまま聞け。今、世界は破滅へ向かおうとしている。だが、国王は動かねぇ。だから、誰かが引き金を引かなきゃなんねぇんだよ。それを止めるってことがどういうことか、レオ……テメェにゃ理解できんのか!?」
「おい、レイナード。喋り過ぎじゃ」
やっぱり、そういうことか──。
「……なるほど。あんたらが動いてる裏には、過激派のデュラン公が暗躍してるんだな。この件が公になれば、デュラン公もタダじゃ済まないぞ」
こいつらは雇われただけだ。この場にデュラン公はいないだろう。
仮にこの計画が失敗したとしても、知らぬ存ぜぬを貫き通して実害ゼロって魂胆か。確たる証拠がない以上、議会で公表しても無駄。事件は『野盗による誘拐事件』として処理される。
「フン……テメェをここで始末すりゃいいだけだ。さて、第二ラウンドといこうぜ?」
「レイナード。拘束魔法でやつの動きを止める……一撃で仕留めろ」
作戦が丸聞こえだが、それだけ自分の魔法に自信があるんだろう。
マズイな……俺に拘束魔法を解く術は──ない。
「拘束する蛇ッ!!」
「闇属性の自縛魔法かよッ!?」
魔法帝の杖の先から、無数の漆黒の蛇が解き放たれる。その蛇達は互いに巻きつき、大きな竜巻のような姿になり、俺に向かってくる。
「……ッ!!」
こんなの、どうやって回避しろっていうんだッ!?
絶対拘束の上位拘束魔法なんて、例えアスカロンが対魔法耐性を持っていても防ぎ切ることはできないッ!!
体に蛇が次々と巻きついて、俺は指先ひとつ動かすことができなくなった。
「やっぱすげぇなぁ……半魔族の魔法ってやつはよ」
「ハーフ……ド……?」
「余計なことは喋るな……早く殺すのじゃ」
【半魔族】の魔法帝……そんなの、あいつしかいないじゃないか……どうして気づかなかった!?
「お前……〝シュガー〟だろ……っ!!」
「な……ッ!? 貴様、どうしてその名をッ!?」
「お前のことなら他にも知ってるぞ……記憶を失っていることも、どうして〝ハーフド〟なのかも、全てな……」
当たり前だ。シュガーは、メインストーリーで仲間になるひとりだからな。
もし……この世界がゲームとしてのストーリーを軸としているのなら、シュガーはまだ記憶を取り戻していないはず。
「俺を殺せば、お前は記憶を取り戻すことなく一生を終えるぞ。自分が何者なのか、どうしてハーフドとして生まれてきたのか……知らなくていいのか……シュガーッ!!」
「おいおい……どういうこったこりゃ……。どうすんだよ、魔法帝さんよぅ!? 殺っちまっていいのか!?」
「ま、待て……」
シュガーは迷っているようだ。
それもそのはず──シュガーは、自分の記憶を探すために魔法帝までのし上がったんだから。
「き、貴様は……儂の過去を知っているというのか……?」
「もう偽る必要もないだろ……あんたが〝女〟だってことも、俺にはお見通しだ。いくら声を男に変えても、俺にだけはわかる」
「ま、待てよおい……。レオ、テメェ……どうして……は? 魔法帝が女……だと……?」
「や、やめろッ!! それ以上口を開けば命はないぞッ!?」
「レイナード……お前にとっておきの情報を教えてやろう……シュガーは……まだ、未経験だッッッ!!」
「ば、ばかーッ!!」
「なんだとッ!? ……いや、別にどうでもいい情報じゃねぇかッ!!」
シュガーも、レイナードも、この状況をどうすればいいか混乱している……やるなら今しかないッ!!
「アスカロン……アンチマテリアル発動ッ!!」
体に巻きついている状態なら、全ての蛇を無力化することができるッ!!
俺の呼び声に応えるように、地面に突き刺さっていたアスカロンの刀身が輝き、その光が俺の体に巻きついていた蛇達を掻き消した。
「やっべ、マジで死ぬかと思ったぜ……」
「殺してやる……殺してやるのじゃ……貴様だけは生かしておけんッ!!」
さすがに……ちょっと言い過ぎたか……?
「まあ、待てよシュガー。きっと話せばわかるって……な?」
「──問答無用。煉獄の刃ッ!!」
奥義魔法──だとッ!?
いくらなんでもやり過ぎだッ!!
「この場にいる者共……全員地獄に堕ちるがいい……」
「ど……どうすんだレオッ!! テメェのせいだぞ!! なんとかしやがれッ!!」
「どうするったって……こんなの、俺にもどうしようもねぇよ……ッ!!」
頭上に巨大な魔法陣が形成されていく──これが完成したら、ここら一帯は煉獄の炎に包まれて灰燼と化すだろう。
「チクショウ……オレ様はまだ死にたくねぇぞ!! こうりゃ、魔法帝を殺してでも止める!!」
レイナードはシュガーに向けて戦斧を振るうが、その刃がシュガーに届くことはない。シュガーの頭上で、レイナードが振り下ろそうとした戦斧が、シュガーが張っている防刃の障壁に触れた瞬間、粉々に砕け散った。
「……クソが、やってられっか!! オレ様は降りる!! テメェらに関わるとろくなことになんねぇ!! あばよッ!!」
レイナードが立ち去ると、すれ違うかのようにラッテがレイティアを抱えて小屋から出てきた。
「な、なにが起きているのですか……?」
「えっと……端的に言うと、俺のせいで魔法帝が暴走して、この有様だ……」
「どうにかできないのでしょうか……」
「……」
できないことはない──ただ、それをするには物理的にも、魔力的にも足りないのだ。
魔剣アスカロンなら、可能性としてあの魔法陣を打ち消せるかもしれない。しかしそれは、『あの魔法陣までアスカロンの刃を届ける』ことが不可欠。そして、もうひとつの可能性はシュガーを殺すということだが、それははっきり言って五分五分だ。ここまで魔法陣が完成してしまったら、術者の意思とは関係なく発動するだろう。例えシュガーを殺しても発動が止まらないのなら、シュガーを殺す理由はない。
俺は天空に描かれた魔法陣が、不謹慎にも『綺麗だ』と思ってしまった。七色の糸で描かれていく虹のような魔法陣は、空に浮かぶ星と相俟って美しい。これで終幕というのなら、それもそれでいいのかもしれない。
(ただの引きこもりだった俺が、よくここまでやったよ……)
最強チートとまではいかなかったが、それなりには戦えたし、人生の結末をここで迎えるのなら、俺はそれでもいいかもしれないとさえ思う。
「レオ様……諦めてしまったのですか? まだ魔王を倒してませんよ……この世界も平和になっていません……私は、これからの人生を、あなたと一緒に歩んでいきたいです……だから、どうか諦めないで……英雄、レオ様……」
「俺を買い被り過ぎだ……こんなの、どうやって防げっていうんだよ……」
「私は、あなたを信じています……こんな私でも、ひとを愛することができると教えてくれたあなただから、私はレオ様ならこの絶望的な状況でもひっくり返せると信じます」
愛……? 俺、ラッテに愛なんて教えたか……?
まあ、もし……もしも、だ。
ラッテが俺のことを好きになってくれたと言うのなら……まだ、俺はこの世界でやりたいことが残ってるってことになる──未経験のままで人生を終えるなんて、あまりに酷いもんな。
(こんな時でもそんなこと考えるのかよ……どうしようもねぇな、俺は)
元はと言えば、これは俺が撒いた種だ。俺以外の誰にも、この事態を回避できるやつはいない。いや……主人公だからこそ、こういうピンチを乗り越えることができる。それはゲームの話だけど、この世界のベースはゲームだ。俺の立ち位置は主人公で、それが可能という立場にあることは変わらない。
しかし、こういうピンチの時に限って、最悪な事態は連鎖するものだ──。
夜空に浮かぶ巨大な魔法陣の中心に、黒い人影のような黒点が現れる。その黒い人影は大きな蝙蝠のような翼を広げて、眼下ににいる俺達を見つめているように見えた。
こういう状態で発生する救済イベントか──なんて、少しでも希望を持ったが、それも杞憂……。あんな禍々しい翼を持つ者が、人間の味方であるはずがない。
「レオ様……あの者は一体……?」
「わからん……ただ、俺達の味方じゃないことだけは確かだ」
しかし、不可解なことがひとつ──、やつは片手を上にあげて、まるで『おーい』とでも言いたそうな行動をしている。
(敵……じゃないのか……?)
余りに友好的な態度を示しているが、やつの放つオーラは、数キロ離れた俺達の肌をビリビリと刺激している。これは、紛れもない【邪気】だ。しかも、こんなに離れた距離で伝わるほどの邪気……。
もし、この邪気を近くで感じたら、俺は、平常心で戦える自信がない──。
「ラッテ、少しでも遠くに逃げろ……。あいつは危険だ。俺はシュガーを説得して逃げる……」
「で、ですが、あの魔法帝は暴走していて、私達の言葉が届くとは……」
「……頼む」
「……わかりました。必ず生きて再会しましょう……ご武運を」
ラッテはレイティアを背中に抱えて、この場から離脱した。
生きて再会、か──。
死亡フラグがビンビンに立ってんじゃねぇか──。
── ── ──
俺は未だブツブツとなにかを呟いているシュガーの前に立ち、説得を試みることにした。無論、話が通じるとは思えないが、いずれ仲間になってくれるキャラを見過ごすことはできないし、この状況を作ったのは俺でもあるので、俺自身が身を引くわけにもいかなかった。
それにしても、こいつはこいつで厄介な障壁を展開してやがる……。
レイナードの戦斧が砕けるほどの強力な物理無効障壁となると、迂闊にアスカロンを叩き込めない。
アスカロンの力を一〇〇%引き出すことができているのなら、迷わずアスカロンを叩き込んでいるのだが、今の俺ではアスカロンの真価を発揮させることができてない以上、この障壁には無闇矢鱈に触れないほうがいい。
つまり、現状でできる最も可能性がある『言葉による説得』に賭けるしかない──。
「シュガー、聞いてくれ」
「コロス、コロス……全員コロス……」
ショック状態といえばまだ聞こえはいいが、これはもう一種の呪いの呪文だ。
目の前にいる俺が見えていないようで、前を向いているはずなのに俺と視線が合わない。
「なあ、今はそんなことを言ってる暇はないんだ。いいか? 明らかにヤバそうなやつが来てるんだ。お前も早く逃げないと殺されるぞ!?」
「ダマレダマレ全員コロスコロスコロス……」
駄目だ、完全に壊れてやがる……。
例えば、同じくらいのショックを与えてやればどうにかなったりしないか?
記憶喪失とか、そうやって治す──みたいなことをテレビで見たりするがこの場合は、こうなるキッカケになった言葉と同じくらい衝撃を与える言葉を与えれば、正気に戻ったり……しないだろうか?
百聞は一見にしかずというし、怪我の功名という言葉もある。泣きっ面に蜂とか、二度あることは三度あるとか、そういう言葉もあるけど知らん!!
こんな時に油を売っている場合じゃない!!
シュガーが他人の口から聞いて驚くような事実、か──。
記憶を失っていたシュガーの過去は、それほど作中では明らかになっていない。だけど、その中に現状を打開する手掛かりがあるはず……。頭の中にある引き出しを開けては閉めて、それを何度か繰り返し、ようやく手掛かりになりそうな【とあること】を思い出した。だが、これはかなり、その……なんと言えばいいか……めちゃくちゃ恥ずかしい。
(いや……恥ずかしがっている場合じゃないか……ッ!!)
俺は、ある意味【死の覚悟】をして、シュガーに向き合った。
「シュガー、聞いてくれ……」
「……」
相変わらず呪いの言葉を口にしているが、御構いなしに話を進める。
「お、お前は、本当の自分を隠している……」
「……え?」
よ、よし……。
こちらの話を聞く状態に持ってこれたな……。
「いいか、よく聞け……。お前は、本当は……〝超がつくほど甘えん坊〟だッ!!」
シュガーの顔が見る見るうちに真っ赤になっていく。こんなことを言っておいてなんだが、そこまで恥ずかしいことなのだろうか……?
ハーフドと呼ばれる半魔族の者達は、人間と魔族の血を引いているため、体内に循環している魔力の量が多い。その反面、病気がちだったり、人間の感性から逸脱していたりするのだが、この『シュガー』は、実は【ハーフドであり、ハーフドではない存在】でもある。無論、この真実を彼女に伝えるのは未だ早いので、その代わり……軽いジャブ程度に『甘えん坊』なんて言ってみた。そのジャブが、まさかクリティカルヒットするとは思いもよらなかったが……この路線で攻め続ければ、話を続けることができそうだと確信する。
「あ、ああ……な、なんでそれを……!? 儂は誰にも話しておらんぞッ!? どうして……どうして知っているッ!?」
「それは、俺がお前の過去、いや、記憶を知っているからだ。……なあ、さっきのことはこの通り謝罪する……だから、少し話を聞いてくれ」
訝しんではいるものの、シュガーはどうやら『反論の余地がない』ことがわかったらしい。
降参……を示すように、被っていたフードを取ると、銀髪の長い髪がふわっと宙を舞い遊び、健康的な褐色肌の顔が現れた。透き通るほどに美しい琥珀色の瞳は、宝石のように輝いてる見える。幼さが残る童顔だが、シュガーの年齢は俺よりも上。ハーフドはエルフよりは短命だが、人間よりは長い。つまり、子供に見えて立派な淑女……なんだが、やはりどう見てもロリっ娘。ロリっ娘魔法使いとか、それどこのプリなんちゃらだ? ハグっとするのかスマイルするのか……えっと、まあ、美少女と呼べるに価する容姿とだけ言っておく。
「なにをそんなじろじろ見ておる……恥ずかしいじゃろ」
「す、すまん……って、今は雑談してる場合じゃないッ!! シュガー、早くあの魔法をなんとかして、一緒に逃げるんだッ!! あそこに……魔法陣の中心辺りに、とんでもなくヤバそうなやつがいる……ッ!!」
俺の言葉を聞いて、シュガーは空を見上げる。
そこには未だに、こちらに向かって手を振り続ける者の姿があった。
「ああ……あれは、もう手遅れかもしれんぞ……?」
「どういうことだ……? 魔法をキャンセルできないってことか……?」
「違う。あれは……あそこにいるのは……【魔王】じゃ……」
「な……っ」
今気づいたが、そう言われてみれば納得だ。
ここまで伝わってくる圧倒的な邪気。
奥義魔法を背にして、俄然余裕の振る舞い。
現・魔王が、今、すぐそこにいる──。
俺達が正体に気づいたのを察したのか、魔王は手を振るのをやめて、クルッと俺達に背を向けると、自分より何百倍も大きい魔法陣に向き合うと、一撃──右手で魔法陣を殴る。それは、ただのストレートに思えた。だが、魔法陣はあっという間に砕け散り、夜空は再び、嫌なくらい綺麗な星空を見せる。
「おい、嘘だろ……あり得ない……。仮にも【奥義魔法】だぞ……」
「……案外、現・魔王は慈悲深いのかもしれんな。やつがこの世界を本気で統治しようとすれば、それこそ今みたいに一瞬じゃ。儂らはやつに生かされている……この意味がわからんほど、お主も馬鹿ではなかろう?」
「……」
正直、言葉が出なかった──。
俺となんて比べ物にならないほど実力差があり過ぎて、やつを倒せるビジョンが湧かない。あんなのと戦ってみろ……俺なんて紙屑同然だ。戦おうなんて思うほうが阿呆だ。チート過ぎる。いや、もうそんなレベルじゃない。あれは……バグだ。この世界に発生したバグ。運営ですら対処できない、致命的なバグだ……。
「……げろ」
「ん……? なんじゃ?」
「早く逃げろ──ッ!! 俺が……なんとか時間を稼ぐ……だから、お前は逃げてくれ!! 魔法帝がここで死んだら、それこそ世界の損失。お前だけでも生き延びろ……っ」
「お、お主は馬鹿なのかッ!? やつを足止めなどできるはずないッ!!」
「……頼む。俺がまだ〝英雄気取り〟でいられる今を、無駄にしないでくれ……」
誰があんなやつと戦いたいなんて思うか?
戦いたくないに決まってんだろ……俺だって、本当は逃げたい。
でも……情けない話だが、腰が抜けて動けないんだわ……。
(あはは……情けねぇな……)
「……わかった。お主、名はなんと言ったか?」
「レオ……俺の名前は〝秋原礼央〟だ」
「ならばレオ……必ず生きて戻れ。これは魔法帝の命令じゃ」
「魔法帝にそんな権限ねぇよ……まあ、生きて帰れたらな」
シュガーは俺に頭を下げると、魔力で脚力を増幅させて、ラッテが逃げた方角に向かって走っていった。
コンテニューってできるのかなぁ……。
まあ、無理なんだろうな……。
死ぬって、やっぱり痛いよなぁ……。
痛くないように殺してくれ……なんて、そんなの不可能だよな。
空から【魔王】が降りてくる。
バサバサと翼を羽ばたかせながら──それはまるで、木の葉に溜まった朝露が、一筋、地面に落下していくのを、スーパースローカメラで捉えたように。
やつが歩いて俺に近づいてくる──。
どんな姿をしているとか、じっくり観察なんて呑気なことを言ってられないくらい、禍々しい邪気を纏い、踏みしめる草木を枯らしながら、俺だけを見つめて近寄ってくる。そして、その距離一メートルくらいの距離で、そいつは立ち止まった。
「初めまして、人間さん。私は現・魔王です。早速で申し訳ないんですけど──
死んでください」
なにが起きたか──なんて、俺にはわからなかった。
ただ、俺は確実に、死んでしまったんだろう──。